史跡「大桑城」(岐阜県山県市)道三に追われた守護大名・土岐氏の幻の山城

こんにちは、当ブログ管理人のエミです。2025年12月に史跡に新指定されることが決まった岐阜県山県市の大桑城跡。実はこの城、ずっと前に冬の雪山で一人で登ったことがあるのですが……その体験が壮絶すぎたので、当時の写真を見ながらサキちゃんに話を聞いてもらいました。(※2025年12月の新指定ニュースはこちらの記事で紹介しています)

【文化財ニュース】聖武天皇の「幻の都」が特別史跡に!エミとサキの新指定トーク 2025冬編


雪の大桑城に突撃したら遭難しかけた話

【某日の夜 エミの部屋】

(サキがエミから共有された写真フォルダを見ている)

サキ:「ねえエミちゃん、この写真なに?めっちゃ雪積もってるけど……雪山登山?」

エミ:「ああ、それ!岐阜県山県市の大桑おおが城に登った時の写真。冬に一人で行ったんだよね……大河ドラマ『麒麟がくる』の時」

サキ:「オオガ城?あ、この前の文化財ニュースで出てきたお城だ!国の史跡に指定される遺跡だよね。重要文化財級の」

エミ:「そうそう。大桑城は岐阜県山県市の標高407メートルの古城山こじょうざんの山頂にある山城よ」

サキ:「407メートル!それ普通に登山じゃん!」

エミ:「ここはただの山城じゃなくて、美濃国の守護大名・土岐とき氏の最後の本拠地だったの。信長や斎藤氏より前、この地域の支配者だった名門一族よ」

サキ:「守護大名って、室町幕府に任命された地方の偉い人だよね。その人のお城がこんな山の上に?」

大桑城

エミ:「そう。しかもね、この城には別名があるの。『金鶏山きんけいざん』」

サキ:「金の鶏……?」

エミ:「落城の時に、土岐氏が家宝の金の鶏を城内の井戸に沈めたっていう伝説があってね。その金の鶏が、元旦の朝に鳴くっていう言い伝えがあるのよ」

サキ:「ええっ!お正月に金の鶏が鳴くの!?なにそれ神秘的」

エミ:「でしょ?で、その金の鶏を沈めなきゃいけなくなった理由が、あの斎藤道三どうさんなの」

土岐氏と斎藤道三——美濃の下剋上

サキ:「『麒麟がくる』で本木雅弘さんが演じてた、『国盗り物語』のマムシの道三だ」

岐阜城で展示されている本木雅弘さんの衣装

エミ:「そうそう!話を整理するとね、もともと美濃国は土岐氏がずっと治めてた下剋上とはほど遠い国だったの。でも、その土岐氏のお家騒動に付け込んで、油売りから身を立てたとも言われるような男が、最後には守護大名を追い出して国を丸ごと奪ってしまう……」

サキ:「下剋上の教科書みたいな話だ」

エミ:「まさにそう。流れを簡単に言うと、道三はまず土岐頼芸らいげい(1501~82年)っていう守護の次男坊に取り入って、兄の頼武よりたけを追い出す手助けをしたの。頼芸は見事、美濃国主となることができた。頼芸は道三を重臣に取り入れて、頼芸の愛妾だった深芳野みよしのまで譲り渡しちゃった」

サキ:「えっ、道三って主君の元カノと結婚したの!?」

エミ:「そう。で、その深芳野が産んだのが斎藤義龍。義龍の実の父親が頼芸か道三かで、のちに大問題になって、結果的に義龍は父の道三を戦で殺すことになるんだけど、それはまた別の話。土岐氏の本拠地は当時、稲葉山の北側の長良川のほとりの「枝広館」だったの。でも1535年に長良川の洪水で枝広館が水没したため、本拠地として水害に強い山の上の大桑城を築城した。
でも道三と頼芸の関係は悪化していったわ。ついに道三は主君だった土岐氏の本拠——つまりこの大桑城を攻めるの。天文12年(1543年)のこの事件を『第一次大桑城攻略作戦』とでも呼んでおくわ」

サキ:「恩を仇で返す……マムシすぎる!」

エミ:「その時は尾張に逃げて、そこで尾張守護代の織田信秀——信長のお父さんね——の仲介で道三と和睦するんだけど、実はその信秀と道三が裏では同盟交渉をしていたの」

サキ:「それって、もしかして?」

エミ:「そう。信長(信秀の嫡男)と濃姫(道三の娘)の政略結婚よ」

サキ:「うわぁ、はしご外されて、滅亡フラグ」

エミ:「それで道三は『第二次大桑城攻略作戦』を発動、天文16年(1547年)に大桑城はとうとう落城。道三の手で焼かれてしまった。名門土岐氏の本拠城としての存続期間は12年くらいってことね。翌天文17年(1548年)に信長と濃姫が結婚して尾濃同盟が成立よ。下の書状があるように、頼芸は本来は敵だった越前の朝倉氏とも和解して、道三への抵抗を続けていたけど、天文19年(1550年)頃に美濃から完全追放に」

エミ

土岐頼芸については分からないことが多く、名前の読みも「らいげい」(私はらいげい派)、よりのり、よりなり、生年も1501年、1502年説、落城の年も諸説ありと、さまざまなエピソードに複数の説があるけど、ざっくり理解できるように一つの年に絞っています

サキ:「うわぁ……。で、追い出された土岐頼芸はどうなったの?」

エミ:「流浪の人生を送ることになる。ここも諸説あるんだけど、六角氏を頼ったはずだけど、1568年に美濃を支配した織田信長が上洛をはかり、京都の手前に位置する六角氏を滅ぼしてしまう。その後は、越前の朝倉氏を頼った可能性があるけど、朝倉氏も1573年に信長によって滅亡させられる。武田氏に亡命したという説もあるけど、武田氏も……」

サキ:「信長えぐすぎ」

エミ:「さらに信長が保護していたという説もあるね。そうだとすると、美濃には帰さずに、京都や安土に屋敷を与えて座敷牢状態だったんじゃないかな。当時、美濃は武田軍に攻め込まれていたから、美濃に正統な土岐氏なんて居たら政治的に危険すぎるから」

サキ:「確かに信長にとって危険人物だ」

エミ:「そして武田氏が信長によって滅ぼされた1582年(本能寺の変の年でもある)にようやく、美濃三人衆の稲葉一鉄によって、美濃国大野郡岐礼きれ(岐阜県揖斐川町)に迎えられた。81歳だった。そして翌年亡くなるわ」

サキ:「81歳で故郷に帰還!?土岐頼芸、しぶとい……。ていうか、大桑城から追い出された後の人生の方が長いじゃん」

エミ:「ちなみに頼芸は鷹の絵がとっても上手な文化人でもあったの。『土岐の鷹』って珍重されてたんだよ、実物が残っていないからどんな絵かは今は分からないけど。武将としてはアレだったかもしれないけど……」

サキ:「文化人タイプの殿様が、マムシに食われちゃったんだ。文化ばかりにかまけてたのかなぁ」

エミ:「そうそう、そう思うよね。でも、大桑城を訪れれば、その考えが一変するのよ」

サキ:「わぁ、楽しみ」

大桑城跡は、室町時代から戦国時代にかけて権勢を誇った、美濃国の守護土岐氏の山城です。
天文4(1535)年に発生した長良川の大洪水により、枝広(現在の岐阜市長良公園)にあった守護所は大きな被害を受けました。当時の守護土岐頼芸は、大桑に政治的機能を移し、城と城下町を整備したとされています。
天文12(1543)年、勢力を増していた斎藤道三との間に大きな戦いが起こり、大桑城は落城、頼芸は天文19(1550)年頃に道三に追放されました。 現在、標高407.5メートルの古城山の山頂一帯には、大小160余の曲輪(山の斜面に造成された平坦地)が分布しており、また敵が容易に侵入できないよう、堀切、竪堀が設けられ、さらに一部に石垣も残っています。
山麓の城下町の入り口には、四国堀(市史跡)・越前堀・外堀という大規模な堀と土塁からなる防御施設(惣構)が築かれていたことから、大桑城は堅固な城であったと考えられています。(山県市のHPより引用

麓に広がる四国堀と城下町

エミ:「さて、前置きが長くなったけど、実際に訪れた話をするね。まず麓の集落に着いたら、城下町だったって書いてあったの。でも、今は正直、村ってレベルの集落で、本当に美濃の中心だったのかなって……ところが、麓に残る巨大な土塁と堀からなる四国堀しこくぼりを見て、圧倒されたわ」

麓に残る「四国堀」。谷の入り口を真横に塞ぐ土塁と堀が直線で続く。尾張・伊勢・越前・近江の四か国から加勢を受けて築造したと伝わる

結構深い堀

サキ:「あ、この堤防みたいなやつ?四国って、愛媛県とかの四国、じゃないよね」

エミ:「そう、この名前が超重要ポイントなの。尾張・伊勢・越前・近江の四か国から加勢を受けて築いたから『四国堀』なんだって」

サキ:「四つの国から援軍!さっき出てきた信長の父(尾張)、近江の六角氏、越前の朝倉氏、伊勢は?」

エミ:「伊勢は北畠氏かな、これも名門ね。私はこの四か国の協力は、国際的な安全保障に近いものだと思っているの。築城の名のもとに平和維持軍を各国から送って、土岐氏や斎藤道三らの内紛を牽制したんじゃないかって。自国に飛び火しないように」

サキ:「なるほど。戦国時代って別に信長みたいに、みんなが天下統一目指していたわけじゃないもんね。むしろ国内の安定が最優先だったかもしれない」

エミ:「大桑城の麓の集落には、土岐氏やその家臣たちの館の伝承地が残っているだけでなく、発掘調査でも、麓には城下があったことが分かっているのよ。谷を封鎖する四国堀など、越前の朝倉氏の一乗谷を参考にしたっていう説もあるわ」

サキ:「一乗谷の城下町を参考に!山城と麓の城下町って、当時の最新の町づくりプランだったんだね」

エミ:「そうなのよ。信長も平地の清須城から山の上に城、麓に城下町という小牧山城を築城したように、戦国時代のトレンドだったみたい。それはともかく、私が麓を歩いていたとき、雪なんてまったく積もってなかったのよ。天気も悪くないし、余裕でしょって思って」

サキ:「……フラグ立ってるよ、それ」

山頂にミニ天守が見える

車でショートカット登山口へ——山には銀世界が待っていた

エミ:「麓から一気に標高407メートルを登山するルートもあるんだけど、さすがにそれは……車で林道をぐんぐん登って、はじかみ林道登山口の駐車場に着いたら——」

サキ:「着いたら?」

エミ:「あれっ、なんか異常に空気が冷たい」

サキ:「うわっ」

エミ:「標高が上がると全然違うの。麓では晴れてたのに、ちょうどなんか曇り空になって。でも登山口のあたりには雪は日陰のところにしか積もっていなかった」

サキ:「引き返そうと思わなかったの!?」

エミ:「……だって、せっかく来たんだもん」

サキ:「出た、エミちゃんの悪い癖!なんでも『今でしょ』じゃないんだよ!」

エミ:「だってこの城、ずっと来たかったの!大桑城から稲葉山(岐阜城)が見えるって聞いてて、土岐氏と道三が睨み合った距離感をこの目で確かめたかったんだから!」

登山口にある大桑城跡の詳細な縄張り図(岐阜県中世城館跡総合調査報告書第2集より)。主郭部、曲輪群、堅堀、切井戸、番所跡などが描かれている。が、登山口から城跡にたどり着くまでの尾根の道がなんだかやばい


サキ:「……で、この地図見て登り始めたと」

エミ:「はじかみ林道登山口からだと山頂まで約20分のコースなんだけど、いきなりすごい斜面が目の前に……」

登城開始——ロープを握りしめ雪山を征く

落ち葉ですべる急斜面。ロープがなければ登れない

サキ:「ちょっと!この写真!ロープって、登山のロープじゃん!」

エミ:「お城の登山道にしてはかなり急斜面でしょ。しかも落ち葉が雪解けの水で湿って、足元がズルッズルなの」

狭い尾根の道を慎重に歩く

サキ:「雪あるじゃん。こわすぎる……。一人で行ったんでしょ?滑落したら誰にも気づいてもらえないよ!」

エミ:「うん、途中でちょっと本気で後悔した。でもロープ頼りに少しずつ登ったら、城の遺構が見え始めてね」

残雪の中に見える石垣遺構

エミ:「ほら、『石垣』の標識!雪で埋もれかけてるけど、ちゃんと石が積まれてるでしょ」

サキ:「本当だ……。右端のロープもリアル。この時に引き返したほうがよかったのでは?」

エミ:「石垣が見えたら進むのが城攻めってもんでしょ!」

サキ:「いや、そんなルールない」

雪中行軍——猿馬場、台所、堀切

「伝猿馬場」の石碑。一面の雪に覆われている

エミ:「さらに登ると、伝『猿馬場さるばば』。馬を繋いでおく場所だったと言われてる平場ね」

サキ:「猿馬場!猿なのか馬なのか、名前が面白い。……ていうか全部真っ白じゃん。これ平場って言われても雪しか見えないよ」

エミ:「そうなのよ(笑)。私もこんなに雪が積もっている山城を攻めたのは初めてだった。地形がぜんぶ雪の下に隠れちゃうの。でも逆にね、雪があるから平場の広さがよくわかったの。ここ結構広いでしょ?」

エミ:「これは尾根筋を断ち切っている堀切ほりきりか竪堀の遺構だと思う。チャートの岩盤をがっちり削り取ってるわ」

サキ:「敵が尾根伝いに攻めてくるのを防ぐためのリアルなダンジョンだ……」

小牧山城と同じチャートの岩でできた山であることがわかる尾根道

伝「臺所(台所)」の標識。雪に覆われた平場が広がる

エミ:「そしてここが伝『台所だいどころ』。城の炊事場があったとされる場所ね。山頂付近の広い平場で、庭園跡が見つかっているから、割と大きな御殿が建っていたのかも」

サキ:「台所かぁ。ここでご飯作ってたんだね。標高400メートルの山の上で。……冬は大変だっただろうなぁ」

エミ:「ほんとにね。私はショートカットの登山口からちょっと登ってるだけでヘロヘロなのに、ここで暮らしてた人たちは麓から毎日水を汲んで薪を運んで……」

ついに山頂!——模擬天守と伝天守台

木々の間から模擬天守が見えた!

サキ:「あっ!お城が見えてる!」

エミ:「そう!木々の間から模擬天守が見えた瞬間、もう感動で泣きそうだった。雪の中をここまで来たかいがあったって」

サキ:「模擬天守ってことは、当時の建物じゃないんだよね?」

エミ:「そう。1988年に3年かけて建てられた3メートルくらいのミニチュアの模擬天守。でもこれがいい位置に建ってて、山頂のランドマークになってるの。作ったはいいけどメンテナンスは大変っぽい、どうするんだろとか突っ込みどころはたくさんあるけど、遭難しそうな私には、人間の匂いがあるって安心できた拠りどころだった」

サキ:「3メートル、小さいんだね。それより大丈夫?遭難してない?」

エミ:「主要な曲輪は南向きだからか、雪があまり積もってなかったんだよね。展望も開けて、めっちゃテンションあがった」

視界が広がった!

最高地点への尾根の細い道を行く。雪が完全に積もっていたら断念するレベルの細い道のり

古城山(金鶏山)山頂、標高407.5メートル。三角点の柱と山頂標識

エミ:「そして山頂到着!古城山こじょうざん金鶏山きんけいざん)、標高407.5メートル!」

サキ:「おおお!登頂おめでとう!三角点もあるんだ。ていうかめっちゃ雪じゃん」

絶景!——大桑城から稲葉山(岐阜城)を望む

大桑城下の地形が一乗谷のように谷地形であることがわかる

3年かけてこのミニ天守を作ったらしい

サキ:「……わぁ」

エミ:「でしょ?これが大桑城から見た景色」

サキ:「すごい……。山の上からこんなに見えるんだ。冬の空気が澄んでるから、夕方だけど遠くまでくっきりだね」

サキ:「あっ!あの山の上にうっすら何か見える!これって?」

エミ:「それ!あれが稲葉山——今の岐阜城の模擬天守よ。直線距離で約14キロ」

サキ:「14キロ!?見えるんだ!」

エミ:「見えるの。つまり土岐頼芸は、この大桑城から道三の稲葉山城を見てたんじゃないかってこと。そして道三も、稲葉山から大桑城の方角を見てたはず」

サキ:「互いのお城が見える距離で、主君と家臣が睨み合ってたんだ……。土岐頼芸、この景色を見ながらどんな気持ちだったんだろう。守護として代々治めてきた美濃の国が目の前で削られていく……」

 尾根に広がる山頂の城下町


エミ:「山頂から尾根を南に歩くと、曲輪くるわ群が連なってるの。こっちが正面で、降っていくと麓につながっているわ。この先は滑落しそうな悪い予感しかしなかったから行くのはやめたけど」

サキ:「尾根の上に曲輪がずーっと続いてるんだ。さっきの縄張り図だと400メートルにわたって曲輪が連なってるって書いてあったよね」

エミ:「そうなの、大桑城って、山の上に一つの城下町があるようなスケールなの」

サキ:「守護大名のお城だけのことはある。でもそれだけ立派な城でも、結局落とされちゃったんだよね」

エミ:「実はね、道三は表の登山道からじゃなくて、山の裏、北側から攻めてきたという伝承があるの」

サキ:「美濃のマムシ、さすがに狡猾だ……」

エミ:「ずるいって言うか、裏から攻めるのはリスクも大きいってことだからね。表は見晴らしが良くて攻撃を察知しやすいけど、攻める側も攻撃しやすいってこと。裏は死角になる分、これだけ急峻な山だと登り切れるか、違う尾根に間違って登ってしまわないか。道三はリスクをとって勝負をかけたのかもしれない。どんな感じか見たかったけど、北側はさらに雪が積もっていたから、とても近寄れなかった」

サキ:「エミちゃんも、リスクとり過ぎ……心配だよ……今更ながら」

下山——生きて帰れた喜び

「きけん近づかないで」のロープが怖い

エミ:「で、散々堪能して下山するんだけど、帰りの方がもっと怖かったの」

サキ:「下り?」

エミ:「雪の下り坂って、登りの何倍も滑るのよ。しかもそのころにはもう夕方で薄暗くなってきて……」

サキ:「エミちゃん、ほんとに遭難してなかった?」

エミ:「……ギリギリセーフだったかも。日没していたら迷ってアウトだったかもしれない。車まで戻った時は、心底ほっとしたわ」

サキ:「もう!冬の山城を一人で登るのは危険だって学んだでしょ!?」

エミ:「うん。でもね、あの山頂から稲葉山を見た瞬間の感動は、一生忘れないと思う」

サキ:「それは……うん、わかる。写真でも伝わってくるもん。でも次はちゃんと人と一緒に、雪のない時期に行こうね!」

エミ:「はい……。でもサキちゃん、こんな山城一緒に登ってくれる?」

サキ:「えー……。ま、エミが一人で行ってまた遭難しかけたら困るからさ。しょうがないから付き合ってあげるよ」

エミ:「サキちゃん……!」

サキ:「ただし雪山は絶対ナシ!」

大桑城が史跡に指定されたこと

エミ:「最後にちょっと真面目な話をすると、2025年12月、大桑城跡が正式に国の史跡に指定される答申が出たの」

サキ:「それで、大桑城の写真を私に共有してくれたんだもんね」

エミ:「文化庁の評価は『16世紀前半から中頃に機能した政治的空間と居住空間を備えた美濃国守護土岐氏の拠点城郭。戦国時代における守護大名の本拠地の構造を知るだけでなく、美濃国騒乱の舞台となった城でもあり、周辺諸国の諸勢力の動向も含めた、当時の社会的、政治的動向を知る上でも重要』というもの」

サキ:「つまり、守護大名のお城の構造がわかるだけじゃなくて、道三の下剋上、他国からの干渉っていう歴史ドラマの舞台としても重要ってことだね」

エミ:「そう。しかも麓の城下町遺跡や四国堀もセットで、山の上から麓まで一体で評価されてるの」

サキ:「地元の方々がずっと調査と保存に取り組んできた成果が実った形なんだね。本当におめでとうございます!」

国史跡 大桑城跡

・ 所在地:岐阜県山県市大桑・青波・富永
・ アクセス:東海環状自動車道 山県ICから車で約15分
・ 登山口: 椿野登山口(山頂まで約60分)※城跡の全体をすべて見たい方向け

椿野登山口 麓から山頂への60分コース

・ はじかみ林道登山口(山頂まで約20分)※車で途中まで行ける
・ 駐車スペース:両方の登山口に駐車場あり
・ 注意:冬季は積雪の可能性あり。単独登城は避けて

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