江馬氏城館跡 武田と上杉に挟まれ豊かな森で北飛騨・神岡に風雅な王国築く【岐阜・飛騨】


神岡町(岐阜県飛騨市)来たー!
名古屋から特急で2時間の飛騨・高山市から
さらに車で40キロ、1時間弱!
喫茶店で休憩したいなぁ

 

カフェのある都会から来たんですか?
わたしも来世は東京のイケメン男子になりたーい!

 

えっ?
誰?
君の名前は?

 

わたしの名前は五葉!
飛騨の女子高生です!
わたしが案内します!

 

なるほど~~~~!四でなくて「いつは」なんだ!
うれしい!お願いしますー!

 

はい! 前前前世くらいまでさかのぼって
戦国時代の江馬氏城館の歴史を紹介しますね!

 

POINT

 江馬氏は飛騨の北東部を支配した准大名クラスの武士
 最初は武田氏と、次は上杉氏と同盟を結んだ
 織田方についた南飛騨の三木氏と本能寺の変後に対決して滅んだ
 交通の要衝で森林が豊かで超リッチ
 発掘するまで予想されてなかった立派な庭園のある館跡が見つかった
 庭からはいざというときの詰城の高原諏訪城が見える

なるほど!武田、上杉、三木を挟んで織田とも関係があるんだね!

 

けっこうすごい武士でしょ?
史跡整備された屋敷跡を一緒に歩きながら説明していくね
でも、屋敷跡は12月から3月までの冬場は閉鎖されているから気をつけてね

室町時代の地方の殿様がお客や部下と面会する建物を会所っていうんだけど、会所が復元されたのは全国でもここだけなんだって


復元された門をくぐると右側に会所が復元されています


会所の内部

浜松時代の家康の浜松城なんかもこれくらいの規模の屋敷だったのかな?
美しい借景のあるお庭を見ながら、戦国時代を乗り切る様々な交渉ごとを進めたと思うと感慨深いね。

 

 

復元された枯山水庭園のイラスト


庭からはいざとなったときに立て籠もる山城・高原諏訪城が見える

発掘される前から5つの石が水田から飛び出ていて「五ケ石」伝承、「江馬の殿様の館の庭石」と言い伝えられてきた(現地の説明シートより)

五ヶ石は伝承通りに庭石だったことが発掘調査で判明。ちゃんと今も復元された庭園に残っている(現地の説明シートより)

これで説明は終わりよ
じゃあね、瀧くん
今度は東京でね!
さようなら、わたしのこと忘れないでね!


えっ?
なんか大人の女性になってる!
瀧くんってだれーーーーー?!
とにかくありがと!五葉ちゃーーーーん
さよーなら!

・・・・

あれ?なんて名前の子だったっけ?

 


最初は武田氏と、次は上杉氏と同盟を結んだ

大名たちの勢力圏の境にいる有力武士(国衆)として、城としてもしっかりとした防御機能を持っていたことが発掘調査からわかりました。

堀の様子

交通の要衝で森林が豊かで超リッチ

展示されている発掘品からは、リッチだった様子がわかります。

輸入された高級陶磁器の白磁や青磁のかけら

武家が好んだ灰色のしぶーい珠洲焼(石川県の能登半島産)

関連記事

  1. 徳川家康が藤原氏から源氏に変わった背景とは

  2. 天長7年1月3日(830年1月30日)出羽国で大地震、秋田城・四天王寺など倒壊

  3. 壬申の乱で大海人皇子が立ち寄った 東を向いた古代役所・久留倍官衙遺跡【三重・四日市】

  4. 天平13年2月14日(741年3月5日) 諸国に国分寺・国分尼寺を建立させる命令(詔)

  5. 神亀6年2月9日(729年)小治田安万侶の墓誌を副葬

  6. 永禄12年1月10日(1569年1月26日)織田信長、上洛

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。