慶長12年2月20日(1607年) 出雲の阿国が歌舞伎踊りを上演

慶長12年2月20日(1607年3月17日) 出雲の巫女、阿国(おくに)が江戸で歌舞伎踊りを上演した。(当代記)
女性が男役を演じ、男性(阿国の夫)が女役を演じる、ジェンダー逆転が歌舞伎の原点だった。その後、女性の演者が売春婦を兼ねていたため、江戸幕府は風紀の取り締まりのために女性による演劇を禁止し、歌舞伎は女役を男が女方として演じるようになった。

重要文化財「阿国歌舞伎図」桃山・江戸初期 京都国立博物館蔵

重要文化財「阿国歌舞伎図」京都国立博物館蔵 Colbaseより

舞台上を見ると、刀を肩にかけたかぶき者、柱のそばに坐す茶屋のかか、頬かむりをした道化役の猿若がおり、これは阿国歌舞伎の代表的演目である「茶屋遊び」が演じられていることを示す。出雲の阿国が北野社の能舞台を代用して「歌舞伎踊り」を始めたのは慶長8年(1603)、本図はその舞台を描いたもので、制作もそれからさほど降らぬ頃と考えられる。囃座も三味線などなく、笛、小鼓、大鼓、太鼓ばかりで、いかにも初期的様相を示す。 図中に印象的に配された松の表現が、たとえば妙蓮寺障壁画中のそれと通有する性格を有しており、長谷川派による風俗画の一例とする有力な説がある。(Colbaseの説明)

刀を担いでいるのが男装の阿国とするとその右にかがんでいる女性が女装している夫だろうか

国宝 花下遊楽図屏風 狩野長信筆 東京国立博物館蔵

国宝 花下遊楽図屏風 狩野長信 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵 Colbaseより

この作品は、安土桃山時代の終わりから江戸時代のはじめ頃、今から400年ほど前のお花見を描いた屏風です。 大きな幔幕が張り巡らされるなか、春の宴が繰り広げられています。 右の屏風では、満開の八重桜の下、女性たちが車座になってご馳走を広げています。三味線に手拍子も加わって、明るい歌声まで聞こえてきそう。400年前のアウトドア女子会といったところでしょうか。 左の屏風では、白い海棠(かいどう)の花の下、八角堂の縁側に座った人々が踊りを眺めている様子が描かれています。お堂の縁の下には、居眠りしながら待つ駕籠(かご)かきの姿が見えています。 宴の主人公はどうやらかなり身分の高い人のようです。 縁側で、赤いきものを着て扇を手にしている子どもが、その主人公です。視線の先では、女たちが楽しそうに踊っています。 中央の一団は、最新のモードに身を包んだ美女たち。よく見ると、きりりとアイラインを引いた目は、濃い茶色の虹彩に黒い瞳を描き、目頭、目じり部分に薄墨を入れ立体感を出しています。右の一団は、刀を腰にさして男装をした女たち。こちらは流行の阿国(おくに)歌舞伎を写しているのでしょう。 足裏を見せて踊る人物の描写は、まさにストップモーション。縁側に座る人も思わずリズムをとっているのか足裏をみせています。 花見を楽しむ人々の、その一瞬を捕らえたこの作品は、季節を愛で、春を謳歌する日本人の心を見事にとらえ、現代に生きる私たちも自然と踊り、歌いたくなるような、すばらしい作品です。 残念なことに、右の屏風の中央部分は、大正12年(1923)の関東大震災で被災し、失われてしまいました。当初の画面はモノクロの写真でのみ確認することができます。(Colbaseの説明)

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