永正9年閏4月2日(1512年5月17日) 駿河守護の今川氏親の軍勢が浜名湖周辺で、遠江守護の斯波義達と戦う。斯波義達は尾張守護と兼任していたが、永正14年(1512年)に籠城していた浜松城(当時は引間城)を攻められて降伏して出家。今川家は駿河・遠江2国の戦国大名に。斯波氏は2国の守護から尾張のみの守護へ陥落。
【大手町のオフィス近く お昼休みのカフェテリア】
(ランチのパスタを食べ終えたエミが、一冊の文庫本をテーブルに置く)
エミ:「サキちゃん、今日は閏4月2日の話をしたいの」
サキ:「うるう4月? 旧暦って、月まで”うるう”があるんだ?」
エミ:「そうなのよ。旧暦は太陰太陽暦だから、暦と季節のズレを調整するために、約3年に1回くらいの割合で同じ月がもう1回入るの。だから永正9年には4月が2回あって、2回目の4月が閏4月。西暦だと1512年の5月17日ね」
サキ:「へぇ〜。で、その日に何があったの?」
エミ:「遠江の浜名湖のあたりで、斯波義達と今川氏親が戦ったのよ」
サキ:「……ごめん、両方とも知らない」
エミ:「でしょうね。でもね、この知名度の低い戦いが、実は信長と秀吉の運命を決めたかもしれないの」
サキ:「ええっ!? それは気になるじゃん!」
第1章 遠江をめぐる二人の守護
(エミがスマホで浜名湖周辺の地図を見せる)
エミ:「まず、登場人物を整理するわね。斯波義達は尾張と遠江、二つの国の守護を兼任していた大名なの」
サキ:「守護って、今でいう県知事みたいな?」
エミ:「まあ、かなりざっくり言えばそうね。室町幕府から任命された、その国の軍事・行政のトップよ。尾張は愛知県の西半分、遠江は浜松市など静岡県の西三分の一で、対する今川氏親は駿河の守護。こちらは静岡市など静岡県の中央部ね」
サキ:「じゃあ、遠江——静岡県の西を取り合ってたってこと?」
エミ:「そういうこと! しかも今川氏親のバックには、静岡の東の三分の一の伊豆や小田原の相模を支配することになるあの北条早雲がいたの。実は早雲は氏親の母方の伯父にあたるのよ」
北条早雲は、彼自身が生きている間は北条姓でなく、伊勢氏でした。伊勢宗瑞と呼ぶのが歴史クラスタの流儀だけど、ここでは北条早雲と呼びます。
サキ:「北条早雲って、戦国時代でも最初のほうに出てくる人だよね? そもそも今川氏親って義元の誰?」
エミ:「そうね、まず今川義元のお父さんと言っておいたほうが分かりやすかったわね。この頃は北条早雲が今川家配下の最強の武将だったの」
サキ:「北条早雲を手駒として使えるって強そう」
エミ:「話しはまさに戦国時代のはじまりである応仁の乱に直結するわ。応仁の乱でどの国もごちゃごちゃになるんだけど、今川家も氏親の父親、つまり義元のおじいちゃんの今川義忠が1476年に遠江で地元勢との戦いで戦死するの。氏親は6歳だったから、親戚があとを継ぐの。で、大きくなった氏親を今川家を継がせるために、1487年4月、北条早雲が足利将軍(9代義尚)の意向を受けて今川家に派遣されるの」
サキ:「若い二代目社長の会社に、メインバングから番頭役として凄腕の銀行員が出向してきて専務になる…みたいな」
エミ:「まさにそのとおりよ。幕府(メインバンク)をバッグに、北条早雲と今川氏親はあとを継いでいた親戚を殺してしまう。さらにこの親戚が今川氏でなかったことにすらして『小鹿新五郎範満』って名に」
サキ:「うわっ。中継ぎの社長の存在すら消しちゃったんだ」
エミ:「ところがそのころ都でもとんでもない事件が起きるの」
サキ:「今度はメインバンクで?」
エミ:「本当に魑魅魍魎すぎるんだけど。北条早雲を派遣した9代将軍足利義尚は早雲を派遣した2年後の1487年に近江で六角氏と戦っている最中に陣中で死亡している。25歳の若さだった」
サキ:「えっ?出向させたメインバンクの頭取がすでに失脚していたの?」
エミ:「そうなるわね。10代将軍はいとこの義稙。覚えなくていいわよ。とにかくこの10代目の頭取、いや将軍が1492年にクーデター(明応の政変)によって排除されて、11代目には氏親と北条早雲と近しい義澄が就任するの」
サキ:「わけ、わからん」
エミ:「とにかく再びメインバンクの支援を受けた氏親は明応3年(1494年)の秋から父親の仇である遠江への侵攻を始めたわ。軍勢を率いたのは今川家の専務でメインバンクから出向された北条早雲よ。早雲は、10代頭取系の伊豆のメインバンク子会社(堀越公方)を攻めて、伊豆を支配し、今川家から独立。氏親は遠江への侵攻を続けて1501年には尾張・遠江守護の斯波氏と信濃の小笠原氏の連合軍を破って、一気に遠江の大部分を制圧したの」
サキ:「じゃあ、もう勝負ついてるんじゃないの?」
エミ:「ところがそう簡単じゃないのよ。遠江には、独立心の高い地元の国人——土着の武士たちがたくさんいたの。井伊氏、大河内氏、巨海氏とか。彼らが粘り強く抵抗して、今川の完全制圧を阻んでいたわ」
サキ:「あー、地元のゲリラ戦みたいな感じ?」
エミ:「まさにそう。で、1510年頃からは尾張から斯波義達自身が遠江に乗り込んで、本格的な巻き返しを図ったのよ。浜名湖や天竜川を挟んで一進一退の戦いが続いて——」
サキ:「それが1512年(永正9年)のこの戦いにつながるんだね」
エミ:「そう。閏4月2日の戦いのあと、一時休戦になったんだけど、これはまだ序章にすぎなかったの」
エミのメモ📝
斯波氏は足利一門の名家で、室町幕府では三管領(細川・斯波・畠山)の一角を占める超名門。尾張・越前・遠江の守護を歴代務めてきた。しかし応仁の乱以降は内紛が絶えず、戦国時代に入ると各国の守護代に実権を握られていく。尾張では守護代の織田氏がどんどん力をつけていった。
第2章 引間城の戦い——金掘り衆が決めた勝敗
(エミが文庫本のページをめくる)
エミ:「翌年の1513年(永正10年)3月、今川氏親が大きな一手を打つわ」
サキ:「どんな?」
エミ:「斯波方に味方した井伊氏の三岳城——深嶽城とも書くんだけど——に駐留していたらしい斯波義達を撃破したの」
サキ:「井伊って、『おんな城主 直虎』の井伊だよね?」
エミ:「そうよ。井伊家は今川とは微妙な関係だったの。逆にのちに徳川家康に登用されるのも、反今川の過去があるからこそかもしれない。話を戻すと、同じ永正10年の4月には、義達の父で実力者だった前尾張守護の斯波義寛が清須で亡くなったの。これで斯波家は大黒柱を失ったわ」
サキ:「斯波氏はダブルパンチじゃん……」
エミ:「一方の今川氏親も、甲斐の武田信虎——信玄のお父さんね——との戦いが始まって、遠江に全力を注げなくなった時期があったの」
サキ:「あ、じゃあ斯波側にチャンスが?」
エミ:「義達もそう思ったんでしょうね。永正14年(1517年)4月、起死回生を狙って引間城に立てこもったの。この城は後の浜松城よ」
サキ:「浜松城!? 家康の城じゃん!」
エミ:「そう、その前身ね。でも6月18日、今川軍が天竜川を渡河して引間城を攻撃したわ」
サキ:「天竜川って、かなり大きい川だよね? 渡るの大変そう……」
エミ:「氏親は三百余艘の船で船橋を架けて渡ったと伝わっているわ。そしてここからがすごいの——安倍山の金堀り衆を工兵として投入したのよ」
サキ:「金堀り衆? 金を掘る人たち?」
エミ:「そう。安倍山——今の静岡市の奥のあたりにあった金山の坑夫たちよ。彼らのトンネル掘削技術を使って、引間城の井戸の水脈を断ったの」
サキ:「ええっ!? 城の水を止めた!? それってエグすぎない?」
エミ:「(ちょっと興奮気味に)でしょ!? これ、戦国時代の初期にここまで組織的な”工兵作戦”をやれたってことは、今川氏親の領国支配がすでにかなり進んでいた証拠なのよ。金山の職人を軍事動員できる体制が整っていたってことだから」
サキ:「(エミちゃんの目がキラキラしてる……この手の話大好きだもんね)」
サキ:「で、水がなくなった城はどうなったの?」
エミ:「8月19日、引間城は落城。斯波義達は降伏して、捕虜になったわ。出家させられた上で尾張に送り返されたの」
サキ:「出家させられたってことは、もう政治に関わるなってこと?」
エミ:「事実上そういうことね。これで今川家は駿河・遠江の二国を支配する戦国大名になったわ。そして尾張に送り返された斯波家では、まだたった3歳の斯波義統が新しい当主になったの」
サキ:「3歳!? そんなの飾りじゃん!」
エミ:「その通り。実権は守護代の織田氏が握っていくことになるわ。そして、この織田氏の中から、やがて——」
サキ:「信長が出てくる……!」
エミのメモ📝
今川氏親はのちに「仮名目録」という分国法を制定している(大永6年・1526年)。これは領国内の法秩序を守護が独自に定めたもので、今川が「守護大名」から「戦国大名」へと転換したことを示す象徴的な法令。氏親が遠江を完全平定した永正14年あたりが、この転換の実質的な起点と考えられている。
第3章 もしも斯波義達が「遠江を捨てていたら」?
(エミが紅茶をひと口飲んで、にやりと笑う)
エミ:「さて、ここからが今日の本題よ。サキちゃん、妄想再現ドラマの時間です」
サキ:「来た! IFシナリオ!」
エミ:「もしも——斯波義達が遠江に固執せず、最初から尾張に腰を据えていたら、日本の歴史はどう変わっていたか?」
サキ:「えっと……遠江を今川にあげちゃって、尾張に集中するってこと?」
エミ:「そう。損切りよ、損切り。実はね、斯波氏にとって遠江はすごく遠い領地だったの。本拠地の尾張から遠江に兵を送るには、三河(愛知県東部)を通り抜けないといけないんだけど——」
サキ:「三河って、誰の領地だったの?」
エミ:「この時期、三河は群雄割拠状態。松平長親——家康のご先祖ね——が西三河にいたけど、東三河には戸田氏や牧野氏など小領主が乱立していたわ」
サキ:「じゃあ、斯波が遠江に行くのも大変だったんだ」
エミ:「そうなの。しかも遠江では、地元の国人衆も独立心が強いということは、対応もバラバラってこと。今川につく勢力もいたし、本気で斯波氏に忠誠を誓っている勢力がどれだけいたんだか。言ってみれば、斯波にとって遠江は”勝てない戦場”だったのよ」
サキ:「それなのに10年近くも戦い続けたんだ……。株で言ったら、塩漬け銘柄にナンピンし続けてるみたいなもんじゃん」
エミ:「サキちゃん、たとえがリアルすぎる……けど合ってる」
サキ:「で、もし尾張に集中してたら?」
エミ:「ポイントは3つあるわ」
IF① 守護代・織田氏を押さえられた
エミ:「現実の歴史では、義達が遠江で大敗して出家、3歳の義統が当主になったことで、守護代の織田氏に実権を奪われたわ。でも義達が尾張にいて、直接統治を続けていたら?」
サキ:「守護代は”代理”なんだから、本人がいれば出番ないよね」
エミ:「その通り! 織田氏が力をつけたのは、斯波の当主が不在——あるいは幼すぎて飾り——だったからよ。義達がしっかり尾張を治めていれば、織田信秀——信長の父——が台頭する余地もなかったかもしれないわ」
サキ:「信長のお父さんすら出てこない……ってこと?」
エミ:「少なくとも、史実のように守護を押しのけて独自勢力を築くのはかなり難しかったと思うわ」
IF② 三河・美濃への拡大
エミ:「遠江に注いでいた軍事力を、隣の三河や美濃に向けていたらどうなったか。三河は群雄割拠で統一勢力がいなかったし、美濃の土岐氏も内紛で弱体化していたわ」
サキ:「あっ、そういえば美濃って、のちに斎藤道三が乗っ取るところだよね?」
エミ:「そう! 土岐頼芸が守護だったけど家中がガタガタだったの。斯波義達が美濃に全力で介入していたら、道三がのし上がる隙もなかったかもしれない」
サキ:「ちょっと待って……道三がいなかったら、道三の娘の帰蝶もいないから——」
エミ:「信長と濃姫の結婚もない」
サキ:「歴史のドミノ倒しだ……!」
IF③ 信長も秀吉も歴史に登場しない?
エミ:「ここが最大のポイントよ。織田信長は、尾張の守護代の分家——しかもさらにその分家から出てきた人物なの。守護の斯波家が弱体化して、守護代の織田家も内部分裂して、その隙間から這い上がってきたのが信長よ」
サキ:「斯波が強ければ、その隙間自体がないってこと?」
エミ:「そういうこと。そして豊臣秀吉に至っては——」
サキ:「もともと武士ですらなかったよね。出自にこだわらない信長に仕えたから出世できたんだよね。名門斯波氏が尾張で君臨していたら、秀吉は歴史に名前すら残らなかったじゃないかな」
エミ:「サキちゃんもそう思うよね」
サキ:「(えへへ)……つまり、斯波義達が遠江の”損切り”をしていたら、信長も秀吉も出てこないし、下手したら家康だって——」
エミ:「家康の場合はまた複雑だけど。西の尾張が斯波氏、東の駿河・遠江が今川と、それぞれ名門による盤石な支配が行われていたら、その間にある三河の松平家が戦国大名として成長するのは相当難しかったでしょうね」
サキ:「うわぁ……三英傑が全滅する可能性があったんだ」
エミ:「もちろん、これはあくまで妄想再現ドラマよ。歴史のIFって、ひとつ条件を変えると別の要因がどう動くかわからないから、”こうなったはず”とは言い切れないの。でもね——」
サキ:「でも?」
エミ:「斯波義達が遠江の戦場にこだわったことが、結果的に尾張の権力構造を激変させて、信長の登場を準備した。これは歴史の事実よ。知名度ゼロの合戦が、日本史最大のヒーローたちの”前提条件”だったっていうのは、なかなかゾクゾクしない?」
サキ:「する! すごくする! なんか、バタフライエフェクトだね。遠江の蝶の羽ばたきが、安土桃山の嵐を呼んだ的な」
エミ:「うまいこと言うわね。”遠江の蝶”——記事のサブタイトルにしたいくらい」
エミのメモ📝
斯波義達の息子・義統は天文23年(1554年)に守護代の織田信友の家臣・坂井大膳に殺害される。その後、義統の子・義銀が信長に保護されるが、永禄4年(1561年)に信長に反抗して追放。これで斯波家は完全に滅亡した。守護家が守護代に倒され、その守護代がさらに分家に倒される——下剋上のドミノは、斯波義達の遠江敗退から約40年で完了した。



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