明治41年(1908年)3月23日 平塚らいちょうが森田草平と栃木県塩原の尾花峠で心中未遂。

明治41年(1908年)3月23日 平塚らいてう(らいちょう)が森田草平と、栃木県塩原の尾花峠で心中未遂。
らいちょうは裕福な家で育ち、日本女子大学校を卒業したあとに、文芸サークルで作家の森田と知り合った。心中未遂は大きなニュースとなり、らいちょうには批判が殺到したが、それにめげず、逆に若い女性たちを糾合して、明治44年9月に、「元始、女性は太陽であった」のマニフェストで知られる婦人文芸誌『青鞜』を発刊した。1971年に死去。
森田草平は、夏目漱石の弟子となり、文筆活動を続けた。

  • コメント: 0

関連記事

  1. 天長2年(825年)3月30日 摂津国江南四郊を和泉国に属させる

  2. ぐぐるな危険!発禁となった殺人遺体の写真集が国会図書館でインターネット公開

  3. 戦車T-90とT-80の違いはiPhoneとiPadの差で考えるとわかる気がする

  4. 長暦3年(1039年)2月18日 延暦寺僧3000人が天台座主の人事反対を訴え強訴

  5. 天禄4年(973年)2月27日 薬師寺、金堂・塔以外を全焼

  6. 日本共産党噂の真相

    【書評】日本共産党の裏部隊「第二事務」とは?篠原常一郎『日本共産党噂の真相』書評

コメント

  • コメント (0)

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。