承久3年3月11日(1221年4月5日)公家の飛鳥井雅経が52歳で死去。「新古今和歌集」撰者で、蹴鞠の飛鳥井流の祖でもあり、サッカー大好き(鎌倉殿の13人)後鳥羽上皇に重用されました。
「飛鳥井雅経筆懐紙(詠暁紅葉和歌)」(根津美術館蔵)「熊野懐紙〈飛鳥井雅経筆/(行路水、暮炭竃)〉」(東京国立博物館蔵)「熊野懐紙〈飛鳥井雅経筆/(山路眺望、暮里神楽)〉」(大阪・湯木美術館蔵)などが重要文化財。
蹴鞠は江戸時代には飛鳥井流と難波流の2流しか教えることができない伝統スポーツとなり、そのライバルの難波家の資料「難波家蹴鞠関係資料」(滋賀・平野神社蔵)も重要文化財。
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