元禄14年3月14日(1701年4月21日) 江戸幕府、江戸城中で高家の吉良義央(よしなか)を斬りつけた赤穂藩主浅野長矩(ながのり)に切腹を命じる。赤穂藩は改易。(徳川実紀)
翌15年12月15日未明、赤穂藩の旧臣たちが吉良邸を襲撃し、吉良を殺害。赤穂浪士は全員切腹したが、世間の評判はむしろ高まり(忠臣蔵)、一方の吉良家宗家は殺害された罪(という現代では理不尽な理由)で廃絶したが、地元の知県幡豆郡吉良町では、吉良を名君として慕い続けたという。
画像は歌川広重の浮世絵「忠臣蔵・夜討」(東京国立博物館蔵)ColBaseより