神護景雲3年2月17日(769年3月29日) 陸奥国の桃生城・伊治城に移住する百姓を坂東8国から募る

神護景雲3年2月17日(769年3月29日) 陸奥国の桃生城・伊治城に移住する百姓を坂東8国から募る。続日本紀。
伊治城跡(宮城県栗原市)は国史跡。桃生城は現在の石巻市。
奈良時代の「帝国」拡大路線で、東北への移住を増やすとともに、現地の民(蔑称で蝦夷と呼ばれる)との軋轢が増加。791年(延暦10)に大伴弟麻呂が征夷大将軍(当初の役職は征東大使)に任じられ、797年には坂上田村麻呂が続く征夷大将軍に。田村麻呂は、鎮守府を多賀城(宮城県)から胆沢城(岩手県)に移すなど、8世紀中頃には蝦夷との最前線だった桃生城・伊治城のラインがかなり北へと押し上げられたことを物語る。

トップ画像は伊治城跡史跡全景(国指定文化財等データベースより)

関連記事

  1. 建保7年2月10日(1219年) 年次判明最古の讃岐神谷神社本殿(国宝)の造営開始

  2. 建永2年4月5日(1207年5月3日)日記「玉葉」の九条兼実(59歳)が死去

  3. 推古元年1月15日(593年2月21日)法興寺(飛鳥寺)の塔の心礎に仏舎利を納める

  4. 元徳4年・元弘2年3月7日(1332年) 鎌倉幕府、後醍醐天皇を隠岐国に流す

  5. 建久4年4月10日(1193年5月12日) 鎌倉幕府の奏請により備前と播磨を東大寺と東寺の造営料国に

  6. 寛徳2年1月16日(1045年2月5日)後朱雀天皇が後冷泉天皇へ譲位

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。