慶応4年3月28日(1868年)「神仏判然令」で神仏混淆を禁止 廃仏毀釈運動が起きる

慶応4年3月28日(1868年4月20日) 「神仏判然令」で神仏混淆を禁じる。これ以降、各地で廃仏毀釈運動が起き、寺院の経営が厳しくなり、廃寺となったり、仏像などが売却されるなどする。
廃仏毀釈は地域によって濃淡があり、鹿児島や岐阜などは苛烈な廃仏毀釈運動が行われた一方で、最近は奈良についてはそれほどではなかったという考えも提示されている。

明治になって興福寺は廃仏毀釈でたいへんだったと言われるが、それは事実ではない。

西山厚さんのツイートだが、興福寺では、一斉に高僧たちが隣の春日大社に移り、興福寺自体は廃寺となったらしい。廃寺になっているので、「たいへんだった」とも感じるが、自主的な退去なので比較的穏当ということなのだろうか。
聖林寺の十一面観音(国宝)も、”廃仏毀釈”で三輪山(大神神社)の境内寺院だった大御輪寺から聖林寺に移ったことが知られているが、2年前の東博での展覧会で、示されたのは、かつて言われていたような「野ざらしで捨てられた状態の仏さまを聖林寺側が拾ってきた」ということではなく、きちんとした移管がされたものだったということが明らかにされていて、「へえ」となった。奈良では、「廃仏」はあったけど、「毀釈」まではしなかったという感じだったのだろうか。

  • コメント: 0

関連記事

  1. 天正12年3月6日(1584年) 織田信長の息子信雄、家老3人を斬殺 小牧長久手の戦いへ

  2. 承徳3年1月24日(1099年) 近畿地方の大地震で奈良の興福寺西金堂損壊

  3. 慶応4年4月11日(1868年5月3日) 江戸城無血開城。徳川慶喜は、引退し水戸に退隠

  4. 大正3年(1914年)1月31日 住友財閥総理人・広瀬宰平が87歳で死去

  5. 慶長15年2月24日(1610年) 絵師・長谷川等伯が72歳で死去

  6. 昭和6年(1931年)2月13日 洋画家小出楢重、45歳で死去

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。