中国の元の時代に因陀羅(いんだら)という人が描いたユルフワな水墨画「禅機図」という絵があります。もとは1巻だったものが数多く分割されて、そのうち5つの断簡がそれぞれ国宝に指定され、都内の5館が所蔵しています。(そのほかにも重要文化財の断簡も)
昨年はGWに根津美術館でその一つ「布袋図」が公開、秋には静嘉堂文庫美術館(静嘉堂@丸の内)で「智常禅師図」、さらに秋に東博の国宝展の後期で「寒山拾得図」が出展されましたが、今年に入ってアーティゾン美術館でも2月25日からの石橋財団コレクション選展で「丹霞焼仏図」が展示されています。根津美術館からすべての国宝の禅機図を見てきたので、アーティゾンにも見に行きました。(アーティゾン美術館だけ撮影可でした)
これで1年のうちに国宝5つのうち4つを一気に見ることができ、残りの一つは、畠山記念館が所蔵しているものになります。しかし、畠山記念館は2019年から修繕のため長期休館中。いつかは分かりませんが再開のときにはおそらくお披露目されると思いますので、その時を待とうと思います(畠山記念館は6件の国宝を所蔵)。
1巻を切断したのか?1冊を分解したのか
禅機図断簡と「断簡」とされているように、もともとは1巻だったのをバラバラにしたとされています。しかし、静嘉堂@丸の内の「響きあう名宝ー曜変・琳派のかがやき」図録では、「特殊な紙、二行の題詩、など共通点もあり、同一の巻子を切断したとみる説もあるが、さらに研究を要す」とあって、アルバム状だったのではという考えもあるようです。
確かに鳥獣戯画のような巻物(スクロール)だと、これほどきれいに1場面ごとにぴたっと同じサイズで切断できないような気もします。
因陀羅が描いた絵は中国に残っておらず、謎の絵師ですが、因陀羅という言葉自体がサンスクリット語で「風神」を意味するものなので固有名詞というよりは、描いた僧侶のニックネームのようです。ColBaseの説明では、法名は壬梵因といい、黄河の南岸にある大都市開封の大光教禅寺に住し大師号を授けられた高僧とされています。
もともとは、むしろ讃を書いたのが楚石梵琦(そせきぼんき)という有名な禅僧で文章のほうが珍重されたのでしょう。ただ、ゆるくてふわっとしたヘタウマな水墨画(その筆頭が、ある意味で超絶技巧とは言いがたい雪舟と言えるでしょう)は、日本で室町時代以降に禅宗の流行とともに、禅の世界観を象徴する一大ブームを日本で巻き起こしたので、中国で残っていないのは、単に美的に評価されないくだらない絵として日本に輸出されたからかもしれません。まるで浮世絵がフランスで包装紙として包まれてそれを見た印象派やゴッホらの画家たちが浮世絵の価値を再発見したように。
この記事へのコメントはありません。