承平5年2月16日(935年3月23日) 紀貫之(868-946年)が土佐守(国司)の任期を終え土佐国から帰京。(土佐日記より)
わが国最初の仮名日記として著名な土佐日記(土左日記)の原本は残っておらず、鎌倉時代の1235年(文暦2年5月13日奥書)に、藤原定家が書写した土佐日記が国宝(前田育徳会蔵)や、1234年(嘉禎2年8月29日奥書)に藤原為家が写した土左日記が国宝(大阪青山歴史文学博物館蔵)。
紀貫之はわが国初の勅撰和歌集『古今和歌集』の編者の一人。こちらも原本は残っておらず、写本のみが現存。
最古の写本「古今和歌集巻第五」(高野切本)は個人蔵の国宝。
『古今和歌集』の零巻は巻第一、二、三、五、八、九、十八、十九、二十の各巻にわたっているが、多くは断簡である。
首尾完存するのは、巻第五、八、二十の3巻である。
料紙は全て雲母をちらしたものを用い、通巻は一筆であるが、全体としては寄合書きで、(1)巻第一、九、二十、(2)巻第二、三、五、八、(3)巻第十八、十九の三種三筆に分かれる。
いずれも仮名書きの連綿の妙を極め、書写の時代は11世紀中頃と推定される。
本巻は、首尾完存する高野切3巻中の1巻。巻第五秋歌下の巻子本の原姿を伝える。(文化庁国指定文化財等データーベースより)
東京国立博物館蔵の「古今和歌集(彩牋)」(元永本)が国宝。「古今和歌集序(彩牋三十三枚)」が大倉集古館蔵の国宝。
藤原定家が書写した「古今和歌集」(嘉禄二年四月九日奥書=1226年)は冷泉家時雨亭文庫蔵の国宝。
藤原定家(1162~1241)が嘉禄2年(1226)に書写した『古今和歌集』(20巻)で、中世以降の『古今集』研究に多大の影響を与えたいわゆる「嘉禄本古今集」の原本である.帖の末尾に嘉禄2年、定家65歳の時に書写した旨の奥書があり、その奥に定家の子為家がその子の為相にこの本を譲与した旨の奥書がある。本文中には定家自筆になる和歌の書入れ、校合注記、人名や場所等の勘物書入れ、朱点などが稠密に付されており、定家の『古今集』研究の跡を伝えている。附の文書は、室町時代にこの『古今集』を冷泉家から借用披見された三代の天皇の礼状で、冷泉家における伝来を伝えている。(文化庁国指定文化財等データーベースより)
古今和歌集巻第八(高野切本) 山口・毛利博物館蔵の国宝。
古今和歌集巻第廿(高野切本) 高知・高知城歴史博物館蔵の国宝。
平安時代の古今和歌集(色紙)(曼殊院本) 京都・曼殊院蔵の国宝。
古今和歌集巻第十二残巻(本阿弥切本) は京都国立博物館蔵の国宝。
本阿弥光悦の所蔵にかかるところから本阿弥切と呼ばれるこの一連の断簡は、上代仮名の優品として古来いたく珍重されてきた。夾竹桃文様(きようちくとうもんよう)の美しい雲丹刷(きらず)りの唐紙に、流麗な仮名書で筆写され、八枚継ぎの巻子(かんず)装は原形に近く、巻第十二のほぼ全文を伝えて貴重である。(文化庁国指定文化財等データーベースより)