明治9年(1876年)4月1日 官庁、日曜全休、土曜半休に

明治9年(1876)4月1日 官庁、日曜全休、土曜半休制を実施。

(月曜日。大手町のオフィス近くのカフェで、ランチを終えた二人)

サキ:「はぁ〜、月曜日ってなんでこんなにダルいのかなぁ……。土日が短すぎるんだよぉ」

エミ:「わかるわ。でもね、サキちゃん。そもそも『日曜日が休み』っていう感覚、日本では明治になるまでなかったのよ」

サキ:「え? そうなの?」

エミ:「明治9年、1876年の4月1日——ちょうど今日の日付ね——官庁が日曜全休・土曜半休を正式に実施したの。日本の”週末”の始まりとも言える日なのよ」

サキ:「ええっ!? じゃあ今あたしが享受してる土日休みって、150年の歴史しかないの!?しかも土曜は半休ってことはいちおう会社に行くんだ!」

エミ:「そういうことになるわね。もっと言えば、この制度はまず官庁だけの話で、一般の労働者に週休制が広がるのは、ずーっと先の話なの」

サキ:「気になる! エミちゃん、詳しく教えてよ」

明治以前の「休日」事情

(エミがカバンから付箋だらけのメモ帳を取り出す)

エミ:「まず前提として、明治より前の日本には『週』という概念がなかったの」

サキ:「あ、そっか。七曜制って西洋のものだもんね」

エミ:「そう。じゃあ江戸時代の商人や職人はいつ休んでいたかというと、毎月1日と15日を休みにする『一日・十五日休み』が一般的だったの」

サキ:「月に2回!? 少なくない!?」

エミ:「少ないわよね。でもそれが当たり前だったの。他にも、一六いちろく——つまり1のつく日と6のつく日に休む暦もあれば、八の日に休むところ、五十ごとお——5と10のつく日に休むところ……バラバラだったのよ。でもだいたい休みは月に2日だけ」

サキ:「えー、少なっ!それに会社ごとに休みが違うの? それ不便すぎない?」

エミ:「実はね、まさにその不便さを嘆いた投書が残っているの。明治9年の3月26日、つまり新制度が始まるほんの数日前の読売新聞よ」

サキ:「おお、リアルタイムの声だ!」

エミ:「鳥森(新橋と思われる)に住む”指笑堂主人”というペンネームの人の投書なんだけどね——『諸会社の休日がいろいろで困る。同じ新聞社でも一六のところもあれば、八の日のところも、五十のところもあって、まことに煩わしい。今日はどこが休みだろうと思って出かけると休日じゃなかったり。官省で日曜日と定めてくれたら、諸会社も日曜に統一されて、どれほど便利になることか』って趣旨のことを書いているの」

サキ:「うわぁ、150年前の人の生の声だ……。”今日はどこが休みだろう”って、カレンダーが人によって違う世界じゃん。想像するだけで混乱するよぉ」

エミ:「でしょう? この投書、最後に『よけいな御世話をやくものは』って結んでいるのが面白くてね。”余計なお世話かもしれませんが、と言いつつ物申す人”って、今のSNSにもいそうよね」

サキ:「あはは。しかも明らかにペンネームのアカウント名だよね。Xのリプで『老婆心ながら〜』って言ってるおじさんだ」

エミ

ちなみに、官庁に「日曜休み」が導入されたのは1874年(明治7年)のこと。それまで官庁は「一六日」(1と6のつく日)を休みにしていたんだけど、外国との外交や貿易の実務で曜日制のほうが都合がいいということで、まず日曜全休が採用されたの。2年後の1876年に土曜半休が加わって、今の「週末」の原型ができたわけね。

「週休」が届かなかった人たち

(エミがメモ帳のページをめくる)

サキ:「じゃあ、1876年に官庁が日曜休み・土曜半休の週休2日一歩手前になって、そのあとみんな日曜が休みになったの?」

エミ:「ここがポイントなんだけど——ならなかったの。官庁やお給料で働く人たちには広がっていったんだけど、工場の労働者や商店で働く人たちは、なかなか週休制にならなかったのよ」

サキ:「そうだよね、想像はつくけど」

エミ:「一言で言えば、雇う側が休ませたくなかったからでしょうね。特に明治から大正にかけての製糸工場や紡績工場では、女性や子どもが長時間働かされていて、月に2回休めればいいほうだったの」

サキ:「月2回って……さっきの江戸時代の『一日・十五日休み』から明治維新してないじゃん」

エミ:「そうなの。明治の近代化で工場はできたのに、休日の感覚は江戸のままだったってことよね」

サキ:「うーん……」

エミ:「で、1911年——明治44年に日本で初めての工場法が制定されるんだけど、この中で女性と年少労働者に対して”毎月少なくとも2回の休日を設けること”と定められたの」

サキ:「あれ”月に少なくとも2回”って……週休どころか、江戸時代の月の2日すら明治の終りになってようやく保証したってこと?」

エミ:「しかもこの工場法、制定が1911年で、実際に施行されたのは大正5年(1916年)。5年もかかっているの」

サキ:「法律ができても施行まで5年……。反対が多かったんだろうなぁ」

エミ:「産業界からの反発が大きかったのよ。そして工場法が保証したのは月2回であって、週に1回の休みには程遠かった。中小企業や工場の労働者にとって、第1・第3日曜だけ休みというのが、第二次世界大戦まで一般的だったの」

サキ:「官庁が週休制になってから70年以上も、民間の人たちには届かなかったんだ……」

エミ

この時代に週休制や8時間労働を訴えた人物もいたわ。山辺清太郎やまべせいたろう(1876〜1957)は長野県神川かんがわ村の労働運動家で、内村鑑三の理想団に参加したのちに木下尚江の影響を受け、明治37年に神川村労働組合を結成。1日8時間労働制と日曜休日制を提唱したの。官庁で日曜休みが始まった1876年に生まれた人が、その休日の権利を工場の人にも広げようと闘ったのよ。

週休制、ようやく”当たり前”になるまで

(サキがアイスカフェラテのグラスを両手で包みながら)

サキ:「じゃあ、今みたいに毎週日曜休みが”当たり前”になったのって、いつなの?」

エミ:「法律としては、1947年の労働基準法がターニングポイントよ。1日8時間・週48時間の規制とともに、週休制が初めて法制化されたの」

サキ:「戦後になってやっと!」

エミ:「でもね、法律ができても現実はすぐには変わらなかったの。商店や零細企業では、1960年代後半の高度経済成長期に労働力が不足するまで、毎日曜きちんと休むということは一般的じゃなかったのよ」

サキ:「人手不足にならないと休ませてもらえなかった……ってこと?」

エミ:「皮肉な話だけど、そういう面はあるわね。労働者を確保するために待遇を良くしなきゃいけなくなって、ようやく週休制が実質的に広がったの」

サキ:「1876年の官庁から数えて……約90年かぁ」

エミ:「さらに言えば、今は『週休2日』——土曜も日曜も休むのが一般的でしょう? でも官庁の完全週休2日制が実現したのは平成4年の1992年よ」

サキ:「ええっ!? 週休2日って平成!?」

エミ:「そう。1876年の土曜半休から完全週休2日まで、実に116年かかっているの」

サキ:「116年……。”土日休みって少ない。月曜がダルい”とか言ってるのが申し訳なくなってきた」

エミ:「ふふ。月曜がダルいのは、きっと明治の官吏も同じだったと思うわよ」

サキ:「休日明けがダルいっていう感覚は、150年間変わってないんだね……」

エミ:「きっと人類普遍の感情ね」

サキ:「あの読売新聞の投書の人、”日曜に統一されたら便利になる”って期待してたけど、その便利さが届くまでにまさかこんなに時間がかかるなんて、想像もしてなかっただろうなぁ」

エミ:「でも、その最初の一歩がなければ始まらなかったわけだから。150年前の4月1日は、私たちの”当たり前”の出発点なのよ」

サキ:「……よし。じゃああたしは今日も、先人たちがくれた休日に感謝しつつ、月曜をがんばるよぉ」

エミ:「いい心がけね。ランチ休憩、あと5分で終わるわよ?」

サキ:「……もうちょっとだけ休ませてぇ」

🎵 プレイリスト会議

(残りのカフェラテをすすりながら)

サキ:「プレイリスト、ぱぱっと決めちゃおう。あたしは、雨衣の「お返事まだカナ💦❓おじさん構文😁❗️」

エミ:「お、なんで?」

サキ:「明治時代の指笑堂主人っておじさん、うざい感じもするけど、正論を言っているのがちょっと好感を持てた」

エミ:「そうだね、たしかに正義感のあるうざいオジサンだったと思う(笑)」

エミ:「じゃあ私は弌誠『モエチャッカファイア』を」

サキ:「おお、なんで?」

エミ:「なんでだろう?メイドさんの歌でしょう?明治時代のメイドって週休とかどうなってたのかなぁ?って」

サキ:「休み少なそう……もう1曲いい? 米津玄師「Plazma」も入れたいかな」

エミ:「どうして?」

サキ:「通学とか通勤って面倒で、毎日が日曜日になって!と思うこともあるけど、もしも改札を通らなければ、いろいろな人の人生が交差することもなかったんじゃなかったとも思った」

エミ:「(目を潤ませながら)それって私との出会いってこと?」

サキ:「私たち別に改札でぶつかって出会ったわけじゃない……まぁ、いいか、そういうことで……(こういうとき、エミちゃんって本当にきれいだなぁ……って、何考えてんだあたし)」

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