文久3年(1863年)2月27日 新選組結成 300人から13人 新撰組エピソードゼロ

エミ:2月27日は新選組の日! 文久3年(1863年)のこの日、京都守護職・松平容保のもとに近藤勇や土方歳三ら浪士たちが正式に組み込まれたの。

サキ:あ、でも新選組って最初から「新選組」じゃないんだよね。

エミ:そう、もともとは「浪士組」。幕府が浪人たちを懐柔・統制するために文久2年(1862年)の暮れに江戸で組織したもので、近藤勇や土方歳三もこれに参加してる。約300人が集まって、文久3年2月8日に江戸を出発、将軍家茂の上洛に合わせて京都に入ったの。

サキ:それがどうして「新選組」になるの?

エミ:京都に着いたあと、攘夷の方針をめぐって内部分裂しちゃうのよ。清河八郎の一派は浪士組を割って江戸に帰ってしまう。で、京都の壬生村に残った一団が、2月27日に会津藩の松平容保の監督下に入って、尽忠報国の浪士として、3月13日に供応されると、それに感激して新撰組を結成したって流れね。

サキ:江戸出発からわずか20日足らずで分裂って、なかなか激しいね。

エミ:当初メンバーは25人・19人・14人説など諸説あるけど、明治以降も生き残った永倉新八の遺稿によれば、残ったのは芹沢鴨・近藤勇・土方歳三・沖田総司ら13名。ここから局中法度を定めて、京都の治安維持に乗り出していくことになるの。

サキ:300人から13人か……。削ぎ落とされた先に、新選組があったんだね。精鋭かつ先鋭的なことも理解できるね。

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