寛永16年2月1日(1639年3月5 日)『三河物語』の著者で旗本の大久保彦左衛門忠教(ただたか)が死去。80歳。晩年に書いた『三河物語』は脚色があるものの自身の家康との従軍体験記で、貴重な証言。
現存唯一の著者自筆本が愛知県の音羽産業蔵で重要文化財。
トップ写真は愛知県岡崎市の大久保彦左衛門の墓(大久保家代々の墓がある長福寺)。
長福寺の解説パネルから
「この寺は以前、鳳来寺の末寺として天台宗であったが、日蓮の弟子目印が1318年、京都に上る途中に立ち寄り、法華宗に改宗させた」と本尊の脇書に記されています。1547年6月、大久保家の初代宇津忠茂が長福寺に葬られて以来、大久保家の菩提寺になりました。 宇津家は後に大久保に改姓し、「三河物語」を残した大久保彦左衛門の墓も 「死後は長福寺に葬るべし」との遺言により、一族の墓とともにこの寺に建てられています。