天喜元年3月4日(1053年3月26日) 藤原頼通、平等院阿弥陀堂(近世になり「平等院鳳凰堂」と呼ばれる、10円玉でおなじみ)を供養。
宇治のこの地はもとも父の藤原道長が貴族の未亡人から別荘地「宇治殿」を購入し、死後に息子の頼通に相続され、頼通はここを寺院「平等院」として整備した。阿弥陀仏は、平安後期の仏像デザインのスタンダードを確立した仏師定朝の作で、建物と仏像ともに国宝。庭園は国史跡、名勝。寺院は世界遺産。
道長の別荘を大改造
(宇治・平等院。観光客でにぎわう境内)
サキ:「ちょっと待って、エミちゃん!10円玉出して!」
エミ:「はいはい。……こう?」
(サキ、10円玉を鳳凰堂にかざしてスマホを構える)
(カシャッ)
エミ:「あっ。私たちが10円玉の鳳凰堂を見てる」
サキ:「あはは、焦りすぎた」
エミ:「(テンション高いサキちゃん)…かわいい…」
サキ:「なんか言った?ほらもう一枚撮るよ」
(カシャッ)
サキ:「やった!ぴったり!本物と10円玉が完全一致!」
エミ:「その角度、もうちょい左。池も入れたい!」
(カシャッ)
サキ:「よし完璧。“10円玉の本物と自撮り成功”!」
エミ:「ねえサキちゃん、それが完成したのが今日なのよ」
サキ:「え?」
エミ:「天喜元年(1053年)3月4日、関白の藤原頼通が、この阿弥陀堂を供養した日なの」
サキ:「え、じゃあこの10円玉のモデル、ほぼ千年前に“お披露目”されたってこと!?」
エミ:「そう。正式名称は阿弥陀堂。近世になってから“鳳凰堂”って呼ばれるようになったの」
サキ:「でもさ、なんでこんなところにこんな豪華なお堂が?」
エミ:「ここ、もともとは頼通のお父さん、藤原道長が別の貴族(左大臣源重信の未亡人)から買い取った別荘だったの。宇治殿って呼ばれてた」
サキ:「ええ!?道長がお買い上げの別荘!?超セレブの邸宅がお寺に?」
エミ:「そう。平安時代は“この世は末法に入った”って考えられていてね。極楽往生を願う浄土信仰が大ブームだったの」
サキ:「あ、聞いたことある。西暦にすると1052年が末法元年って設定だっけ?」
エミ:「設定言うな。でもそう。その翌年、1053年にこの阿弥陀堂が完成したの。頼通はここに“極楽浄土を再現”しようとしたのよ」
平安時代の仏像デザインを作ったレジェンド仏師定朝
(堂内を見学後)
サキ:「本尊の阿弥陀さま、大きいけど、なんか優しい顔してるね」
エミ:「あれを作ったのが仏師の定朝。平安仏の完成形って言われる人」
サキ:「完成形!?」
エミ:「均整のとれた顔、柔らかい微笑み、流れる衣。“これぞ極楽”っていうビジュアルを作り上げたの」
サキ:「なるほど……政治のトップが、最高の芸術家を集めて、極楽を本気で作ったってことか」
エミ:「スタンダードになりすぎてるから、現代人にはもしかしたら面白みがないって感じることがあるかもしれないけど、この世に極楽を現実化するという当時としては大胆極まりないプランの中核だから、平安の人たちはこの仏像のスタイルにもびっくりしたんじゃないかしら」
サキ:「iPhoneも11くらいから、正直、当たり前すぎて、美しいとか感じなくなちゃったのと似ているかも」
なぜ宇治に?
(池のほとりで鳳凰堂を眺めながら座る二人)
サキ:「でもさ、京都市内じゃなくて宇治なのが不思議」
エミ:「宇治は宇治川と山に囲まれた独特の地形で、浄土のイメージにぴったりだったの」
サキ:「確かに、池に映る姿きれいすぎる……これ、計算されてる?」
エミ:「完全に計算。池に映る鳳凰堂=この世に現れた極楽」
サキ:「千年前の映えスポットじゃん」
でも波乱もあった
サキ:「これ、ずっと無傷だったの?」
エミ:「いや、戦乱で建物が焼けたり、大火で門が焼失したり。江戸時代、明治、昭和にも大修理が行われてるわ」
サキ:「じゃあ、1053年の姿がそのままってわけじゃないんだ」
エミ:「でも、核心部分――鳳凰堂と阿弥陀像は、奇跡的に残った。だから国宝だし、世界遺産になってるの」
サキ:「なんかさ……10円玉の価値、私の中で急に上がった気がする」
エミ:「10円で極楽を持ち歩いてるわけだからね」
サキ:「千年前の“完成記念日”。今日は特別な日になりそう」(チラッ)
エミ:「1053年3月4日。宇治に極楽浄土の阿弥陀様が降り立った日、ってことね」
サキ:「1000年後の3月4日に降りたのは、仏様じゃなくて、私の大切な…」
エミ:「えっ?どうしたの、私の顔になんか付いてる?」
サキ:「もう!馬鹿」10円玉をエミのおでこにペタリと押し付ける。
エミ:「えっ?なになに?どういうこと?」
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