慶長19年4月16日(1614年5月24日) 豊臣秀頼 方広寺大仏の鐘を鋳る

慶長19年4月16日(1614年5月24日) 豊臣秀頼が方広寺大仏の鐘を鋳る。鐘の銘文のうち「国家安康」が「家康」を分断する呪いを込めたとの言いがかりで、豊臣家滅亡のきっかけとなったことで知られている。
方広寺は、天正17年(1589)に豊臣秀吉が東大寺の大仏殿を模して創建された。開山は、秀吉の高野山攻めで和平の仲介に活躍した僧侶の木食応其(もくじきおうご)。
京都市東山区茶屋町に方広寺大仏殿跡及び石塁・石塔があり、国史跡。

  • コメント: 0

関連記事

  1. 弘仁14年1月19日(823年3月5日) 東寺(教王護国寺)を空海に賜う

  2. 大永5年4月14日(1525年5月6日) 駿河の戦国大名今川氏親が東国初の分国法「今川仮名目録」を制定

  3. 養和2年3月15日(1182年) 源頼朝が北条政子の安産祈願のために若宮大路を造らせる

  4. 茶の湯展(京都国立博物館)で見た国宝18点すべての感想

  5. 天正2年1月12日(1574年2月3日)織田信長、瀬戸に焼き物窯を免許

  6. 承和2年3月21日(835年) 空海、62歳で没す

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。