壬申の乱で大海人皇子が立ち寄り「日の出」に勝利を祈った? 東を向いた古代役所・久留倍官衙遺跡【三重・四日市】

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(日曜の朝、サキの運転で名古屋から三重県・四日市へとドライブ中。ナビが「久留倍官衙遺跡くるべかんがいせき」を指している)

サキ:「ねぇエミちゃん、今日の目的地ってさ……『くるべかんが』いせき? なんかもう名前が呪文じゃん!」

エミ:「ふふ、久留倍官衙遺跡くるべかんがいせきね。読めたら今日のミッション半分クリアよ。実はここ、あの壬申の乱に大海人皇子が立ち寄ったって伝わる場所なの」

サキ:「壬申の乱で大海人皇子が来たの!? うわ、伊勢湾も見えて眺めいいー! ……で、大海人皇子がここでトンテキ食べてったの?」

エミ:「(さっそくトンテキ)まあ、それはおいおいね」


電撃クーデター「壬申の乱」の現場

サキ:「そもそも壬申の乱って、名前は聞くけど中身ふわっとしてるんだよねぇ。誰が誰と戦ったんだっけ?」

エミ:「順を追って話すわね。飛鳥時代の末、672年(壬申=じんしんの年)の話。当時の都は近江国の大津(滋賀県)にあって、そこで政治を握っていたのが天智天皇の息子の大友皇子。ところがね、政治的に引退して奈良の奥地・吉野に隠遁していた天智天皇の弟の大海人皇子、突然挙兵するの」

サキ:「えええっ!? 引退したって言ってたのに!?政治家が次の選挙には絶対に出馬しません、みたいな」

エミ:「そう、戦略的な手のひら返しね。おいっ子の大友皇子から天皇の座を奪って、自分が天武天皇になることに成功した軍事クーデターよ。ちなみに負けた大友皇子は明治時代まで『天皇』とは呼ばれなかったの。歴史は勝者が書く、ってことね」(明治天皇が1870年[明治3年]に「弘文天皇」と追諡)

サキ:「うわぁ……勝てば官軍だ。でも吉野って山奥でしょ? 兵隊いたの?」

エミ:「鋭いわね。最初はほんの少人数。だからこういうルートで動くの——
吉野(奈良県)→伊賀(三重県)→伊勢(三重県)→美濃(岐阜県)
で、途中で尾張(愛知県)の現地の有力者・尾張氏を味方につけたことで、一気に大兵力をゲット。そこから都の大津宮めがけて進撃するのよ」

サキ:「ソシャゲでいう序盤の仲間集めじゃん! 弱小ギルドが急に強くなるやつ!」

エミ:「(理系というかゲーマー脳ね)まさにそれ。そして関所のある美濃みの(岐阜県)不破ふわの関あたりに本陣を置いて、道をブロック。大友軍は東国の軍勢を集められず、大海人皇子の優勢が確定。……サキちゃん、ここピンと来ない? 不破の関って——」

サキ:「不破の関……あっ、待って、最近エミちゃんからなんか聞いた気がする。それって関ヶ原町と垂井町の不破郡!?」

エミ:「正解! その約1000年後、みんな知ってる関ヶ原の戦いがほぼ同じ場所で起きるの。天下分け目の土地は、672年の時点ですでに天下分け目だったわけ」

サキ:「土地に呼ばれてるじゃん……ちょっとゾクッとした」

エミ:「大海人皇子はそのまま近江(滋賀県)でも勝利。6月から7月にかけて約1ヶ月のクーデターは大成功よ。その進軍の途中で寄ったのが、この久留倍官衙遺跡ってわけ」

エミのメモ📝

大海人皇子の一行は伊賀いが(三重県)を通り、鈴鹿の関から伊勢へ入りました。これ、本能寺の変のあとに徳川家康が決死で逃げた「伊賀越え」ルートと似ています。歴史上のピンチと再起の道は、なぜか重なるんですね。


ここは古代の「市役所」だった

(駐車場に車を停め、復元された門を見上げる二人)

サキ:「まだ味方が少ないときに、大海人皇子はここで何してたの? 名物のトンテキ食べてご飯休憩?」

エミ:「まあ休憩はしたでしょうけど(笑)。ここで彼がやったのは——伊勢の天照大神あまてらすのおおかみ遥拝ようはいすることなの。遥拝っていうのは、遠いところから神様を拝むことよ」

サキ:「天照大神!? それって伊勢神宮ってこと? あっ、それとも夜景で有名な四日市コンビナートの煙突群を見学した説とかないの?……」

エミ:「煙突説は……さすがにまだ無いわね(笑)。伊勢神宮はここからちょうど真南の方角。ただね、ここがミソなんだけど、伊勢神宮はこの壬申の乱の戦勝御礼として、乱のあとに整備されたとも言われているの。だからこの時点で『神社』として存在していたかは、はっきりしないのよ」

サキ:「ええっ、神社ができるより先に拝んだの!? 順番おかしくない!?」

エミ:「そこが面白いのよ。実は大海人皇子が拝んだのは南じゃなくて東じゃないかっていうのがきょうのお話よ。で、肝心の『官衙』。官衙かんがっていうのは古代の役所、郡家ぐうけのこと。四日市あたりの伊勢北部は朝明あさけ郡って呼ばれていて、ここはその朝明郡の『市役所』みたいな場所だったの」

サキ:「役所跡かぁ。……あれ、でもさ、市役所跡って全国にいっぱいありそうじゃない? なんでここだけ国指定史跡なの?」

エミ:「(また本質を突いてくる)『遺跡に優劣はない!』って言いたいところだけど、まさにそこがポイント。この遺跡には時代の違う3期の役所が建っていて、一番古いものは670年ごろ。壬申の乱のすぐ前後なの。しかもただの役所じゃなく、壬申の乱→天武・持統夫婦天皇の律令国家づくり→伊勢神宮の創建、っていう国家の大事件にぜんぶ繋がる役所だから特別なのよ」

POINT 久留倍官衙遺跡の3つのナゾ

1 大海人皇子が壬申の乱の戦勝を願い、天照大神に祈った

2 普通の役所は南向きなのに、ここは東を向いている

3 伊勢神宮の創立の謎を解くヒントになるかも?


アマテラスとは「太陽」のこと

サキ:「2番目の謎『東を向いてる』ってどういうこと? 役所って南向きが普通なの?」

エミ:「そうなの。古代の役所も寺も、基本は南向き。なのにここは正殿も門も東向き。これ、めちゃくちゃ珍しいの。……で、ここで日本書紀の記述と合わせて読むと、鳥肌が立つわよ」

サキ:「来た、エミちゃんの早口モード(笑)。聞こう聞こう」

エミ:「(早口で)日本書紀によると、大海人皇子の一行は伊賀から鈴鹿の関を抜けて伊勢に入るんだけど、道中は大荒れの天気でめちゃくちゃ寒かったって書いてあるの。ところがね——朝明郡に入った途端、突然天気が晴れるのよ!」

サキ:「うわぁ、ベタな展開! でもアガるやつ!」

エミ:「そこで大海人皇子は、遺跡近くを流れていたとされる迹太とほ川のほとりで、太陽神・天照大神を拝むの。……サキちゃん、天照大神って何の神様だっけ?」

サキ:「太陽の神様……あっ。東から昇る太陽=アマテラス!? じゃあ南の伊勢神宮を拝んだっていうより、東から昇るお日さまそのものを拝んだってこと!? だから役所も東向き——!」

エミ:「(目を潤ませながら)……そう。それなのよサキちゃん。そのひらめき、最高。日の出を拝む方角に正面を合わせて、建物が東を向いている。しかも郡の名前『朝明』は『朝が明ける=日の出』の意味。ぜんぶ太陽で繋がってるの」

サキ:「方角と地名と神様が、座標でカチッと一致してる感じ……。これは確かに震えるわぁ」

エミ:「ちなみに大海人皇子、荒天のあいだは『この嵐こそ勝利のしるしだ』って強がってたらしいの。で、晴れたら晴れたで『ほら晴れた、これも勝利の印!』ってノリノリ」

サキ:「どっちでも勝利の印かい! ポジティブが過ぎる(笑)」

エミ:「史料に書いてあるのは「川のほとりで遥拝した」ところまで。どちらの方角に向かって祈ったのか。その後この役所に泊まったのか、そもそも役所がその頃あったのかどうか、ましてやトンテキを食べたかは記録に無いわ。でも——テンションの上がった一行が、サキちゃんの言うようにイノシシ肉(トンテキの元祖?)を頬張りながら盛り上がった……と想像するのは、まあ自由ということで。

サキ:「やった、トンテキ説、公式に妄想入りした!」

エミ:「(あえてツッコまないでおくわね)……そう考えると、670年ごろにこれだけ立派な東向きの役所ができたことも、『日の出』を意味する朝明郡って地名も、ぜんぶ意味が見えてくるでしょ」

サキ:「……あっ、わかった。これって壬申の乱の真っ最中に建っていた建物じゃなくて、勝ったあとの『戦勝記念事業』で建てられたんじゃない? 天武天皇になった大海人皇子の号令と、まわりの忖度そんたくで予算化された、みたいな!」

エミ:「すっごーい、サキちゃん天才!? まさに考古学の成果からはそう考えられるの。『あの日、ここで日の出を拝んで勝った』っていう聖地を、国家プロジェクトとして整備した、っていうわけ。朝明郡もこのプロジェクトで新規で作られた郡の可能性すらあるわ」


伊勢神宮も「戦勝記念碑」だった?

サキ:「ねぇ、さっきの『伊勢神宮も乱のあとにできた』って話、すごく気になるんだけど」

エミ:「そこ、今日いちばんのロマンよ。四日市市のこの遺跡のHPに皇學館大学名誉教授で歴史・考古学者の岡田登さんの論文があって、こうあるの——天武天皇は迹太川のほとりで天照大神を望み拝んで、即位後、この望拝のおかげで勝てたことに感謝して、伊勢神宮の制度を整えたって」

サキ:「制度って?」

エミ:「神宮の職員の整備、式年遷宮しきねんせんぐうの開始、斎王さいおう制度の確立……。つまり、私たちが知ってる『国家の神社・伊勢神宮』の骨格は、壬申の乱の戦勝御礼として整えられたと、伊勢にある皇學館大学の研究者が見ているの」

サキ:「えっ、じゃあ伊勢神宮自体がある意味、大海人皇子の巨大な戦勝記念碑ってこと!? スケールが違いすぎる……」

エミ:「ロマンでしょ。だからこの久留倍官衙遺跡は、ただの『一市役所跡』じゃなくて、国家レベルの思い入れがこもった特別な役所として整備された——そう考えると見え方が変わるのよ」

サキ:「最初は『市役所跡でしょ?』って失礼なこと言っちゃってごめんなさいって気持ち(笑)」

エミ:「ふふ。ちなみに大海人皇子が実際に遥拝したと伝わる場所も、すぐそばにあるの。天武天皇迹太川御遥拝所跡とほがわごようはいしょあとっていう県史跡だけど、肝心の迹太川がどの川(朝明川、米洗川など)なのかは、実ははっきりわかっていないんだけど」

サキ:「わかってないんだ!? 逆にいいね、想像できて。あの川かな〜って眺めるの楽しそう」


日の出・天照大神・伊勢神宮につながる

(四日市名物トンテキの店を探しながら)

サキ:「いやー、今日は朝から当たりだったね。最初『呪文の名前の役所跡』だと思ってたのに、終わってみたら日の出・天照大神・伊勢神宮ぜんぶ繋がる聖地だったとは」

エミ:「伊勢神宮に行く前に寄った意味があったでしょう?東を向いた一棟の役所から、ここまで物語が広がるんだものね。歴史って、方角ひとつにもちゃんと理由がある。『日の出』に賭けた男のドラマ、堪能したわ」

サキ:「……で、トンテキは妄想じゃなくて今からリアルに食べる、でいい?」

エミ:「もちろん、そのために四日市に寄ったんだから。さあ、伊勢神宮に向かう私たちの戦勝前祝いといきましょ」


🎵 プレイリスト会議

(トンテキ屋さんで注文を待ちながら、二人でスマホを出す)

サキ:「今日のテーマ曲、決めよっか。テーマはやっぱ……『夜明け』と『進軍』かなぁ」

エミ:「いいわね。じゃあ私から。Linked Horizon「紅蓮の弓矢」。あの少人数からの挙兵、不破の関での会戦……あの行進と高揚感、そのまんまでしょ」

サキ:「あー! 進撃のあれ! たしかに『進軍ルート集めゲー』にぴったりじゃん! じゃあ私は太陽つながりで……Aimer「茜さす」。東から昇るアマテラスのイメージ。歌詞の光の感じが、あの晴れた朝明郡に重なるなって」

エミ:「それすごくいい……! 荒天から晴れへ、っていう転換も含めるなら、もう一曲ほしくない?」

サキ:「わかるわぁ。じゃあ締めはOrangestar「アスノヨゾラ哨戒班」でどう? 夜空が明けていく感じ。寒い夜の行軍からの、夜明けの希望。『朝が明ける=朝明郡』にドンピシャだもん」

エミ:「完璧。3曲とも『夜から朝へ』『嵐から光へ』で一本筋が通ってる。サキちゃん、さすがね」

サキ:「えへへ……。カラオケで全部歌お!」

  1. Linked Horizon「紅蓮の弓矢」― 少数からの挙兵、進軍と会戦の高揚感に
  2. Aimer「茜さす」― 東から昇る太陽神アマテラスの遥拝に
  3. Orangestar「アスノヨゾラ哨戒班」― 荒天の夜から夜明けへ、「朝明」の希望に

遺跡情報・アクセス

国史跡 久留倍官衙遺跡(くるべかんがいせき)/くるべ古代歴史館

所在地:三重県四日市市大矢知町2323-1

memo:2018年日に「くるべ古代歴史館」がオープン。門や建物の復元・整備が進んでいます。各方面からの車での行き方は公式サイトの案内が便利です。

公式サイト:四日市市 久留倍官衙遺跡

天武天皇迹太川御遥拝所跡(県史跡)

所在地:三重県四日市市大矢知町1714

memo:久留倍官衙遺跡のすぐ南にある大海人皇子が天照大神を遥拝したと伝わる場所。迹太川がどの川かは諸説あり、想像をめぐらせながらの見学がおすすめです。

参考資料
四日市市 久留倍官衙遺跡サイト
岡田登「壬申の乱及び聖武天皇伊勢巡幸と北伊勢―朝明郡家跡の発見を契機として」『史料』第191号、皇學館大学史料編纂所、2004年(上記サイトよりPDFでダウンロード可)

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