明治41年(1908年)3月23日 平塚らいちょうが森田草平と栃木県塩原の尾花峠で心中未遂。

明治41年(1908年)3月23日 平塚らいてう(らいちょう)が森田草平と、栃木県塩原の尾花峠で心中未遂。
らいちょうは裕福な家で育ち、日本女子大学校を卒業したあとに、文芸サークルで作家の森田と知り合った。心中未遂は大きなニュースとなり、らいちょうには批判が殺到したが、それにめげず、逆に若い女性たちを糾合して、明治44年9月に、「元始、女性は太陽であった」のマニフェストで知られる婦人文芸誌『青鞜』を発刊した。1971年に死去。
森田草平は、夏目漱石の弟子となり、文筆活動を続けた。

  • コメント: 0

関連記事

  1. 元禄14年3月14日(1701年) 江戸城中で高家吉良上野介を斬りつけた赤穂藩主浅野内匠頭に切腹を命じる

  2. 治暦5年2月5日(1069)仏師円快、絵師秦致貞、法隆寺の聖徳太子坐像(伝七歳像)を造る

  3. 大倉集古館 明治維新で官軍の兵站担当としてのし上がった政商大倉喜八郎のコレクション 「合縁奇縁」展

  4. ミッドウェイ海戦で釜ゆで?!戸高一成、大木毅著『帝国軍人』(角川新書)

  5. 天保2年1月6日(1831年2月18日)禅僧良寛が死去

  6. 応永35年1月18日(1428年2月3日)室町4代将軍足利義持、43歳で死去

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。