浮世絵の代表的な作品、菱川師宣の「見返り美人図」は、東京国立博物館のシンボル的な存在で超有名ながら、実はまだ重要文化財にも指定されていません。
今年度の「未来の国宝」では一番に登場し、秋の東京国立博物館のすべて展ではトリを飾りました。(4/12〜5/8本館2室)
浮世絵の創始者とも言える菱川師宣(1630?〜1694)なのになぜ?
それは、この作品が戦後に有名になったから、かもしれません。
昭和23年(1948年)に記念切手1号がこの見返り美人だったのです。
なぜ重要文化財になれないのか?それは、描かれているのが主に悪所と呼ばれる吉原などの「風俗業」を描いているからかもしれません。
平成や令和では、そんなことが指定の障害になりようがありませんが、昭和は格式があったのかもしれません。なにせ、江戸時代には同じ悪所であった演劇関係(つまるところ歌舞伎)は、明治以降に庶民の風俗から「伝統文化」へとクラスアップに成功しました。ですので、歌舞伎役者の錦絵は重要文化財になってるものも複数(写楽など)あります。
もうそろそろ見返り美人も重要文化財になっても良いのではないでしょうか?
中島みゆきの「見返り美人」もサブスク解禁になったことですし。
以下は、東京国立博物館ニュース768号(2022年3、4、5月)の表紙の名品から引用
最上級のファッションと計算された構図、江戸時代美人画の傑作
左側へと歩いていたあざやかな緋色の着物の少女が、ふと足をとめて振り返って反対側を見ているという一連の動きの中の一瞬が描かれています。
少女の視線の先には、ひとりの「男性」がいることも、当時の人々には立ちどころに思い描いたでしょう。多くの人々が行きかう雑踏で、間き違えることはない声をこの女性は聞き、振り返ったのかもしれません。このような「見返り」のポーズは、古く日本絵画に数多く描かれたもので、その背後にあるストーリーもよく知られていました。
横顔だけが見える後姿から、当時のフアッションの流行が垣間見えます。髪には高級品の鼈甲(ウミガメの一種、タイマイの甲羅)の櫛をさしています。「玉結び」という下げた髪の毛の先端を曲げて輸にする髪型は、江戸時代の貞享(1684〜88)の頃に流行しました。振袖の柄には桜と菊が円形にあしらわれていて「花の丸模様」とよばれるこうした模様は、植物そのものを写実的に示すというよりも、記号性が高い造形表現です。帯は人気の女形(歌舞伎で男性が女性を演じる)役者、初代上村吉弥(うえむらきちや)が考案した「吉弥結び」という一方を輪にして結び、他方をそのまま垂らす片結びになっています。これだけファッショナブルに贅を尽くしたこの女性には、具体的なモデルがいたのでしょうか。
菱川師宣は安房国(現在の千葉県)で、身に着ける物に刺繍や金や銀の箔を摺り合わせ模様を表す縫箔師の子として生まれ、江戸に出て絵師となりました。江戸の庶民に人気を博し、しばしば「浮世絵の祖」といわれる絵師です。
この絵は版画ではなく、師宣の肉筆(絹の画面に直に描いた)の浮世絵で、昭和23年(1948)の「切手趣味週間」
シリーズで切手のデザインにもとりあげられて、高い知名度を誇るようになりました。
本作品は当館の素晴らしい作品の数々から、研究員が選び抜いたいち押しの作品を未来の国宝と銘打ち、年間を通じてご緒介する特集「未来の国宝ー東京国立博物館 書画の逸品ー」の第一弾です。(松嶋雅人)
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