信長、伊達政宗父に「来年は関東、その次はそっちだよ」と煽り散らかす 天正元年(1573年)12月28日 信長、伊達輝政(政宗の父)に書状を送る

天正元年(1573年)12月28日 織田信長、奥羽の伊達輝宗に書状を送る。このとき伊達政宗は7歳。

【出勤中の電車で】
(エミがスマホでLINEをサキに送る)

エミ:(シュッポ)「信長って手紙魔なの知ってる?」

サキ:「え、LINEみたいに?」

エミ:「まあそんな感じ。天正元年(1573年)の12月28日に、遠く奥羽米沢城(山形県米沢市)の伊達輝宗——あの伊達政宗のお父さんへ宛てた書状が残ってるんだけど」

サキ:「へえ、信長と伊達家って接点あったんだ」

エミ:「それがね……内容がすごいのよ。ひとことで言うと「俺、最近こんだけやったよ。来年は関東もやるから。そのあとそっちも行くかもね」って感じで」

サキ:「……それ完全に煽りじゃん」

エミ:「そうなのよ(笑)。仙台市博物館に残ってるこの書状、ちゃんと読むとものすごく面白くて」

サキ:「わかった。きょうのランチのときに詳しく聞く」

書状の中身——信長、自慢しながら圧をかける

サキ:「で、どんなこと書いてあるの?」

エミ:「まず冒頭はすごく丁寧なの。「鷹を送ってくれてありがとう、すごく嬉しい、大事にします」って」

サキ:「鷹?」

エミ:「当時の贈り物の定番よ。フェラーリーみたいな高級外車」

サキ:「AIベンチャーでもうけ過ぎてる社長か!」

エミ:「まあ、そんな感じよね、戦国武将って。輝宗が信長に巣ごもりの鷹——つまり巣で育てた希少な鷹を一対、おまけに巣立ちの鷹もつけて贈っていたの。それを信長が「稀なことで喜びこの上ない、秘蔵にして他には見せない」って大喜びしてる」

サキ:「なんか素直で可愛いじゃん信長(笑)」

エミ:「でもここから急にトーンが変わるのよ。「さて、天下の情勢についてお聞き及びのことと思いますが——」って切り出して」

サキ:「あ、本題きた」

エミ:「武田信玄が病死した、朝倉義景を越前で討って首三千取った、越前一国を平定した、若狭・能登・加賀・越中もことごとく直轄にした、五畿内はもちろん中国地方まで命令を下してる……ってどんどん並べていくの」

サキ:「それ完全に「俺のすげー近況報告」じゃん。しかもすごい量の「やりました」だよ」

エミ:「でもここが本番じゃないのよ。最後にね——「来年は甲州(武田)に出陣して、関東の仕置きをするつもりです。その折には改めて詳しくお話し申し上げましょう」って締めくくってるの」

サキ:「……「関東の仕置き」って何?」

エミ:「要は「関東を片付ける」ってこと。当時の関東って北条氏が支配しかけてたから、その制圧を予告してるわけ。で、奥州の伊達家からしたら「関東の次は奥州」ってことが透けて見えるわよね」

サキ:「ええっ!? 名指しはしてないけど「次はそっち行くよ」ってこと!?」

エミ:「所蔵している仙台市博物館の解説でも「関東の次は奥羽と暗に示唆しているとも見られる」って書いてあったわね。直接的な脅しじゃないけど、読んだ輝宗は絶対に「これ、うちへの圧だ」って気づいたはずよ」

サキ:「……外交文書でこれやるの、なかなかのメンタルじゃん」

エミ:「信長らしいわよね(笑)」

このとき政宗、7歳

サキ:「で、このとき政宗は何してたの」

エミ:「7歳。まだ元服前の子どもね」

サキ:「え、そんなに小さいんだ」

エミ:「政宗って1567年生まれだから、この書状が届いた1573〜74年ごろはまだ幼い子ども。天然痘で右目を失明するのがだいたいこの頃の話よ」

サキ:「あ、独眼竜の由来の!」

エミ:「そう。父・輝宗がこの信長の書状を受け取って「天下統一の足音が奥州にも迫っている」と実感したとき、傍らには隻眼になったばかりの幼い政宗がいたかもしれない」

サキ:「……それ、輝宗パパ、なんかいろいろと大変だったんだね」

書状が語る 信長の外交術

サキ:「ていうか、伊達家ってかなり遠いのに? わざわざ連絡しあっていたんだね。LINEじゃなくて手紙で」

エミ:「そうなの。これは信長だけじゃなく、戦国武将の生き残り術の基本のひとつなのよ。直接利害関係のなさそうな遠くの武将であっても、目まぐるしく状況が変わる戦国時代にといて、敵の敵は味方、味方もすぐ裏切るって感じで、情報戦を制することは重要だったの」

サキ:「戦国時代から情報戦争だったんだね」

エミ:「まさに。輝宗が鷹を送ってきたのも、「信長と関係を築いておいたほうが良さそうだな」という奥州側のアプローチショットよ。それに対して信長は「ありがとう、鷹大事にするよ」と答えつつ、近況報告という名の「俺の実力報告」を丁寧にかつ圧力たっぷりに返してる」

サキ:「贈り物のお礼状が「俺、あいつぶっ殺してきたんで」って内容なの、なかなかやば(笑)」

エミ:「でもこれが外交文書として機能してるのよ。読んだ相手が「信長に従った方がいいかもしれない」と思わせる。現代でもトランプ大統領も使う政治家の常套手段じゃない?」

サキ:「言葉で圧をかけるだけじゃなく、本当に攻め込んだりするし」

エミ:「信長って武力だけじゃなく、こういう書状外交も相当うまかったのよ」

サキ:「で、信長は東北に行けたの?」

エミ:「知ってるくせに(笑)。「来年は関東」とイキっていたけど、実際には10年後、天正10年(1582年)にようやく信長は武田家を滅亡させる。でも関東制圧の前に本能寺の変が起きて信長は死ぬ。パパ輝宗も3年後の1585年に42歳の若さで”戦死”しちゃう」

エミ

輝宗は出陣していた陸奥国安達郡宮森城において、二本松城主で和解交渉に来ていた畠山義継が突如、輝宗を拉致し、二本松城へ逃げようとしたところ、伊達軍の追撃で二人とも死亡。政宗が鉄砲で撃たせたとも、輝宗が差し違えたとも言われる壮絶な最期をとげました。

サキ:「そして政宗が奥州を席巻し始める……」

サキ:「信長が来なかったから、政宗が暴れられた!?」

エミ:「そういう見方もできるわね。もし信長が生きて「関東の次は奥羽」を実行していたら、政宗の「独眼竜の時代」はなかったかもしれない」

サキ:「……この時の信長の手紙の内容を、幼い政宗がパパから聞いていて、『奥州を早く制覇しないとやられる』っていうトラウマが独眼竜の原点だったりしない?」

エミ:「そういう想像も歴史の楽しさよ。たった一つの書状から、こんなに想像を膨らませられるんだもん」

おまけ:プレイリスト会議「信長からの手紙

サキ:「じゃあプレイリスト! 今日のテーマは……「信長の手紙」だよね」

エミ:「素直に、私の1曲目は、Uru『手紙』」

サキ:「映画『雪風 YUKIKAZE』主題歌だ。戦争ものつながりでもあるね。じゃあ、私はサカナクション『いらない』」

エミ:「サイコなあの子からの手紙はいらない(笑)」

エミ:「じゃあ、次はゲスの極み乙女。『キラーボール』。誇大妄想の恋人からの鬼LINEをイメージして」

サキ:「まさに、キラーレター!」

サキ:「じゃあ、次は布袋寅泰『スリル』」

エミ:「強烈なエガちゃん、じゃなくて信長が登場しそうで、震える!」

エミ:「この流れなら言える、BARBEE BOYS『負けるもんか』」
サキ:「80年代の名曲きた!」

エミ

この書状が書かれた天正元年(1573年)は、信長にとって激動の一年でした。将軍・足利義昭を京都から追放して室町幕府を事実上終焉させ、武田信玄の西上作戦を「信玄の死」という形で乗り越え、朝倉・浅井を滅ぼした年です。書状を送った12月28日時点の信長は、まさに天下人への道を一気に駆け上がっている最中でした。ただ、「若狭・能登・加賀・越中もことごとく分国とした」は、この時点では誇張の側面もあり、信長が意図的に自らの勢力を大きく見せている可能性も指摘されています。

*天正元年12月28日(1574年1月20日)—— 信長の書状、奥州へ。政宗7歳、その手紙をまだ読めなかっただろう。*

関連記事

  1. 昭和9年(1934年)3月16日 内務省が瀬戸内海・雲仙・霧島を最初の国立公園に指定。

  2. 推古17年(609年)4月8日 飛鳥時代の仏師・鞍作鳥が丈六釈迦像(飛鳥大仏)を完成

  3. 元禄2年(1689年)3月27日 松尾芭蕉が「奥の細道」の旅に出発

  4. 元徳4年・元弘2年(1332年)3月7日 鎌倉幕府、後醍醐天皇を隠岐国に流す

  5. サッカーで生き延びた公家がいた!飛鳥井雅経と蹴鞠の800年 承久3年(1221年)3月11日 蹴鞠飛鳥井流の祖・飛鳥井雅経が52歳で死去

  6. 慶応4年(1868年)3月28日 「神仏判然令」で神仏混淆を禁止 廃仏毀釈運動が起きる

コメント

  • コメント (0)

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

目次