元和2年4月17日(1616年6月1日)徳川家康、75歳で駿府城で死去。その日のうちに遺言に従って遺骸を久能山に葬る。
死因については、天ぷらに当たったという話が有名だが史実ではなく、胃がんなどの病だったと最近は考えられている。
家康の遺産は、ほとんどが九男、十男、十一男の御三家に譲られた。将軍職はすでに次男の秀忠に譲っており、幕府としての公的な財産はすでに移管すみだったため。
また、遺産のうち公的な遺産(一武将として備蓄していた火薬や贈答用の刀剣など)は御三家に遺贈されたが、家康の個人的な身の回りの品は、死後に創建される久能山東照宮に収められ、神宝となり、現在その多くが重要文化財に指定されている。そのなかでは、当時の内部機構が残っている機械時計としては世界最古とみられている洋時計や、鉛筆、眼鏡(シニアグラス=老眼鏡)、杖、愛刀ソハヤノツルキウツスナリなどが有名。
一方、久能山東照宮が所有している重要文化財に、家康が所持したと伝わる金陀美具足(桶狭間の戦いで着用と伝承)や関ヶ原の戦いで着用した歯朶具足があるが、これらの甲冑は、もともと久能山に献納されたものではなく、江戸時代には江戸城内で歴代将軍の甲冑として大切に保管され、明治維新で徳川家の静岡藩に移されたことに伴い移動、明治15年(1882年)に久能山東照宮に奉納されたもの。そのため、とくに金陀美具足については、桶狭間の戦いの時期の甲冑にしては新しすぎるなどの見方がある。
久能山東照宮の建物は国宝に指定。