天平5年(733年)1月11日 光明皇后の母 県犬養三千代(橘三千代)が死去

国宝 伝 橘三千代念持仏 法隆寺蔵 Wikipediaより パブリックドメイン

天平5年1月11日(733年1月31日) 県犬養三千代あがたのいぬかいのみちよ(橘三千代)が逝去。藤原不比等の妻で光明皇后の母。

従四位下県犬養宿禰東人の娘とそれほど地位の高い家の出身ではなく、はじめは敏達天皇の曾孫にあたる美努王に嫁いで、橘諸兄らを生みます。しかし、なぜか離別し、藤原不比等と再婚し、701年大宝元年には安宿媛(のちの光明皇后)を出産しました。

亡くなった翌年(天平6年)1月11日、つまり一周忌に、光明皇后が興福寺西金堂を建立し、釈迦丈六像などを安置しました。
「伝 橘三千代念持仏」(法隆寺蔵)が国宝。画像はWikipediaにあり。

関連記事

  1. 印地打ちで死傷者続出!なぜ中世の日本人は石を投げるのか?

  2. 神亀6年2月9日(729年)小治田安万侶の墓誌を副葬

  3. 【国宝 刀剣】金銅荘環頭大刀拵・大刀身 (高知県・小村神社蔵) 年に1度公開の貴重な姿が動画でも

  4. 国宝「金剛経」張即之筆 南宋時代 宝祐元年(1253)京都・智積院蔵

  5. 大正3年(1914年)1月31日 住友財閥総理人・広瀬宰平が87歳で死去

  6. 建久4年(1193年)4月10日 鎌倉幕府の奏請により備前と播磨を東大寺と東寺の造営料国に

コメント

  • コメント (0)

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。