天武10年3月17日(681年) 天武天皇が皇子や臣下らに帝紀・上古の諸事を記定(のちの「日本書紀」)させる

天武10年3月17日(681年4月10日) 天武天皇、川島皇子・忍壁おさかべ皇子・中臣大島・平群子首へぐりのこびとらに帝紀・上古の諸事を記定させる。のちの「日本書紀」。「古事記」もこの一環とする説(古事記序文から)も。
日本書紀は原本は残っておらず、平安時代前期の貞観年間(八五九~八七七)頃に書写されたとみられる奈良博蔵の残巻が現存最古。ほかに平安時代・鎌倉時代の写本は国宝。
1 日本書記〈巻第十残巻〉 平安時代 奈良国立博物館蔵
2 日本書紀〈巻第十一、第十四/第十七、第二十〉 平安時代 前田育徳会蔵
3 日本書紀〈巻第二十二、第二十四/〉平安時代 京都国立博物館蔵
4 日本書紀神代巻〈上下/(吉田本)〉鎌倉時代 弘安九年(1286年) 京都国立博物館蔵
5 日本書紀神代巻〈上下/(吉田本)〉鎌倉時代 乾元二年(1303年) 天理大学附属天理図書館蔵

古事記も原本は残っておらず、最古の写本は南北朝時代で、名古屋市の宝生院(大須観音)蔵の国宝。

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