大化5年3月25日(649年5月11日) 蘇我石川麻呂が謀反の疑いをかけられて山田寺(奈良県桜井市)で自殺。その後、誣告による冤罪と判明。
天武14年3月25日(685年5月3日) 山田寺本尊丈六仏像(山田寺仏頭)開眼。山田寺仏頭は鎌倉時代に興福寺東金堂に移されて、現在、興福寺の国宝。
蘇我石川麻呂 ── 改新の功臣から冤罪の死へ
エミ:サキちゃん、3月25日って、日本史でとても不思議な日なの。
サキ:不思議?
エミ:同じ3月25日に、36年の間をおいて、二つの出来事が起きているのよ。一つは大化5年3月25日、西暦でいうと649年。もう一つは天武14年3月25日、685年。
サキ:36年差で同じ日付。偶然?
エミ:聞いてから判断して。まず649年の3月25日。大化改新の立役者の一人、右大臣蘇我石川麻呂が、奈良県桜井市にある山田寺の金堂の中で、妻子8人とともに自ら命を絶ったの。
サキ:……え。大化改新の功臣が、自分が建てたお寺で?
エミ:そうなの。

エミ:蘇我石川麻呂は蘇我馬子の孫。でも蘇我入鹿とは対立する側にいた人なの。中大兄皇子と中臣鎌足が入鹿暗殺を計画したとき、石川麻呂は娘の造媛を皇子の妃として嫁がせて、クーデターの協力者になった。
サキ:蘇我氏の中にも、入鹿を倒す側の人がいたんだ。
エミ:皇極天皇4年の6月、三韓──朝鮮半島の三国の使節が朝廷に来た日。石川麻呂は女帝の前で表文を読み上げる役を担った。その最中に、暗殺チームが入鹿を討つ手はずだったんだけど──
サキ:手はず通りにいかなかった?
エミ:暗殺団がなかなか現れなかったの。表文がもう終わりに近づいているのに。石川麻呂は汗びっしょり、声は乱れ、手はわなわな震えたって『日本書紀』に書いてある。
サキ:そりゃそうだよ……。失敗したら自分も殺されるんだから。
エミ:結局、入鹿は討たれて、大化改新が始まった。石川麻呂は右大臣に任じられたわ。でもね、新政府の中で実権を握ったのは中大兄皇子と中臣鎌足。石川麻呂は名目上の重臣でしかなかった。
サキ:まつり上げられたんだね。
その指止めろ!弟による「誹謗中傷」
エミ:そして大化5年3月。石川麻呂の異母弟、蘇我日向がこう密告した。「兄の石川麻呂に皇太子(中大兄皇子)殺害計画がある」と。
サキ:え、それ本当だったの?
エミ:嘘だったの。完全な誣告。でも中大兄皇子はこれを信じた。孝徳天皇は何度も使いを送って真偽を確かめようとしたんだけど、石川麻呂は「天皇の面前で直接申し上げたい」と言うばかり。ついに天皇は兵を送った。
サキ:誣告って、つまり現代のSNSでの誹謗中傷だよね。弁明の機会も与えられなかった?
エミ:石川麻呂は当時、遷都して政治の中枢だった難波(大阪市)から地元の大和(奈良県)に逃げ帰ったわ。自分が建立した山田寺(奈良県桜井市)に。そして3月25日、金堂の中で妻子8人とともに自ら命を絶った。死んでも許されずに首を斬られたのよ。

特別史跡「山田寺跡」奥が石川麻呂が死んだ金堂跡
サキ:……そんなひどい目にあった原因が誹謗中傷だったなんて……闇すぎる。
エミ:間もなく謀叛の話は事実無根とわかったの。でも中大兄皇子は密告した日向を罰さなかった。罰すれば自分の判断ミスを認めることになるからでしょうね。日向は筑紫大宰帥に左遷されただけ。
サキ:太宰府に飛ばすって菅原道真みたいなのは飛鳥時代にもあったんだ……それにしても可哀そうのは石川麻呂だよね。自分が建てたお寺で、冤罪にも関わらず自ら死を選んだ。しかも冤罪と分かったあとで死に追い込んだ権力者はそれを認めなかった。
エミ:それが649年3月25日の出来事。
36年後の3月25日 ── 仏頭の開眼
サキ:で……もう一つの3月25日は。
エミ:天武天皇14年3月25日。685年。
サキ:えっと……中大兄皇子が天智天皇になって。その弟が天武天皇だよね。
エミ:そうよ。天武天皇(大海人皇子)は672年に壬申の乱を起こして、天智天皇の息子・大津皇子を倒して天皇に即位したの。もう一つの3月25日は、その後のこと。山田寺で、丈六の仏像──高さ約3メートルの薬師如来像の開眼供養が行われたの。
サキ:山田寺で? 石川麻呂が死んだ、あの山田寺で?
エミ:そう。この仏像は石川麻呂の冥福を祈って造られたの。『上宮聖徳法王帝説』の裏書にそう記されているわ。天武天皇7年に鋳造が始まって、14年に開眼。石川麻呂の死から36年。
サキ:冤罪で死んだ人の魂を弔うために、その人が建てたお寺に仏像を造った。
エミ:しかも開眼の日が同じ3月25日。偶然かもしれないけれど、意図的に選んだのかもしれない。
サキ:(……36年越しの、謝罪?)

山田寺跡の発掘の結果、石川麻呂とその家族が死んだ金堂の基壇は、東西21.6m、南北18.4m、高さ2m。重要な発見は金堂の手前に2.4m×1.2mの大きさの「礼拝石」と考えられる板石が見つかったことです。礼拝石を金堂の前面に据えるのは珍しいため、649年の天武天皇期の新仏像完成に合わせて増築された石川麻呂の慰霊のための礼拝石と考えられます
流転の仏頭

猿沢池から見た興福寺五重塔
エミ:でもね、この仏像の物語はここで終わらないの。むしろここから始まる。
サキ:え、まだあるの。
エミ:文治3年、1187年。源平合戦のあとのことよ。話は少しさかのぼって1180年、源頼朝が伊豆で挙兵する。この年はまさに源平合戦が始まり、平家は奈良で東大寺大仏殿を炎上させるなど治承の兵火によって興福寺も燃えてしまったの。そして1185年(元暦2年)3月24日、壇ノ浦の戦いで平家滅亡。※元暦2年8月に改元されて文治元年。
サキ:まさか、きのう3月24日でお話したばかりの続きなの?!
エミ:平家によって1180年に燃やされた興福寺の復興が急がれていたとき、興福寺の衆徒たちが山田寺に押しかけて、この薬師三尊像を力ずくで奪い取ったの。
サキ:奪った!?

興福寺東金堂(左)と五重塔
エミ:奪ったの。『玉葉』にはっきり記録されてるわ。東金堂の本尊が必要だったそうよ。蘇我石川麻呂の鎮魂のための仏像が、今度は中臣鎌足を祖とする藤原氏の菩提寺の興福寺のものになった。
サキ:石川麻呂、踏んだり蹴ったり……。興福寺の復興って一緒に見に行った東博の運慶展の北円堂もこの時に再建されたんだよね。なんか複雑な気分……。
エミ:時計の針を進めて室町時代の応永18年、1411年。興福寺五重塔に雷が落ちて、東金堂も類焼してしまった。ちなみに国宝の興福寺東金堂は1415年(応永22年)に再建されたものよ。そして例の山田寺の薬師三尊像はこの時に焼失したと思われていたわ。500年以上、誰もその行方を知らなかった。
サキ:500年。
エミ:そして昭和12年、1937年。東金堂の修理工事の時に、現在の本尊──応永22年に新しく造られた仏像ーの台座を開けたら、なんと中から銅造の仏頭が出てきたの。
サキ:……台座の中から?
エミ:応永の火事のとき、誰かが頭部だけ助け出して、新しい仏像の台座に納めていたのよ。体は失われたけれど、頭だけが500年間、静かに守られていた。
サキ:…………。
エミ:この仏頭が今、興福寺国宝館にあるの。国宝「銅造仏頭(旧山田寺本尊)」として。蝋型鋳造の白鳳彫刻、つまり飛鳥時代の大作で、頭だけなのに高さは98.3センチもあるわ。
サキ:見たことある。あの、ちょっと微笑んでるように見える──
エミ:豊かで引き締まった肉付け、明快な目鼻の刻み。白鳳時代の仏像の中でも最高傑作の一つとされているわ。私も興福寺国宝館に行くとこの仏頭の前で時間が止まった感覚になるわ。まさに時間が溶ける感じ。
仏頭の時間
サキ:私、興福寺国宝館って1度しか行ったことがないから、その時は阿修羅に夢中になっていたけど、この仏頭のことは印象に残ってる……整理させて。この仏頭の年表って……
エミ:言ってみて。
サキ:641年、石川麻呂が山田寺を建て始める。おそらくこの時には別の仏像が本尊だった。649年3月25日、冤罪で自殺。685年3月25日、石川麻呂の冥福を祈るこの仏像が開眼。1187年、興福寺に奪われる。1411年、雷火。誰かが頭だけ救い出して台座に隠す。1937年、発見。そして今、宝物館で国宝として展示。
エミ:正解。
サキ:1400年だよ。この仏頭は1400年の間に、建てた人の死によってこの世に降臨して、時に奪われて、時に燃えて、隠されて、そして見つかった。
エミ:ずっと、あの表情のままね。
サキ:……あの微笑みって、石川麻呂の無念を知った上で見ると、全然違って見えるね。石川麻呂のためっていうことだけど、実際には冤罪を知りながら兄の中大兄皇子の面子や権力のために正せなかった天武天皇が許されるための「微笑み」……。
エミ:さすが鋭いわね、サキちゃん。あの穏やかな微笑みは誰のためのものだったのかしら。想像するしかないけどね。
サキ:興福寺で見たとき「きれいな仏頭だな」としか思わなかった。でもすごく引っかかってた。今は……なんか、泣きそうだよ。
エミ:3月25日という日付が、悲劇と鎮魂を結んでいるの。偶然にしては、できすぎているでしょう?
サキ:……歴史って、知れば知るほど、ものが違って見えてくるんだね。
エミ:隠された歴史に思いをはせる人が1400年後の日本にもいることを知れば、石川麻呂もきっと微笑んでる。
サキ:もう……エミちゃん、これ以上泣かせないで……
変わらぬ微笑みと対面できる
エミ:この仏頭に会いたくなったら、常設展示されている奈良の興福寺国宝館へ行けばいいわ。
サキ:山田寺跡は?

特別史跡「山田寺跡」
エミ:奈良県桜井市にあって、特別史跡に指定されているの。一度行ったけど、ものすごい空虚なのに濃厚な空気のある遺跡だったわ。金堂や塔の礎石が残っていて、さらに発掘調査では東回廊自体が倒れたまま地中から見つかったのよ。すぐ近く奈良文化財研究所飛鳥資料館には出土した東回廊(重要文化財)再現された形で常設展示されているわ。法隆寺は現存世界最古の木造建造物だけど、現在の法隆寺は天智天皇の670年に再建されたものだから、641年の山田寺の東回廊はそれより古いことになるの。

飛鳥資料館
サキ:世界最古よりも古い建造物が地中とはいえ残っていたなんて驚きだよ。それに石川麻呂が最期を迎えた金堂の跡も、特別史跡になっていて歩けるんだね。
エミ:1400年前のあの日のことを想いながらね。
プレイリスト会議
エミ:さて、プレイリスト! 今回は「冤罪」「1300年の時間」。重いテーマだけど。
サキ:重いけど、仏頭の微笑みを思い浮かべると不思議と暗くはならないんだよね。
エミ:私は羊文学の「more than words」にするわ。
サキ:きのうの平家滅亡ではアニメ「平家物語」のテーマ曲、羊文学の「光るとき」だったよね。私たちのプレイリストも歴史と同じで繋がりがあるんだ。じゃあ私はAimer「残響散歌」。鐘の音は消えても残響は残る。石川麻呂の無念も、仏頭の微笑みも、1300年の残響だと思う。
エミ:いいね。まさに「残響」よね。じゃあ次は緑黄色社会『花になって』
サキ:……なんかわかる。ぞくぞくして目が離せない物語。映画「でっちあげ」の主題歌のキタニタツヤ「なくしもの」。
エミ:2025年の映画だね。今度ネトフリで配信されたら見ないと。じゃあ私は切り札。Kalafina「storia」。
サキ:来たね。NHKの歴史秘話ヒストリアの主題歌だから、どんな話でもこの曲は合うんだけど、それだけに私たちも”封印”してるんだよね
エミ:はは、裏設定は言わないの!(笑)次はマクロスFから「ライオン」か迷ったんだけど、シェリル・ノーム starring May’n「ノーザンクロス」
サキ:うわぁ、分かる。「生き残りたい」の「ライオン」も入れよう。1作品1曲なんて裏設定ないし(笑)
エミ:……山田寺の仏頭って尽きないわね。とても感情を揺さぶる。でもあと1曲ずつにしようか。
サキ:じゃあ、私のラストはYOASOBI with ミドリーズ 「ツバメ」。渡り鳥って、遠くに行っても帰ってくるじゃん。仏頭も山田寺で生まれて、奪われて、焼かれて、隠されて……でも国宝として「見つけてもらえた」。帰ってきたわけじゃないけど、また人の目に触れるところに戻ってきた。
エミ:……うー……
サキ:どしたの。
エミ:最後の曲、候補が多すぎる!
サキ:あしたもまたプレイリスト作るでしょ、一緒に。
エミ:サキたん!(抱きつこうとするがかわされる)じゃあ、ウォルピスカーターの「泥中に咲く」!
参考:国史大辞典「山田寺」(福山敏男)「仏頭」(西川杏太郎)「蘇我石川麻呂」(黛弘道)
仏頭は興福寺国宝館にて常設展示。特別史跡山田寺跡は公園化、入場無料。





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