延暦21年4月15日(802年5月19日)蝦夷の首領アテルイとモレが投降

延暦21年4月15日(802年5月19日)将軍坂上田村麻呂率いる政府軍と東北の胆沢郡(岩手県南部)で戦っていた蝦夷の首領・阿弖流為(アテルイ)と母礼(モレ)ら500人を率いて投降する。
阿弖流為は大墓公、母礼は盤具公で、大墓や盤具の地名は不明。

田村麻呂は二人の助命を嘆願するが、8月に河内国の杜山 (もりやま)で処刑される。杜山は椙山 (すぎやま)の誤記と見て、大阪府枚方市に比定する考えもあり、平成19年(2007年)になって最期の地の石碑が建てられている。周囲にある首塚も、ごく最近になって首塚と言われるようになったもので、歴史的には新しい。これらの動きは、2000年に刊行された高橋克彦の歴史小説『火怨 北の燿星アテルイ』による影響が大きい。

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