鎌倉時代・正安2年3月18日(1300年4月8日) 浅草寺(東京・浅草)が再建される。(武蔵国浅草寺縁起)

浅草寺
【3月18日 浅草寺 仲見世通り】
(浅草寺への参拝を終えた二人が、仲見世をゆっくり歩いている)
サキ:「いや〜、平日なのにすごい人だよぉ。外国の人も多いね」
エミ:「浅草って不思議な場所よね。何百年経っても人が吸い寄せられてくる。……ねえサキちゃん、今日が何の日か知ってる?」
サキ:「3月18日でしょ。何かあった?」
エミ:「西暦1300年——正安2年の3月18日に、この浅草寺が再建されたの」
サキ:「えっ!今日って記念日だったんだ。1300年って鎌倉時代だよね」
エミ:「鎌倉時代の後期ね。浅草寺って推古天皇の飛鳥時代に創建されたと伝わってるんだけど、火災や天災で何度も失われて、その都度再建されてきたのよ」
サキ:「じゃあ今日は1300年の再建のお話?」
エミ:「……したいんだけどね。実はこの時期の浅草寺って、資料がほとんど残ってなくて、再建されたということ以外、当時どういう状況だったのかがほぼわからないのよ」
サキ:「え〜、そうなんだ。じゃあ何を話すの?」
エミ:「(少しいたずらな笑みで)でもね、同じ1300年ごろの江戸に、すごくいいヒントを残してくれてる場所があるのよ」
サキ:「ヒント?」
エミ:「ちょっと足を伸ばさない?大手町まで」
サキ:「大手町……?私たちのオフィスじゃん。しかもわざわざ平日に一緒に有給とったのに、なんで出勤しないといけなくなるの?(笑)」
エミ:「まあまあ。行けばわかるから」
【大手町 将門塚】
(ビルに囲まれた小さな塚の前に、二人は立っている)
サキ:「……なんか、いつも通るけど、オフィス街の中では特殊なオーラを感じる場所だよね。周りがぜんぶ高層ビルなのに、ここだけ時間が止まってる感じ」
エミ:「ここが将門塚。平将門の首を祀ってる塚よ」
サキ:「移転しようとしたら祟りが……みたいな都市伝説でよく聞くよね。うちの課長もよく手を合わせにいってる。家内安全って」
エミ:「社業繁栄じゃないんかい!(ツッコミ)。まぁ、その将門塚がね、1300年ごろの江戸がどんな場所だったかを教えてくれるのよ」
サキ:「どういうこと?」
家康が来る前の江戸は寒村は本当?
エミ:「まず、徳川家康が入府する前の江戸ってどんなイメージがある?」
サキ:「……なんにもないのっぱらの田舎? 寂れた漁村みたいなとこだったってイメージがあるけど」
エミ:「それ、よく言われるんだけど実は違うの。江戸時代以前の江戸と浅草は、平川(神田川)と旧利根川(隅田川)という関東二大河川が海に流れ込む河口域のど真ん中でね。低湿地帯ではあったけど、水運の要所、つまり重要港湾だったのよ」
サキ:「横浜とか神戸みたいな?そんなに重要な場所だったの?」
エミ:「まず川の流れというのが現代と全く違って複雑な流路だったの。本当にややこしいけど、とにかく関東平野を流れる二つの大きな川の河口が江戸と浅草だったってことで、ざっくり理解してくれる?いちいち旧〇〇川とか、現在の流路とは違うとかいう説明は省いちゃうから了解してね」
サキ:「わかってるよ(笑)(エミちゃん早口になってる長文説明来るな)」
エミ:「まず江戸の地形だけど、日比谷は入り江、つまり海が入っていた小さな湾だったの。そして東京駅から有楽町駅あたりまでは東京湾につきでた「江戸前島」と呼ばれる半島だった。この日比谷湾に注ぐのが神田川で、西側の高台が江戸城、湾を挟んだ江戸前島の西側が今の大手町よ。だから、このあたりが寂しい漁村なんていうのは大間違い。関東諸国からの人と物が集まる海運・水運基地として機能してたの」

サキ:「うん、ありがとう。だいたい掴めた。大手町が海の近くで、にぎやかな港町みたいなとこだったってことね」
エミ:「そして、浅草も同じで、こっちは隅田川(旧荒川・利根川)の河口の港湾の拠点だったの」
サキ:「二大港湾都市って感じ?」
エミ:「そうね。ところが1201年、建仁元年——東京湾に大津波が来襲するの」
サキ:「ええっ!?東京湾に大津波?」
エミ:「台風による高潮ではと推定されている東京湾北部で発生した大津波で、東京、千葉の沿岸は壊滅的な打撃を受けるの。江戸や浅草も海のそばだったからかなりの被害を受けたはず。でも、よほど被害が大きすぎたのか、かえって史料ではよくわからないというのが実情。とにかく肥沃な関東平野の入り口として経済的に繁栄したはずの二つの港はおそらく一度壊滅」
サキ:「……そうか。1300年って、その津波から約100年後なんだ」
エミ:「そう。で、津波の後、復興に尽力するのはこの時は仏教の勢力だった。鎌倉幕府は直前の1199年に源頼朝が急死して、1202年にようやく頼家が後継将軍になったけど翌年1203年に将軍職を追われて、3代将軍実朝が就任。北条時政が執権就任ていう大混乱期だったの」
サキ:「大河ドラマ『鎌倉殿の13人』のクライマックスだね。あの内部抗争の最中に大津波があったんだ。それは政治からは放置されちゃうね」
エミ:「寂しい漁村じゃなかったって言ったけど。実際にはそのあとの100年はもとが大きい港湾だったけどに、むしろやっかいな廃墟って感じだったんだと思うの。たぶん、浅草も事情は同じだった」
サキ:「100年後にようやく宗教勢力が立て直しに動いたんだ。それまでは誰も世話をする人がいなくなって、ひたすら荒廃していく」
「祟り」の恐怖と、人々の絶望
エミ:「そう、この放置こそが将門塚と祟りと関連している、と思えるのよ」
サキ:「将門塚が放置されたから祟りに?」
エミ:「そうじゃないんだよね。将門塚は1300年頃に”再発見”されたというのが歴史的に見えるわ」
サキ:「えーっ?再発見?」
エミ:「将門塚は平安時代の将門の乱の時のものではなく、古墳だったって研究では考えられているの。前方後円墳とかにある石室」
サキ:「まさかの展開!」
エミ:「1300年ごろに江戸前島を宗教的な拠点として再開発した僧侶が、古墳の石室を見つけて、「将門の首塚」だと認定したというの実態なの」
サキ:「100年放置されてきたから、『これは古墳ですよ』って教えてくれる地元民がいなくなってしまったってこと?」
エミ:「まぁ、そういうことね。少ない住民たちも、港湾機能が失われると海の低湿地帯は衛生面でも生活にきつい土地だから、自然災害の爪跡と、原因不明の疫病の恐怖に付き纏われていたというのは自然よね」
サキ:「そこに、仏教パワーがやってくると」
エミ:「1305年、嘉元3年——時宗の高僧・真教上人(しんきょうしょうにん)が東国を巡りながらこの地に立ち寄るの。人々は上人に頼んで、将門塚の供養をしてもらう。上人は丁寧に回向を行って、将門に「蓮阿弥陀仏(れんあみだぶつ)」という法号を贈り、その2年後には自ら碑に刻んで塚の傍らに建てたということになっている」
サキ:「……つまり、当時の人たちには「なぜ」かが全然わからなかったんだよね。そこに高僧が『原因はこれです』って教えてくれる——それが当時の「科学」だったんだ」
エミ:「そう。ここからは完全妄想会話再現ドラマよ。クレームは無しで」
住民:「そんな恐ろしいことを起こすとは、この塚はいったい誰の墓なのですか?(古墳と認識している)」
高僧:「この塚は(うーん……誰だろう……関東で祟りを起こすような人物……源氏の先祖にするのはさすがにやばい……)そうじゃ、あの平将門じゃ!」
住民:(シーン)
高僧:「どうしたんじゃ?反応薄いのう」
住民:「あのお坊さま」
高僧:「なんじゃ?」
住民:「平将門が首をさらされたのは、ここ神田川でなく、隣の浅草の隅田川の上流の下総国の猿島(茨城県南西部)ですけど」
高僧:「(えっ、そうなの)知っておるわい!将門の首は京都に運ばれて晒されたのだがある夜、首が飛んで下総に帰ろうとしたが力尽きてここに落ちた。それで気づかれた首塚じゃ!」
住民:「そ、そうだったんですか!私たちが100年もこんなひどい目にあっているのはあの将門の怨霊だったのですね。まったくノーマークでした。これからはきちんとお祀りをいたします」
高僧:「そ、その通りじゃ。なお、お祀りするときはワシら時宗が今広めている『南無阿弥陀仏』と称えるだけでよいぞ」
住民:「えっ、そんなに簡単なことで!」
エミ:「というわけなのよ」
サキ:「エミちゃん、また見てきたようなお話を……でも面白い」
エミ:「この一連の出来事が、1300年ごろの江戸や浅草のリアルな姿なんじゃないかな。津波の傷跡が残り、施政者から放置され、疫病と祟りの恐怖に人々が怯えていた時代。浅草寺が再建された1300年って、そういう時代だったのよ」
サキ:「……なるほど。浅草寺の資料は残ってないけど、同じ江戸の、ほぼ同じ時代の話として、将門塚がヒントをくれてたんだ」
エミ:「そういうこと。だからここに来たかったの」
微高地という奇跡——なぜ浅草寺は生き残れたか
(二人は将門塚の前に静かに立ったまま)
サキ:「じゃあ、そんな過酷な時代に、なんで浅草寺は再建できたんだろ。浅草だって低湿地の中でしょ?」
エミ:「それがね——浅草寺の建っている場所に、将門塚がある江戸前島と同じ決定的な理由があるの。浅草寺って、広大な低湿地帯の中にぽっかりと浮かぶ「微高地(びこうち)」に建ってるのよ。ちょっとだけ高い台地ね。江戸前島も海に突き出た半島でしょ」
サキ:「「ちょっとだけ高い」ってそんなに重要?」
エミ:「大正6年に東京を台風の高潮が襲ったときの記録が残ってるんだけど——周りの低地がごっそり浸水してるのに、浅草寺を中心とする台地だけ、きれいに水害を免れてるの」
サキ:「つまり……自然のハザードマップで見たら、浅草寺の場所は「安全地帯」だったってこと?」
エミ:「昔の人って、そういう地形の読み方がすごく上手いのよ。水害から命を守れる場所に、祈りの場を作る。信仰と生存本能が一致してる」
サキ:「だから何度壊されても、「あそこ」じゃないといけなかったんだ。……浅草田んぼの真ん中に浮かぶ島みたいな場所に、人々が何度も何度も建て直した」
エミ:「津波で壊されても、戦で焼かれても。1300年の再建も、その長い歴史の一ページなのよ」
サキ:「……浅草寺の人混みと大手町のビジネス街の全く違う空気の中に、700年以上前から積み重なってる共通の祈りが見えてくる気がする」
(二人はしばらく無言で将門塚を眺め、そして手を合わせる)
浅草寺は、華麗な料紙を使い、見返しに金銀泥で美しい経意図が描かれた平安時代の装飾経「法華経(開結共)」(浅草寺経)が国宝です。2021年~22年の東京国立博物館・京都国立博物館での「天台展」でも展示されました。
🎵 今日のプレイリスト
サキ:「今日のテーマ……「再生」かな。何度壊されても立ち上がる、みたいな」
エミ:「いいわね。私はAimerの『残響散歌』を入れたい。廃墟の中から光を見つけるような曲調が、津波の後の江戸と重なるのよ」
サキ:「あ、いい。じゃあ私はヨルシカの『春泥棒』。3月で春だし、再建された浅草寺のイメージで」
エミ:「合う!」
サキ:「あと、これは将門塚に捧げる感じで——n-bunaの『夜明けと蛍』。ずっと誰にも気づかれなかった魂が、ようやく安らぐ感じがして……」
エミ:「……それ、ちょっと泣けてきた」
サキ:「え、大丈夫?」
エミ:「大丈夫(涙)。じゃあ最後は——Mrs. GREEN APPLEの『Soranji』。「祈り」がテーマの曲だから、今日の締めにぴったりだと思って」
サキ:「完璧じゃん!」
🎵 3月18日のプレイリスト「1300年の祈り——津波と祟りを越えた江戸の夜明け」
- Aimer「残響散歌」
- ヨルシカ「春泥棒」
- n-buna「夜明けと蛍」
- Mrs. GREEN APPLE「Soranji」


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