(渋谷・國學院大學渋谷キャンパス。学術メディアセンターの地下へ降りる階段。冷たい風がふっと和らぐ)

サキ:「ここ、大学の中にあるからだろうけど……入館無料って、やっぱり太っ腹すぎない?」
エミ:「しかも企画展でこれだけ踏み込むテーマを、きちんと歴史史料や考古学資料で見せる。國學院大學博物館、攻めてるよね」
サキ:「サブタイトルがもう強いよ。『男/女でもあり、女/男でもない』って……二択の外に、ずっと“歴史”があったってこと? それにしても映画の『国宝』見て歌舞伎の女形とかに興味を持った人が多いからかなぁ。かなり混んでいるね」
エミ:「本当だね。図録も売り切れているってサイトに書いてあったわ。そこはちょっと残念だけど」

サキ:「ねぇねぇ、國學院大學って旧字で書くんだよ!知ってた?」
エミ:「驚くのそこ? もちろん知ってたわよ、書けないけど…」
性別は自然的のものではなく、文化的なものである
(会場入口のパネル前)
エミ:「“男女の性の差は自然発生のものと思われているけど、実はすごく文化的”っていう趣旨が出発点が置かれているね。今日の私たちの感覚を、いったん横に置かせてくるタイプの展示ね」
サキ:「これは期待。ざっくりどういうことなの?」
エミ:「ひとことで言うと、『男でも女でもある人たちが、日本の歴史の中でずっと存在してきた。それも特別な力を持っていた』っていうお話で、さらに性の境界を越境する人たちは、ただ珍しい存在とかではなくて——むしろ特別な力を持つ源として扱われてきたっていうのが面白いところね」
サキ:「特別な力!? 呪術的なやつ?男でもあり女でもある状態は、ダブルジェンダーとして通常とは違うパワーを宿すってことかな」
エミ:「明治時代に西洋化が進むことで、本来は日本では社会的に忌避される存在ではなかった性の越境者がタブーとなったということで、明治時代を”黒歴史”としてとらえることから始めているわけね。なかなか意欲的な構成ね。それに祭りは國學院大學ならではで力が入っているはず」
サキ:「なんで?」
エミ:「あとで常設展も見ればわかるけど、國學院大學っていってみれば神道の大学だったの。今は私立だけど」
サキ:「へぇ、そうなんだ。渋谷のおしゃれ大学だと思ってた」
エミ:「確かに渋谷のおしゃれ私立大学だけど、神社や祭りなどの情報や研究の蓄積は日本随一よ。それに多くの考古学者を輩出してきた大学として知られているの」
サキ:「つまり、がっちり重量級の研究の成果が盛り込まれた展覧会ってことね」
第1章 性の抑圧 「文明開化」と明治以降の性的規範
サキ:「うわ……いきなり“抑圧”や“禁止”って単語がインパクトあるね。異性装や同性愛の禁止、って……ほんとに明治時代になって法律で違法にしたんだ」
エミ:「明治政府は文明開化で欧米の価値観に合わせていくんだけど、この明治6年(1873年)には「鶏姦罪の禁止」(「男性同士の肛門性交(鶏姦)」を処罰対象にした)が新設された「新律綱領 改定律例」が出されたの。「律」というのは現代の刑法や軽犯罪法違反ね。肛門性交はキリスト教で「ソドミー罪」としてタブーだから、とされているわね」
サキ:「突然、欧米の価値観を持ち込んだの?」
エミ:「実は前年の明治5年までにできた新律綱領は中国の清の法典がベースだったの。それが6年の改定によって、フランスの刑法が取り入れられて、雑犯律(軽犯罪法違反)「違制違式の罪」として同性愛行為禁止が紛れたって感じかな。もっとも刑罰がそれまで「笞打ち・杖打ち・徒刑(懲役)・流(流刑)・死刑」だったのが「懲役」と「死刑」の二つになり、欧米型の近代化は必ずしも悪いってわけではないのは、強調しておかないとね」
サキ:「懲役3か月かぁ。そこまで厳しい罰ではないともいえるけど……罰せられる罪であるとは明示されているね」
エミ:「あとのコーナーでどんどん例が出てくるけど、江戸時代まで同性愛自体はわりと普通だったのが、突然刑罰対象の違法行為となったのは衝撃だったでしょうね」

「新律綱領改定律例合巻註釈」巻5(早稲田大学図書館古典籍データベースから)※会場で展示されていた國學院大學図書館蔵のものは撮影禁止でした

「新律綱領改定律例合巻註釈」巻5(早稲田大学図書館古典籍データベースから)
サキ:「それでも、こんな法律をみんな読まなかったんじゃないの?」
エミ:「そうそう。ただ違法となったということ以上に強調されているのが、明治時代には公教育に加えてメディアの力がとてつもなく大きくなったという点ね。たとえば『違式詿違図解』。これ、ざっくり言うと“文明国家として恥ずかしい振る舞い”をリスト化して、文字通りイラスト化されているの」
サキ:「図解は分かりやすいもんね……。国家は性の越境者を無くすのが目的というよりも、近代国家を作るには、“正しい男と女からなる国民”が必要だとアジェンダ設定して、それに伴って男女に明確に線が引かれたってことかな?」
エミ:「そうだと思う。線の引き方がいくつも重なってるわね。
まずは『新律綱領 改定律例』みたいなルール。それから記録としての戸籍。そして刷り込みとしての公教育――『小学生徒心得書』とか『小学新修身 女子用』……」
サキ:「“女子用”って文字が、逆に怖い。用途が決め打ち……」
エミ:「うん。ここで展示は、性別を“自然”として扱うんじゃなくて、近代国家が作るカテゴリーとして見せてくる。“男/女”は、身体の差だけじゃなくて、身分・序列・公私の配分にも直結していく」
サキ:「あ、わかる。“公の顔”と“私の顔”って、性別の役割とセットで押しつけられがちだもんね」

解雇され身投げの人力車夫、実は男装して暮らしていた女だったということを報じる「大阪錦画日々新聞紙. 第24号」。会場では撮影不可でしたので画像は早稲田大学図書館蔵
(新聞錦絵をじっと見つめる二人)
サキ:「そしてこれもすごいよね。『東京日々新聞』とか『大阪錦画日々新聞紙』とか新聞なのに絵が前面に出されて、Youtubeのサムネみたいにコントラストが効いてインパクトがある」
エミ:「まさに。ここが効いてる。法律で取り締まるだけじゃなくて、新聞錦絵といった新メディアが“風紀”を可視化して、空気として拡散する。それで性の逸脱が、いつの間にか『悪いこと』として共有される」
サキ:「うわ……まさに今だと偏向報道とSNSの炎上がコンボになったみたい。“取り締まり”って、警察だけじゃなく、社会の視線も含むんだね」
エミ:「実は、違法行為としての同性愛(鶏姦)はわずか9年後の明治 15年(1882年)の刑法(旧刑法)に引き継がれずに消滅するの」
サキ:「そうなんだ。9年間しか違法じゃなかったんだ」
サキ:「でも、着物警察とか鳩サブレ警察とか今でもあるけど、『男らしさ/女らしさ』を強調する方向に全振りしていた日本社会では、特に女装や男装をメディアがさらし者にされていった、悲しい現実があったのね」
サキ:「(鳩サブレ警察は違う気が…)禁止って“やるな”だけじゃなくて、“こうしろ”がセットか……。なるほど……“性別二元”って、思想じゃなくて、運用なんだね」
エミ:「運用、ほんとそれ。戸籍制度・学校・修身。この展示のプロローグとしての導線は冷たいくらい上手い。感情に訴えずに、息苦しくさせる」
サキ:「……これは私たちの先祖が歩いた“黒歴史”だね。もちろん、展示で黒歴史と明言していることはないけど、おそらく言いたいのは、性の越境がタブー化されたのは、日本の伝統じゃなく、ごく最近の近代化の設計に伴うもの……今はやりの言葉なら”ハルシネーション”——もっともらしいけど根拠のない思い込み、だったってことかな」
エミ:「さすが言葉のチョイスが冴えているわ。”ハルシネーション”って言葉に置き換えて考えると、単に黒歴史でなく現代の私たちの問題でもあるって思えるわ」
サキ:「へへ。褒められたよぉ」
エミ:「昔から男か女かの二択じゃなかったっていう強いメッセージを、展示の最初に鑑賞者に『読み込ませる』から、次の章で、いきなり先史時代に飛ぶ構成が効くのよ」
第2章 古代日本の「双性原理」
エミ:「ここからが本展のメインストーリーね。江戸時代以前は『男らしさ』と『女らしさ』があいまいだったということだけど、それって本当なの?いつから?という疑問はあるわよね。それを物で実証していくの」
サキ:「ひろゆき構文なら『なんかそういうデータあるんですか?』ってなるもんね」
エミ:「とはいえ、けっこうデータや史料から直接証明するのはすごく難しい問題なのよね。この展覧会を監修している三橋順子さんは日本女装史の第一人者であり、数少ない研究者で、性別越境者の当事者でもあるんだけど。私は三橋さんの著書『歴史の中の多様な「性」 日本とアジア 変幻するセクシュアリティ』(岩波書店)や、監修した渋谷区立松濤美術館の「装いの力―異性装の日本史」も見たけど、近代以前の日本で女装者が普通に居た=禁忌ではなかったのではという傍証になる事例は複数あげられているんだけど、論理化つまりフレーム化、学術的な理論にすることはなかなか難しいっていうのが、私の感想かな」
サキ:「そっかぁ。エミちゃん、すごい思い入れがある展覧会なんだね。今度詳しく話してね」
エミ:「了解。弥生時代で注目されるのは、鹿児島の種子島にある広田遺跡。弥生時代末期の遺跡なんだけど、貝で作った装身具を大量に身につけた人骨がたくさん出てきたの。ほとんどは女性なんだけど、一体だけ、骨格が『男性のようだけど華奢』な人がいてね」
サキ:「へぇ〜! つまり男性だけど女性と同じ装身具を?」
エミ:「そう。当時の発掘調査団が『双性のシャーマン』って名付けたのね。ここから、『性がダブっている状態が宗教的な力の源になるんじゃないか』っていう考えが生まれたって言われてるの」
サキ:「なんか……二つの性質を持つことでどちらか一方より強くなるみたいな感じかな。ハイブリッドエンジンみたいな」
エミ:「ほんとそれ。でね、その『人為的にダブルジェンダーを作る』方法が異性装なのよ。日本神話でもあるじゃない、ヤマトタケルノミコトが女装してクマソタケルを倒す話」
サキ:「ええっ!? そういえばそういう話だったね。女装かどうかなんて意識してなかった!」
ヤマトタケルノミコトが16歳の少年の姿で九州のクマソタケル兄弟の館に女装して潜入し、討伐した話は『古事記』『日本書紀』に記されています。また逆パターンとして、神功皇后が男装して征討した話も。どちらも「異性装=特別な力の発動」として解釈できます。
神子・稚児・白拍子——中世の境界存在たち
(ここで展示の冒頭の絵巻物の展示コーナーへ一度移動する)
サキ:「あ、この絵巻の人……一見女の人なのに、歌の中で『自分は本当の女じゃない』って言ってるの? すごい!」
エミ:「これが神子(みこ)ね。『七十一番職人歌合』に描かれてる人で、姿は巫女と同じなのに、詠んだ歌で自分が異性装者であることを明かしてる。生活の糧として宗教的な役割、広い意味でのシャーマンをしていたと考えられてるわ」
サキ:「じゃあ、ちゃんと社会に居場所があったんだね。排除じゃなくて」
エミ:「そうなの! そこが大事なポイントで。次はね、中世寺院の『稚児(ちご)』という存在がいて——これが面白くて。絵巻物を見ると、グレーの僧侶の集団の中に、鮮やかな赤とか桜色の着物を着た少年が描かれてるのよ」
サキ:「わかるわぁ……女性にしか見えないけど、女人禁制のお寺の中だから、男になるんだね。一目瞭然だ。ビジュアルの力ってすごいね」
エミ:「地面に垂れるほどの長い黒髪もね。で、この稚児が単に性的な奉仕をしてたっていうだけじゃなくて、『児と交わることは観音と一体化すること』みたいな宗教的な意味を持たせられてたっていうのが……現代の感覚とはだいぶ違うわね」
サキ:「うん……複雑だけど。『宗教的に特別な存在』として扱われてたっていうのは、たしかに当時の文脈がないと理解できないね。それになにか性的な奉仕が主たる役目だったら、こんなに絵図に普通に描かれたりしないよね」
エミ:「古代・中世の日本は、女性を含めて性を商品として売るという概念がなかったと、立命館大学教授の辻浩和さんが『遊女の中世史 遊郭はいかに生まれたのか』(吉川弘文館、2026年)で論じていたわ。婚外の性交渉が、性を売る、やましいもの、となるのは、少なくとも古代では存在しなかったみたいね」
サキ:「現代のコンプラ意識で歴史を判断してはいけないのね」
第3章 江戸のファッションと芸能——振袖は最初「男のもの」だった!?
(浮世絵のパネルが並ぶコーナーで、サキが立ち止まる)
サキ:「この鈴木春信の絵……めちゃくちゃ可愛い女の子のお着物じゃん。振袖に島田髷で」
エミ:「実はこれ、男の子なの」
サキ:「ええっ!? 全然わからない……!」
エミ:「タイトルが『五常の義』——儒教の徳目の『義』を描いてるんだけど、『義』って男同士の友誼・男色を表す概念だから、画面の人物は男の子じゃないとテーマが成立しないのよ。で、実はね、振袖を最初に着たのは『若衆』と呼ばれるおしゃれな少年たちだったと言われてるの」
サキ:「えー!? 振袖って最初は女性のものじゃなかったの!? ファッションの男女の境界って、もともとそんなに固定されてなかったんだ……」
エミ:「そう! で、歌舞伎の話をするとね——出雲阿国の阿国歌舞伎は阿国が男装して、相手役が女装した男性だったのよ。性別をまるっとひっくり返した芸能なの。それが大衆にウケて長く続いたってことは、人々がそれを求めていたってことでしょ」
サキ:「宝塚も逆パターンの同じ構造か……! それだ! 人間って性別の境界が曖昧になるものに惹かれる本能的な何かがあるのかなぁ」
エミ:「(しみじみ)……サキちゃん、今日一番いいこと言ったわ。ほんとそう思う」
鈴木春信の浮世絵については、あらゆる人物(男性)を女性として「見立てる」ことがブームになった時期でもあるので、女装した少年なのか、女性に見立てた絵なのかは意見が分かれそうです。ここでは稚児を描いたという説で。
第4章 令和に残る「女装のお祭り」——双性原理は死んでいない
(会場の外側の映像展示コーナーに移動して流されるビデオを見ながら)
サキ:「え、これ現代のお祭りのビデオ……! 女装した人たちがお神輿を担いでる!」
エミ:「山梨の『おみゆきさん』っていうお祭りで、赤い襦袢を着て堤防を踏み固めて洪水を防ぐの。横浜戸塚の『お札まき』は女装した人がお札を撒いて、それを参加者が競って拾う。効き目があるって信じられてるのよ」
サキ:「なんで女装なんですかって聞いても、みんな答えられないんだよね?」
エミ:「そう、三橋先生もインタビューを重ねたらしいけど、『その方がパワーがある』としか答えがないそうよ。でもきっとそれが答えなのよ。理屈じゃない——双性の力への直感」
サキ:「メディアで取り上げられるときは『奇祭』って書かれるけど…奇妙な祭りじゃないんだね。弥生時代から続く文化の記憶じゃん」
エミ:「……本当にそうよ。明治に上から一度抑圧されて、それでも消えなかった何かが……地方にちゃんと残ってるんだって思うと、胸がいっぱいになるわね」
エピローグ おららのせいちゃん——ある性別越境者の生涯
(会場の最終コーナーに戻り、古い写真と絵葉書が並ぶ展示ケースを前に、二人は無言でしばらく立っていた)
サキ:「……この絵葉書、すごい」
エミ:「栃木・塩原温泉の『せいちゃん』。女装芸者として活動していた方で、昭和13年——日中戦争の最中——に絵葉書が出版されたの。女の姿で踊る写真と、中国戦線で銃剣を構える姿が同じセットに並んでる」
サキ:「一枚の人間が、女でもあり兵士でもある……。それを絵葉書にして売ったってことは、人々がそこに特別な何かを見ていたってことだよね」
エミ:「……出征前に長い黒髪をばっさり切ったって記録があるの。南方戦線で病没されて……。この展覧会のしめ方として、これ以上のものはないわね。たった一人の生涯に、歴史全体が凝縮されてる気がして」
(サキがそっとエミの腕をつかんだ)
サキ:「……来てよかったね」
エミ:「うん。来てよかった」
國學院大學博物館の公式Youtubeでは全体を解説する動画が公開中です。
企画展「性別越境の歴史学―男/女でもあり、女/男でもなく―」を展示解説!!
企画展「性別越境の歴史学 男/女でもあり、女/男でもない」
会場:國學院大學博物館(東京・渋谷)
2025年12月6日(土)~2026年2月23日(月・祝)
https://museum.kokugakuin.ac.jp/special_exhibition/detail/2025_seibetuekkyou.html


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