飛鳥大仏は「日本最古」なのに国宝になれない!?推古17年(609年)4月8日 飛鳥時代の仏師・鞍作鳥が丈六釈迦像(飛鳥大仏)を完成

推古17年4月8日(609年5月16日) 飛鳥時代の仏師・鞍作鳥くらつくりとり丈六じょうろく釈迦像を完成させ、飛鳥寺(奈良県明日香村)の金堂に安置した。日本最古の仏像「飛鳥大仏」の誕生である。

【4月のよく晴れた日曜日 明日香村】

(自転車を借りて、のどかな田園風景のなかを走り始める二人)

サキ:「うわぁ……空が広い! 東京じゃ考えられないよぉ」

エミ:「でしょう? 明日香村は飛鳥時代の遺跡がそのまま田んぼや畑の下に眠ってるの。今日はね、日本最古の仏像に会いに行くわよ」

サキ:「日本最古!? それってめちゃくちゃ貴重じゃん! 国宝でしょ?」

エミ:「……ふふ、それがね。国宝じゃないの」

サキ:「ええっ!?」

日本最古なのに国宝じゃない仏像

(飛鳥寺の門前に自転車を停める。こぢんまりとした境内に入ると、本堂はすぐ目の前)

サキ:「あれ、お寺ちっちゃくない? 日本最古の仏像がいるにしては……」

エミ:「今の飛鳥寺はね、かつての大伽藍のほんの一部なの。もとは蘇我馬子そがのうまこが建てた法興寺ほうこうじ——塔を中心に北・東・西に三つの金堂を配した、当時としては破格のスケールのお寺だったのよ」

サキ:「三つも金堂!? すごっ」

エミ:「しかも百済から僧侶や寺大工、瓦職人、画工まで送ってもらって造ったの。発掘で出てきた軒丸瓦の文様が、百済の都・扶余ふよの瓦とそっくりだったのよ」

サキ:「へぇ〜! 国際プロジェクトだったんだ」

エミ:「そう。で、その中金堂にいらしたのが——今も同じ場所に」

(本堂に入ると、薄暗い堂内に大きな仏像が静かに座っている)

サキ:「……おっきい。あと、なんか……独特の雰囲気がある。他のお寺の仏像と違う感じ」

エミ:「高さ275センチ。丈六じょうろく——つまり立ち上がったら一丈六尺(約4.8メートル)になるサイズの坐像よ。この飛鳥大仏が、推古天皇17年(609年)の4月8日に完成したの」

サキ:「609年……えっと、今から1400年以上前!?」

エミ:「そう。で、これだけ古いのに国宝じゃなくて重要文化財なの」

サキ:「なんでなんで?」

エミ:「建久7年——1196年に落雷で金堂が焼けたの。本尊も大きなダメージを受けて、頭や体の大部分が後世に造り直されたとされてきたのよ。だから『日本最古とは言うけど、オリジナルがほとんど残ってない』というのが従来の評価だったの」

サキ:「あぁ……補修しすぎて『これ本当に飛鳥時代のもの?』ってなっちゃったってこと?」

エミ:「そういうこと。でもね——」

サキ:「でも?」

エミ:「そもそも土台は飛鳥時代から変わっていないし、近年の研究で、目や額のあたり、右手の指だけじゃなくて、かなりの部分が飛鳥時代のオリジナルのまま残ってるんじゃないかって見方が出てきているの!」

サキ:「えっ、じゃあ国宝になれるかもしれないの!?」

エミ:「まだ研究の途中だけど、もしそうなら……1400年前の鞍作鳥の仕事を、私たちは今まさに見ているってことになるわ」

サキ:「……なんかすごいね。ぞくぞくする」

エミのメモ📝

飛鳥大仏の完成年については、『日本書紀』は推古14年(606年)、『元興寺伽藍縁起』は推古17年(609年)とします。『元興寺伽藍縁起』は光背の銘文に基づいており、推古17年説が有力です。

止利仏師——飛鳥彫刻の「顔」をつくった男

サキ:「ねえエミちゃん、鞍作鳥って何者なの? どこまでが名前?」

エミ:「鞍作くらつくりが姓で、名がとりよ。

サキ:「蘇我入鹿も馬子もイルカやウマだし、動物の名前が多かったのかな。それで鞍を作る人が仏像を?」

エミ:「いい質問。鞍作氏は渡来系の工人一族で、もとは馬具——鞍を作る技術集団だったの。金属加工の高い技術を持っていて、それが仏像の鋳造にも活かされたのね」

サキ:「あっ、そういうことか! 金属を扱う技術がベースにあったんだ」

エミ:「そう。鞍作鳥は止利仏師とりぶっしとも呼ばれていて、法隆寺金堂の釈迦三尊像——あの国宝中の国宝も彼の作品なのよ」

サキ:「えっ、あの有名なやつ!? じゃあ飛鳥時代の仏像彫刻界のスーパースターじゃん」

エミ:「そのとおり。そして実はね、飛鳥大仏と法隆寺の釈迦三尊像には様式的な共通点が指摘されてるの。目や額のあたりの造形が似ているのよ」

サキ:「同じ人が作ったんだから当然っちゃ当然だよね。……てことは、火災を生き延びた飛鳥大仏の顔を見れば、止利仏師の『くせ』がわかるってこと?」

エミ:「さすがサキちゃん、そこに気づくのがすごい。まさにそうなの。オリジナルの部分が多く残っているなら、止利様式の研究にとって飛鳥大仏の価値はさらに上がるわ」

サキ:「理系的に言うと、サンプルデータが増えるってことだもんね」

エミ:「……その言い方、仏像に対してどうなの(笑)」

サキ:「えへへ」

1400年の波乱——蹴鞠、クーデター、落雷

(本堂を出て、境内を歩く二人)

サキ:「飛鳥寺ってさ、仏像だけじゃなくて歴史の舞台にもなってるの?」

エミ:「もう、なりすぎてるわよ。飛鳥寺の西にあったつきの木の下は、中大兄皇子と中臣鎌足が蹴鞠で出会った場所なの」

サキ:「大化の改新につながるあの蹴鞠!?」

エミ:「そう。で、蘇我入鹿を倒したあと、中大兄皇子はこの飛鳥寺を占拠して城塞にしたの」

サキ:「お寺を要塞に!? 飛鳥大仏の前で軍事会議してたかもしれないってこと?」

エミ:「十分ありえるわね。さらに入鹿の死を知った中大兄皇子のお兄さん——古人大兄皇子ふるひとのおおえのみこは皇位を辞退して、まさにこの寺の仏殿と塔の間で髪を剃って出家したの」

サキ:「うわぁ……政治ドラマの舞台だったんだ。飛鳥大仏、全部見てたってことだよね」

エミ:「そうなのよ。天武天皇の病気平癒のための読経も行われたし、持統天皇は先帝の御服ぎょふくで袈裟を作って僧侶に配ったりもしたの」

サキ:「国をあげての祈りの場だったんだね」

エミ:「それだけじゃないわ。2026年に国宝に新指定される富本銭が出土した飛鳥池遺跡はほら、目の前の奈良県立万葉文化館がそこよ」

サキ:「工業地帯も隣接していたんだ。でもそのあと、お寺は奈良に引っ越しちゃうんだよね?」

エミ:「養老2年(718年)に平城京に移って元興寺がんごうじ(奈良市)になったの。でも金堂と塔はここに残されたのよ。大仏は動かさなかったってことね」

サキ:「重すぎて運べなかったとか?」

エミ:「……ふふ、そういう現実的な理由もあったかもしれないわね。そして建久7年(1196年)の落雷。金堂も塔も焼けて——」

サキ:「飛鳥大仏も被害を受けたんだよね……」

エミ:「ええ。でもね、完全に溶けてしまったわけじゃなかった。頭と手が残って、人々はそれをもとに造り直して、ずっとお祀りし続けたの。1400年間、ずっと同じ場所で」

サキ:「……同じ場所に、ずっと。それってすごいことだよね」

エミ:「飛鳥寺の伽藍はほとんど失われたけれど、大仏は今もかつての中金堂があった位置に座っているの。まったく場所を変えていない石の須弥壇しゅみだんの上で」

サキ:「推古天皇、聖徳太子、蘇我入鹿、馬子、中大兄皇子、中臣鎌足……わたしたちと同じ場所から拝んでいたんだよね。なんか泣きそう。国宝じゃなくても、ずっとここにいてくれたことが一番すごいよ」

エミ:「うん……本当にそう思う」

エミのメモ📝

建久7年(1196年)の落雷では塔も焼失し、翌年、塔の心礎から仏舎利や金銀の品々が発見されました。崇峻天皇元年(588年)に塔の心柱を立てたときに納められたものと考えられています。発掘調査では、飛鳥寺の伽藍配置が朝鮮半島の寺院と類似することもわかり、百済の工人が造営に携わったという記録と一致しています。

🎵 プレイリスト会議

(飛鳥寺近くの売店で、サキがラムネを買って飲んでいる)

サキ:「ぷはーっ、生き返るぅ〜。さて、今日のプレイリストいこうよ!じゃあ私は、YOASOBIの『祝福』で」

エミ:「ガンダム水曜の魔女の?」

サキ:「うん。1400年同じ場所にいるって聞いて、なんかこう……守り続けてきた人たちの祈りみたいなものを感じたんだよね。歌詞に『願い続けた』ってフレーズがあるじゃん。飛鳥大仏もきっとそうだよ」

エミ:「じゃあ私はn-buna『ウミユリ海底譚』を入れたいの」

サキ:「海の底じゃないけど、どういうつながり?」

エミ:「深い海の底に沈んでいるのに、それでも光を求めている感じが、焼けてもなお座り続ける飛鳥大仏と重なるのよ。それに『ウミユリ』って海百合——化石として何億年も残る生き物なの」

サキ:「あっ……! 化石みたいに時間を超えて残るもの、ってことか。深いなぁ」

この丈六釈迦像が、銅造釈迦如来坐像として重要文化財。火災で損傷が激しく顔などは新しいとみられていたが、近年の研究では、かなりの部分が飛鳥時代のままとの考えも出ている。「飛鳥寺 国宝」で検索すると、この「国宝になれない仏像」の記事が今でも上位に表示される。

「日本最古」といわれながら、国宝になれない仏像がある。飛鳥寺(安居院、奈良県明日香村)にある飛鳥大仏(銅造釈迦如来坐像、重要文化財)だ。国宝になれないのは、後世の補修箇所が多く、造られた7世紀当時の部分がほとんど残っていないからとされているが、最新の研究では、オリジナル部分が従来考えられていたよりも多く残っているとの結果も。飛鳥大仏に国宝指定の報は届くか。(産経新聞、2018年10月27日)

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