東北地方には、巨大な木造仏像があります。
福島県の会津地方の「立木千手観音」もその一つです。
その大きさ8・5メートル、東北地方では最大級の木造の仏像です。
福島県会津坂下町にある恵隆寺のご本尊の千手観世音菩薩立像です。国の重要文化財です。
この迫力を知るためには、お寺のHPや2010年のYouTubeの動画(超低精細)を見てください。
拝観者は下から見上げるので、ほとんど仏像の顔は見えません。

イメージ図(実際の仏像とは異なります)
【初春の会津坂下町 恵隆寺の門前】
(旧越後街道沿いの駐車場に車を停めた二人。吐く息が白い。サキがマフラーに顔を埋めながら、観音堂のほうをじっと見ている)
サキ:「……ここだ」
エミ:「うん」
サキ:「ばあちゃんが言ってた場所。”おっきい観音さま”って」
エミ:「おばあちゃん、会津のご出身だったんだよね」
サキ:「うん。大阪に来てからも、ずっと言ってたの。『あんなおっきい観音さま、他にはねぇ』って。会津弁でね」
(サキが少しだけ笑う。エミは何も言わず、隣を歩く)
サキ:「……なんだろう、このお寺の前に立ったら急に、足が重くなった」
エミ:「……うん」
サキ:「変なこと言ってるよね」
エミ:「ううん。行こう、中」

立っている

(寺務所で拝観料を払い、観音堂の中へ。二人の足音だけが、やけに響く)
サキ:「————」
エミ:「…………」
(しばらく、二人とも黙っている)
サキ:「……息、しちゃいけない気がする」
エミ:「……わかる」
サキ:「暗いんだけど、暗いだけじゃない。なんだろう、この……音がない感じ。空気ごと止まってるみたいな」
エミ:「うん」
サキ:「で、上を見たら——見えないの。顔が」
エミ:「8.5メートルあるの。お堂がぱんぱんで、一歩下がって全体を見ることが物理的にできないのよ」
サキ:「だから……見上げるしかない。見上げて、見上げて、それでもまだ全部は見えなくて」
エミ:「……うん」
サキ:「ねぇ、エミちゃん」
エミ:「ん?」
サキ:「立ってるんだよ、この仏さま。ずっと」
エミ:「…………」
サキ:「何百年も前から、ここで。同じ場所で。火の時代も、雪の時代も、ずっとここに立って、人が来て、拝んで、泣いて、帰って……でもこの人はずっと立ってる」
(サキが千手観音を見上げたまま動かない。薄暗い堂内で、無数の腕が影を落としている)
サキ:「なんか、私……泣きそう」
エミ:「…………」
サキ:「変だよね、仏像見て泣くとか。私そういうタイプじゃないのに」
エミ:「変じゃないよ。全然」

イメージ図
巨木が立ったまま作られた観音さま
エミ:「8・5メートルって160センチの人5人分以上」
サキ:「……5人分。人間がこれを造ったんだよね?」
エミ:「そう。欅の立木——生きたまま立ってる木を根がついたまま直接彫ったって伝わってるの。だから”立木観音”」
サキ:「木が……生きたまま、仏さまになったってこと?」
エミ:「……うん。その言い方、すごくいい」
(二人で堂内にひしめき合う二十八部衆と風神・雷神を見る。合わせて三十体の眷属が、千手観音を囲んで並んでいる)
サキ:「この周りの像もすごいね……私たちより背が高い。全部180センチ以上あるんでしょ?」
エミ:「うん。眷属がこれだけ揃ってるのは本当に珍しいの。全部一木彫で、もとは極彩色——金や赤や青で、今よりずっと華やかだったはずよ」
サキ:「そっか……。でも私、この色のほうが好きかも」
エミ:「なんで?」
サキ:「……時間の色、だから。何百年分の」
エミ:「…………」
(エミが小さくうなずく)
サキ:「ばあちゃん、お盆とかお正月にここへお参りしてたらしいの。子どもの頃から。それで大阪に嫁に来て、何十年も来てなくて……」
エミ:「うん」
サキ:「亡くなる前の年にね、『もう一回だけ観音さまに会いたい』って言ってた。結局、来れなかったんだけど」
エミ:「…………」
サキ:「だから今日——ばあちゃんの代わりに、会えたかなって」
(サキがマフラーで目元をぬぐう。エミはサキの肩にそっと手を置くだけで、何も言わない)
サキ:「……あーもう、泣いてないからね! 煙! お線香の煙が目にしみただけだからね!」
エミ:「はいはい。煙だね」
弘法大師が彫ったということ
(観音堂を出て、境内のベンチ。サキが自販機で買ったホットレモンを両手で包んでいる。山の空気はまだ冷たい)
サキ:「ねぇ、パンフレットに”弘法大師が彫った”って書いてあるけど、それって空海のことでしょ?」
エミ:「うん。寺伝ではそう伝わってるの。夢のお告げで欅の立木に彫ったって」
サキ:「あと、徳一っていうお坊さんの名前も出てくるよね。この人は?」
エミ:「生没ははっきりしないけど、だいたい空海と同じ頃を生きた平安初期の僧侶よ。特に福島ではとても大事にされてる人。会津東部の慧日寺(磐梯町)や東北のお寺をたくさん開いたって伝わっていて、恵隆寺のもとになった古い山の寺院も、徳一が関わった可能性はあると言われてるわ」
サキ:「へぇ……空海と徳一。すごいなぁ、どっちも平安時代のスーパースターじゃん」
エミ:「実はね——」
(エミが何か言いかけて、口を閉じる)
サキ:「ん? なに?」
エミ:「……ううん。なんでもない」
サキ:「えー、気になるじゃん!」
エミ:「いや……この仏像の年代についてはいろいろ説があるんだけどね。でも今日はいいかなって」
サキ:「?」
エミ:「だってサキちゃんのおばあちゃんは、空海さまが彫った観音さまを拝んでたわけでしょ。ここの人たちもずっとそう信じてお参りしてきた。……その気持ちのほうが、今日は大事かなって」
サキ:「…………」
エミ:「学問的なことはまた今度。論文モードのときにね」
サキ:「……エミちゃん」
エミ:「なに?」
サキ:「ありがとう」
エミ:「え、急にどうしたの」
サキ:「なんか、今のエミちゃんすごくやさしかった。いつもは”実はね!”って目キラキラさせて解説始めるのに」
エミ:「……う、うるさいなぁ。たまにはこういう日もあるの」
サキ:「ふふ」
エミのメモ📝
恵隆寺の立木千手観音は、像高8.5メートル、東北地方最大級の木造仏像で、国の重要文化財(大正4年指定)。観音堂も重要文化財で、建久年間(1190〜99年)の創建とされます。慶長16年(1611年)の大地震で倒壊し、元和3年(1617年)に会津領主の蒲生氏が復元しました。
恵隆寺は、中国の梁の人である青岩が6世紀に近くに創建したという古代山岳寺院(高寺山)が前身で、それを平安初期に徳一(760?−840?年)が再建したともいわれます。寺伝では千手観音像は空海(774-835年)の作とも伝わりますが、仏像の制作年代は文化財的には鎌倉時代初期とみられています。
磐梯山を望む越後街道の風
(門前の旧越後街道を少し歩く二人。冬枯れの道がまっすぐ東西に伸びている)
エミ:「この道、越後街道っていうの。会津と越後——今の新潟を結ぶ道。ここから西に進むと山に入っていくわ。」
サキ:「会津盆地の西端で磐梯山も見えるし交通の要衝だったんだね」
エミ:「平安時代の終わり、源義経が平泉の藤原氏の武将として、会津盆地の西側に出陣してきた記録があるの。少し北にいったところに、当時の遺構が残る陣ヶ峰城跡という遺跡があるの。あとで寄ってみたいわ」
サキ:「義経がこの町に来てたの!?伝説でなくて?」
エミ:「うん、平泉が栄えた頃、もともと会津は越後の城氏の影響内にあったとされているわ。しかし、奥州藤原3代の秀衡が軍勢を送って会津を奪取したという説があるの」
サキ:「もしかして、その軍勢を率いたのが義経?」
エミ:「そういうこと。はっきりはしないけど、鎌倉を追放されて平泉に匿われていた義経はなにもしなかったことはないんじゃないかって」
サキ:「なるほどね、当時日本最強の武将だもんね。そっかぁ義経がこの町にいたかもしれないんだ」
エミ:「越後と会津を結ぶ軍事的に大事な場所だから、幕末の戊辰戦争でも、新政府軍がこの街道を通って会津に攻め込んでる。というか、この目の前の道しか通れるところがないのよね」
サキ:「……義経の時代から、幕末まで。同じ道を、違う時代の人たちが歩いたんだ」
エミ:「そう。そしてその全部の時代を、あの観音さまは見てきたかもしれない。彫られる前の欅の木だった頃を含めると、それこそ途方もない年月を」
サキ:「…………」
(サキが振り返って、観音堂の屋根を見る。隣の寺務所の平屋と比べて、ずっと大きい)
サキ:「義経の時代も、戊辰戦争も、ばあちゃんの時代も。今日も立ってたんだね……ずっと。……(エミの横顔をちらりと見て)ううん、きっと。」
エミ:「ん?」
サキ:「まるで会津の空を、支えてるみたい」
エミ:「そうだね。お堂の中にいるけど、確かに空を支えてるくらいの存在感だわ」
サキ:「あの沈黙——8.5メートルの沈黙。あれは忘れない、たぶん一生」
エミ:「……うん」
サキ:「ばあちゃんが言ってた意味、やっとわかった気がする。”おっきい”って、サイズのことだけじゃなかったんだよ」
エミ:「おばあちゃん、喜んでると思う」
サキ:「……そうかな」
エミ:「うん。絶対」
(サキがもう一度だけ振り返り、観音堂に向かって小さく頭を下げる)
サキ:「また来るね、観音さま」
(エミが少し離れたところで見守っている。冬の光が、二人の間をやわらかく照らしている)
恵隆寺(立木観音)情報
所在地:福島県河沼郡会津坂下町大字塔寺字松原2944
宗派:真言宗豊山派 山号:金塔山
ご本尊:千手観世音菩薩立像(重要文化財・像高8.5m)
観音堂:重要文化財
会津三十三観音 第三十一番札所

イラスト

門前を東西に走る旧越後街道(会津坂下町)


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