長久2年(1041年)1月1日「和漢朗詠集」を撰じた藤原公任死す

長久2年(1041年)1月1日「和漢朗詠集」を撰じた公家の藤原公任きんとうが没する。(扶桑略記)
1013年(長和2年)頃の成立したもので、漢詩約590句、和歌約220首を、春・夏・秋・冬・雑の5つのカテゴリーに分けて収めたものです。
なお、公任の直筆は残っていません。現存するのは、書写されたものです。
輸入した唐紙に金銀泥の大和絵風の下絵を加えた美しい料紙に書写した平安時代の「倭漢朗詠集 太田切」(静嘉堂文庫美術館)が国宝に指定されています。トップ画像は静嘉堂文庫美術館「響きあう名宝展」図録から。

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