【3月29日(日)夜 エミの自宅でサキと一緒に「豊臣兄弟!」第12話「小谷城の再会」を視聴した後】

サキ:「はぁ、息をつく間もない怒涛の展開だったね」
エミ:「今週の『織田兄妹!』面白かったわ」
サキ:「ボケだよね? いちおうツッコむむけど、豊臣兄弟!だからね……。たしかに、信長とお市の兄妹の悲劇については、あえて説明なくても理解しているけど、エミちゃん、なにか言いたそうだね」
エミ:「天正元年(1573年)9月1日——浅井長政は小谷城で自刃するわ」
サキ:「お市の方の旦那さん、茶々たち三姉妹のお父さん。今回のドラマではめっちゃ愛妻家で、いい人だから、なんか可哀そう」
エミ:「織田信長の妹のお市を妻にして、信長と同盟を結んでいた北近江の大名。でも信長を裏切って、最後は信長に攻められて……という話なんだけど、今日は大河ドラマで、生まれたばかりの茶々(1569年生まれ)のお兄さん『浅井万福丸』という少年(お子様)が登場したから、ちょっと違う角度から話したいの」
サキ:「違う角度?」
エミ:「”浅井長政”という名前そのものの謎。そこから見えてくる、お市との結婚時期の問題。そして万福丸の母についてよ」
サキ:「長政の名前の謎……?きょうの『豊臣兄弟!』で万福丸はお市の実子ではなく前妻の息子みたいな感じだったけど、どんな歴史の謎が出てくるのかな」
第1章 小谷城落城——燃えなかった城
(エミが紙に第1章、第2章、第3章とボールペンで書く)
サキ:「えっ?第3章まである話なの?大河ドラマ本編より長くなりそう(笑)」
エミ:「まず、落城の経緯から整理するわね。天正元年(1573年)、織田信長に攻められた小谷城で、8月29日に父の浅井久政が自刃。翌日——この年は8月が小の月だから8月30日がなくて、翌日がもう9月1日なんだけど——長政も城内で自刃したの」
サキ:「8月30日が存在しないって、旧暦ならではだねぇ」
エミ:「ちなみに『信長公記』では久政が8月27日、長政が28日に自刃したと書いてあるんだけど、これは間違いなの」
サキ:「え、信長公記が間違い? エミちゃんがいつも信頼性が高いっ言ってる資料なのに?」
エミ:「江戸時代の軍記物語に比べたら信憑性はケタ違いに高いけど、信長公記も一次資料ではなくて、あとの時代になって、太田牛一が当時のメモなどをもとに編纂したものだから、丸のみしては危ないのよ」
サキ:「なるほど」
エミ:「話を続けると、8月29日付で、長政が家臣に”籠城してくれてありがとう”と礼を述べた書状が残ってるのよ。28日に死んでたら29日に手紙は書けないわよね。浅井家の菩提寺にあった長政像の賛にも、信長公記とは違う日付が記されてるの」
サキ:「なるほど……信頼性の高い資料にも誤りはあるってことか。複数の資料を突き合わせるの、大事だね」
エミ:「そしてね、大河ドラマ『江〜姫たちの戦国〜』では小谷城が炎上する場面が描かれたけど……」
サキ:「あー、映像的にはめちゃくちゃ映えるやつ」
エミ:「でも発掘調査では、焼けた痕跡が一切見つかっていないの。小谷城は燃えていなかったのよ」
サキ:「えっ!? じゃあ、静かに落城したってこと? それはそれで……なんか重いね」
落城時、お市と長政の間に生まれた浅井三姉妹(茶々=のちの淀殿、初=京極高次の妻、江=豊臣秀勝→徳川秀忠の妻)は脱出して信長方に保護されました。一方、長政の長男・万福丸(当時10歳)は捕らえられ、関ヶ原(岐阜県)で処刑されています。
第2章 「長政」の「長」はどこから来たのか
サキ:「で、さっき言ってた”名前の謎”って?」
エミ:「浅井長政って、最初からその名前じゃなかったの。もともとは”賢政“と名乗っていたのよ」
サキ:「賢政? 賢を「かた」って読ませるんだ」
エミ:「1559年、15歳で元服したときに、南近江の大名・六角義賢から一字をもらって”賢政”と名乗ったの。同時に、六角家の家臣・平井定武の娘を妻に迎えてる」
サキ:「えっと……つまり六角氏の子分扱いだったってこと?」
エミ:「そういうこと。上の人から名前の下の一字をもらって自分の上の文字にするって、事実上の臣従を示すからね。でもね、結婚からたった3か月後の4月に、この平井の娘と離縁してるの」
サキ:「3か月!? 早っ……」
エミ:「これは六角氏との決別の意思表示よ。実際、翌1560年8月に六角氏と野良田の戦いで正面衝突して、勝利してる」
サキ:「で、当然、六角氏からもらった”賢”の字を捨てたってわけだ」
エミ:「そう。1561年5月頃に”浅井長政”に改名してるの。六角義賢の”賢”を捨てて、”長”に変えた」
サキ:「あ……”長”って、まさか——」
エミ:「そう思うでしょ?前年の1560年には桶狭間の戦いで信長が今川義元を討ち取っている。元長浜市長浜城歴史博物館の館長だった太田浩司さんは、著書『浅井長政と姉川合戦』の中で、”長”は織田信長の一字だと解釈してるの。つまり改名が浅井・織田同盟の成立、お市との婚姻を意味するって」
サキ:「おお、すごくきれいなストーリーだけど……」
エミ:「でしょ? ただ、私はちょっと引っかかるのよね」
サキ:「え、引っかかる?」
エミ:「考えてみて。1561年の時点で、信長はまだ尾張全土すら完全に制圧できていないの。犬山城とか、まだ落としてないのよ」
サキ:「あー……。じゃあ、信長ってこの時期にほかの大名に名前を与えるほど”格”が高くなかったってこと?」
エミ:「そう考えられるわね。実はこの件について、面白い比較をすることが、今回の大河ドラマ『豊臣兄弟!』でできるの。覚えているかしら?桶狭間のあと、同じ時期に信長の”長”をもらったのが、木下長秀——のちの豊臣秀長ね」
サキ:「秀吉の弟!たしかに長秀で、のちに秀長に変えたって言っていたね」
エミ:「つまりこの頃の信長は、同盟相手の家康にはもちろん、部下の秀吉にも名前の一字をあげていない。あげてるのは秀吉の弟の小一郎レベルなのよ。そんな信長から、仮にも北近江の大名が一字をもらう? ちょっと不自然じゃない?」
サキ:「たしかに……。家康だって今川義元の”元”を捨てたとき、信長の字はもらわなくて”家康”にしたんだもんね。同格かそれ以上じゃないと、一字をもらう意味が薄いってことかぁ」
エミ:「そうなの。だから私は、長政の改名は”とにかく六角の賢の字を変えたかった”のが一番で、信長の字と重なったのは偶然だった可能性があると思うの」
1560年の桶狭間の戦いで今川義元が戦死した後、松平元康(義元から”元”の一字を受けていた)は今川から独立して松平家康に改名しています。浅井長政の改名も、六角氏からの独立を示すという点で、同じ構造の出来事と言えます。なお家康は1566年(永禄9年)に松平から徳川に姓も変えています。
第3章 お市はいつ嫁いだのか——3つの説と万福丸の母はだれか?
サキ:「この名前の一字の話って、お市との結婚時期とも関係してるんだよね?」
エミ:「お市がいつ浅井家に輿入れしたかは、実は確定していないの。大きく3つの説があるわ」
サキ:「3つも?」
エミ:「1つ目が1561年(永禄4年)説。さっきの長政への改名と同時期ね。2つ目が1564年(永禄7年)説。3つ目が1567年(永禄10〜12年)説。大河ドラマとか最近のフィクションでは、3つ目の1567年説が使われることが多いわ。「豊臣兄弟!」もこの1567年説が採用されているわね」
サキ:「1567年説が人気なんだ? なんで?」
エミ:「ドラマチックだからじゃないかな。冒頭で紹介した『お江』の燃えていなかった小谷城炎上の例もあるけど3つ目の説を採用するとね……」
サキ:「どうなるの?」
エミ:「翌年の1568年に信長が足利義昭を奉じて上洛するでしょ? その前年にお市を嫁がせて浅井と同盟を結ぶ——上洛の布石としての政略結婚。ストーリーとしては最高にきれいなの」
サキ:「確かにドラマ映えしそう……」
エミ:「でもね、ちょっと冷静に考えてみて」
サキ:「(あ、エミちゃんのこの目、”通説ぶった斬り”モードだ……)」
エミ:「長政は15歳で最初の妻と結婚して、3か月で離縁した。その後お市と結婚するまで独身だったという——1567年説だと、15歳から23歳まで8年間独身ってことになるのよ」
サキ:「8年間!? 戦国大名が独身?」
エミ:「後継ぎを作ることが大名の最重要任務の一つだった時代よ。女嫌いとか、上杉謙信みたいに宗教的理由があったならともかく、お市との間に少なくとも3人の娘をもうけてるんだから、そういう理由じゃない」
サキ:「確かに……。現代なら別に不思議じゃないけど、戦国時代だと”ありえない”レベルだよね」
エミ:「そして万福丸の問題もあるの」
サキ:「今回、登場した前妻の子で、小谷城落城のあとに10歳で処刑される浅井長政の長男がようやく出てくるのね」
エミ:「万福丸の生年は1564年なの。1567年結婚説を採ると、万福丸の母親はお市じゃないことになる。でも、最初の妻の平井の娘は1559年に離縁してるから、その人でもない」
サキ:「えっ……じゃあ誰が母親なの?」
エミ:「それがね、母親候補の名前(お市以外には)がまったく不明なのよ。戦国大名の嫡男——つまり跡取りの母親の実家の名が一切残らないなんて、当時の常識からするとかなり異常なことなの」
サキ:「……ああ、そっか。つまり万福丸の母親がお市だった方が自然ってことだね。だとすると、結婚は万福丸が生まれる前……」
エミ:「1564年以前、つまり1つ目か2つ目の説になるわね」
なお、長女の茶々は1569年生まれ、次女の初は1570年生まれ、三女の江は1573年生まれです。
サキ:「でもさ……信長は万福丸を処刑してるじゃん。もしお市が万福丸の母親だったら、自分の甥っ子を殺したってことだよね?」
エミ:「現代の感覚だとショッキングだけど、当時としてはむしろ自然な判断なの。男子は成長すれば家の再興を旗印に兵を挙げる可能性がある。でも娘たちは嫁がせれば政治的に利用できる。実際、三姉妹はそれぞれ政治的に重要な結婚をしてるでしょ」
サキ:「茶々は秀吉の側室になって淀殿、初は京極高次に嫁いで、江は最終的に徳川秀忠の妻……。うわぁ、信長の計算通りってわけじゃないけど、結果的にはすごいことになってるね」
エミ:「太田浩司さんの本では、桶狭間の直後で名前を『長政』に変えた1561年が「状況的に最も無理がない」としている。でも私は、信長が尾張全土の制圧を終えて美濃の斎藤氏との本格対決に臨む1564年が、同盟の必要性からも最も自然かなと思っているの。とはいえ、1つ目と2つ目は、3つ目に比べると、両方ありえるかな。ちょうどこの頃、六角氏は美濃の斎藤氏と同盟を結んでいたから、南近江=美濃の同盟に対抗して、北近江=尾張の同盟を組むのは戦略的にも理にかなってるのよ」
サキ:「なるほどねぇ……。ドラマチックさでは1567年説に負けるけど、状況証拠を積み上げると1561年説か1564年説の方がしっくりくるんだ」
エミ:「歴史って、一番ドラマチックな説が正しいとは限らないのよね」
サキ:「でも、それを調べて突き詰めていく過程が、ドラマよりドラマチックだったりするんだよね……」
🎵 プレイリスト会議
サキ:「今日は緊急だからプレイリストは1曲ずつにしようか?私は、YOASOBI『アイドル』」
エミ:「えっ、推しの子? この文脈で?」
サキ:「だってさ、この曲って”本当の自分を隠して完璧な偶像を演じる”って話じゃん。浅井長政も、六角氏の家臣として”賢政”を演じてたけど、本当の自分——”長政”として立ち上がったわけでしょ? 名前を変えるって、自分を取り戻すことでもあるのかなって」
エミ:「……なるほど、それに『アイドル』は、お市や茶々のアイドル性と悲劇の運命にもしっくりくるね。じゃあ、私はfripSide『only my railgun』」
サキ:「超電磁砲!? なんで!?」
エミ:「”立ち向かう”ってテーマで。15歳で六角氏に反旗を翻して、自分の名前で戦い始めた長政の姿って、ちょっとレールガンっぽくない?」
サキ:「……『光の速さで駆け巡った確かな予感』も、長政のこれからの運命的な選択も暗示していて、『嫌いじゃない』選曲だよ」
エミ:「あはは」
参考文献:太田浩司『増補版 浅井長政と姉川合戦——その繁栄と滅亡への軌跡』(サンライズ出版、2023年)


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