第2巻の1話(通算7話)は「FIRE&ICE」です。
こちらもオリンピック絡み。当時はソウルオリンピックで盛り上がっていたようですね。
東京五輪がテーマです、といってももちろん1968年のほう。
東京五輪で5000mで金メダルを取ったイギリス(北アイルランド)の陸上選手、通称ファイヤーマン。彼には若い頃にライバルだった通称アイスマンがいました。アイスマンはカトリックの神父。
オリンピックの選考の直前に、彼らに陸上競技の賞金レースの出場疑惑が起こります。そう、昔は、オリンピックはアマチュアのみでプロの参加は禁止だったのです。いまの金権オリンピックからすると考えられないですが、かつてはそれが常識でした。
このアマチュア規定により、ソ連など東側諸国の選手は事実上プロもしくはプロ以上の資金力で育成されていたにも関わらず、共産主義下では、プロスポーツ選手はおらず全員アマチュアという、よくわからない理由で、オリンピックは東側諸国の独壇場でもありました。
アマチュア規定について辞書で調べると、
IOC(国際オリンピック委員会)でも1901年に初めて各競技種目共通の規定をつくった。その内容は次のとおりである。(1)金銭のためにプレーする者、(2)プロといっしょにプレーする者、(3)体操教師もしくはトレーナーとして金銭を受ける者、これらの者はアマチュアとして認めていない。当時、アマチュア規定に違反する事件はごく少なかったが、1912年のオリンピックで十種競技に優勝したアメリカのジム・ソープJim Thorpe(1888―1953)はこの規定が適用され、金メダルを剥奪 (はくだつ) された。(日本大百科全書「アマチュアリズム」より)
オリンピック大会では,戦後もブランデージ会長時代(1952-72)には依然としてアマチュアリズムが強調されていたが,キラニンM.M.Killanin会長就任(1972)後,IOCは現実路線をとり,74年の総会でオリンピック憲章の参加者資格規定を大幅に改正し,アマチュアの定義を削除し,当該競技団体が管理することを条件に,選手が必要経費や広告出演料などを受け取ることを承認した。従って,憲章全文から〈アマチュア〉の字句は完全に消滅し,オリンピックは〈世界のアスリート(競技者)のスポーツ祭典〉となった。さらに82年,アマチュアリズムのモデル団体とされていた国際陸上競技連盟(IAAF)が,イギリスなどの提案を入れて,選手が賞金競技に出場することを承認したので,ここにアマチュアリズムは,競技者スポーツの世界では,まったくその存在理由を失うに至った。(世界大百科事典「アマチュアリズム」より)
1970年代に五輪全体でアマチュア規定がなくなるものの、プロの出場については各競技団体が決めるということになり、陸上では、1982年に賞金レース出場が解禁されたようです。
最近、このプロアマ規定がちょっと話題になりました。
フィギュアスケートの羽生結弦選手が「現役を引退してプロになる」という宣言です。
フィギュアのプロとは、ディズニーオンアイスとかのショーですよね。どうやら、フィギュアでは、まだアマチュア規定がどういう形でかわかりませんが残っているようで、実際、羽生選手は所属はANAで、コマーシャルにも出まくっているので、昔のアマチュアとは全然感覚が違いますし、「プロになります」という宣言を聞いて、「えっ?プロじゃなかったの?」と驚いた人は私だけではないのではないでしょうか。
さてマスターキートンに話しを戻しますと、ファイヤーマンとアイスマンが賞金レースに出た疑惑が持ち上がったとき、聖職者であるアイスマンは嘘をつかずに堂々と認めました。いっぽう、ファイヤーマンは、神父であることを利用して、教会の懺悔室で神父のアイスマンに対して、賞金レースに出たことを”告白”します。神父は、告白されたことを人に明かしてはいけないため、これでファイヤーマンの秘密は守られ、ファイヤーマンは東京五輪に出場し、見事金メダルをとる、という流れです。
その後、引け目を感じていたファイヤーマンは、金メダルをかけて、4年に一度、野原で2人で競争をして、金メダルを渡し合います。その後、ファイヤーマンが亡くなったときに、あるはずの金メダルがないと、調査を頼まれたのが、キートン、というわけです。
この話自体は、ほかの話につながらないのですが、ここらへんで重要なのは、イギリスはイギリスでも、イングランドではなく、北アイルランドが舞台というところです。アイルランド問題は、マスターキートンにおいて重要なキーになっていきます。
第2巻(Kindle)
*この「読み直すマスターキートン」シリーズは、あくまで、フィクションのマスターキートンに対して突っ込むのが目的ではなく、三十年たって、自分が批判的な姿勢を見につけたのかのおさらいです。