明治31年(1898年)3月29日 東京美術学校(現・東京藝術大学)校長の岡倉天心が、校内の争いで免職。岡倉派の教授橋本雅邦や助教授横山大観ら17人も岡倉に従い辞職。
東京美術学校は、明治20年(1887年)に、岡倉天心やフェノロサらが設立準備をして開校。それに先立つ明治9年(1876年)に、日本政府はイタリア人が絵画・彫刻を教える工部美術学校を設立していたが、明治16年に廃止していました。
明治に生まれたばかりの「美術」業界の勢力争いが理由のようですが、岡倉天心は反目していた帝国博物館長の九鬼隆一の妻と不倫関係にあることが暴露されたことで、スキャンダルの責任をとって免職となったようです。