承久3年3月11日(1221年)蹴鞠飛鳥井流の祖・飛鳥井雅経が52歳で死去

承久3年3月11日(1221年4月5日)公家の飛鳥井雅経が52歳で死去。「新古今和歌集」撰者で、蹴鞠の飛鳥井流の祖でもあり、サッカー大好き(鎌倉殿の13人)後鳥羽上皇に重用されました。

建久9年1月17日(1198年2月24日)後鳥羽上皇が院政を始める

「飛鳥井雅経筆懐紙(詠暁紅葉和歌)」(根津美術館蔵)「熊野懐紙〈飛鳥井雅経筆/(行路水、暮炭竃)〉」(東京国立博物館蔵)「熊野懐紙〈飛鳥井雅経筆/(山路眺望、暮里神楽)〉」(大阪・湯木美術館蔵)などが重要文化財。

蹴鞠は江戸時代には飛鳥井流と難波流の2流しか教えることができない伝統スポーツとなり、そのライバルの難波家の資料「難波家蹴鞠関係資料」(滋賀・平野神社蔵)も重要文化財。

  • コメント: 0

関連記事

  1. 正保4年2月6日(1647年)茶人小堀遠州、69歳で死去

  2. 「古美術逍遙~東洋へのまなざし」(泉屋博古館東京)感想

  3. 永正9年閏4月2日(1512年5月17日) 駿河の今川氏親の軍勢が遠江の斯波義達と戦う

  4. 昭和18年(1943年)3月19日 洋画家の藤島武二が77歳で亡くなる

  5. 寛治4年1月22日(1090年2月24日) 白河上皇、熊野に行幸。紀伊国の田畑100余町を寄進、初めて熊野三山検校を置く

  6. 瀧山寺 運慶作の仏像に納められた源頼朝の毛と歯【愛知・岡崎】

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。