【日曜日の午後 日本橋の三井記念美術館】
(三井本館の重厚なエレベーターを降り、美術館へ。チケットを購入する前に、エミは迷わずミュージアムショップへ直行する)
サキ: 「えっ、エミちゃん、まだ展示見てないよ? いきなりグッズを買うの?」
エミ: 「違うの、サキちゃん。Xの情報だと、今回の展示室には原文の『翻刻』はあるけど、分かりやすい『読み下し文』や『現代語訳』がないらしいのよ」
サキ: 「えーっ! じゃあ、読めないじゃん! 呪文を見て終わるだけ?」
エミ: 「だから、ここで先に図録を買うの。これが私たちの『攻略本』になるわけ」
(エミは図録を購入し、ショップ横の自販機コーナーへ。エミはペットボトルのお茶、サキは缶コーヒーを買い、ショップ内のベンチに腰掛ける)
サキ: (コーヒーをすすりながら図録を覗き込む) 「へぇ〜、これが国宝『熊野御幸記』……って、あれ? 全部漢字だね。藤原定家さんって、『小倉百人一首』を選んだ人でしょ? 和歌の人だから、ひらがなとかも使ってると思ったら、バリバリの漢文なのね」
エミ: (お茶を一口)「当時の知識人にとっては漢文が基本だからね。会場で見られると思うけど、定家が小倉百人一首に選んだ和歌も、いわゆる万葉仮名のように漢字をあてているはずよ。まぁ、厳密には小倉百人一首のうち定家が選んだのは7~8割と言われているけど。
それに、この日記はなんだかんだ個人のブログやSNSのポストのような意味合いだけじゃなくて、後鳥羽上皇の旅に随行したという『公式な記録』を残す目的もあったから、漢文で書くのはある意味、当然なのよ」
コンテンツ
定家様は元祖「丸文字」!? 800年前のフォント事情
サキ: 「そっかぁ、お仕事の日報みたいなもんか。でもさ、漢字だけなのに、字が……なんか読みやすい気がする。パッと見ただけじゃ何て書いてあるか全然わかんないけど、字の形がギュッとしてて、まるで『丸文字』みたいな…」
エミ: 「いいところに気づいたわね。これこそが『定家様』と呼ばれる独特の強弱がはっきりした丸っこい書風なの。今では書の名品として定着しているけど、字が横につぶれているようでもあり、定家が自分の字体を『悪筆』と自称していたくらいなの。」
サキ: 「たしかに、全然読めないような細い線の流暢な字が上手ということにすれば、下手って言われても仕方ないかな。」
エミ: 「今回の国宝は、単なる書のスタイルを味わうことだけじゃないの。ここに書いてある日記の内容が800年前の定家の『悲鳴』が聞こえてくるっていうので話題なのよ……」
サキ: 「悲鳴……?」
エミ: 「さあ、準備はバッチリ。いざ、800年前のデスマーチへ出発よ!」
重文の中で国宝を見る!? 三井記念美術館が凄すぎる
【三井記念美術館でチケットを購入して入場する2人】
サキ: 「えっ、ちょっと、この美術館、すごいレトロで重厚で素敵なんだけど!」
エミ: 「サキちゃんは三井記念美術館初めてよね。この美術館の入っている三井本館という建物自体が重要文化財なのよ」
サキ: 「す、すごい。重要文化財の中で国宝を見られるってことね。あっ、最初の解説パネルに『現代の様々なところに定家様の書体が見受けられます。若い人の「まる文字」も定家様の一種ともいえます』って書いてある」
エミ: 「サキちゃんの直感、大正解だったわね! まさか解説でも『丸文字』って言及されてるとは。 でも、納得よ。日本で定家の書が珍重され始めたのは、千利休のわび茶の師匠・武野紹鷗からなんだけど、当時のわび茶は今なら最先端の『現代アート』みたいな面もあるから、『悪筆』だからこそ、アートとして再評価されたのかしら」
サキ: 「へぇ〜、昔の人もヘタウマの良さが分かってたんだね。現代では、どんなところに使われているか気になるね。でもとりあえずは国宝目指して見ていこう!」


上の画像は実はフォトスポットとしての模型です
国宝の旅ブログにご対面!

【展示室4(撮影可)にて 国宝「熊野御幸記」のガラスケース前】
(薄暗い展示室。ガラスケースの中に、黒々とした墨で書かれた巻物が長く伸びている。食い入るように見つめる二人)
サキ:「ねえエミちゃん……。私、今、あの歴史上有名な藤原定家さんの直筆の旅日記を、生で見てるんだよね! ……って、えっ? エミちゃん、泣いてる?」
エミ:(ハンカチで目元を押さえながら)「……だって、見てよこの筆致。800年前の筆の生々しさ! 墨の濃淡、線の勢い……まるでそこに定家がいて、息を切らして書いてるみたいじゃない?」
「こんなひどい目は初めて」 国宝級の恨み節を解読せよ
サキ:「エミちゃんの感受性すごすぎ(笑)。でもさ、さっき買った図録の現代語訳と照らし合わせると、面白すぎるよこれ!
だって、国宝の日記っていうか、800年前の愚痴ツイートじゃん!
『こんなひどい目には遭ったことがない(未遇如此事)』とか、漢文だけど意味がわかると思わず吹き出しちゃった!」
エミ:「そこが最高よね。定家が40歳の時に、後鳥羽上皇の熊野詣にお供した時の旅日記なんだけど、後で清書したものじゃなくて、旅の途中で書いたリアルタイムのメモなのよ」
サキ:「そうそう! 眠くてもがんばって書いたんだろうね、時々墨がかすれているの必死すぎて愛おしいよぉ。揺れる輿の中や、雨漏りする薄暗い宿で、膝の上に紙を広げて書いたのかもしれないね」
エミ:「でも極限状態でも手を抜いている感じはまったくないわね。今の私たちで言うと、事故で運休になった朝の山手線でぎゅうぎゅうになりながらスマホで『きょうの満員電車、経験ないレベルでマジ無理』ってSNSに投稿してる感じかしら」
サキ:「まさにそれ! 800年前の天才歌人も、私たちと同じように仕事で理不尽な目に遭って、愚痴ってたんだなって思うと、急に親近感わいちゃった」
単なるお参りじゃない! 命がけの「政治ショー」
エミ:「そうね、サキちゃん。定家があんなに愚痴をこぼしたのは、単に道が険しかったからだけじゃないの。この旅は、後鳥羽上皇による『一大政治パフォーマンス』で、それに無理やり付き合わされたからよ」
サキ:「旅が政治のパフォーマンス?」
エミ:「当時は鎌倉幕府が力をつけていた時代。若い後鳥羽上皇は『朝廷の権威は健在だぞ!』って見せつけるために、あえて険しい熊野の道を大行列で進む、見方によっては一種の「軍事パレード」という性質があったの。病弱を自認する40歳の定家にとっては、文字通りのデスマーチで、『こんなきつい旅、自分一人で行けよ』って思いもあったかもしれないのよ」
サキ:「うわぁ、体育会系のノリに巻き込まれた文化系男子かぁ……。そりゃ『こんなひどい目には遭ったことがない』って愚痴りたくもなるよぉ」
泥まみれのプライド。病弱歌人が見せた最後の意地
エミ:「そう。だからこそ、あの日記は公的な記録にも関わらず、極限状態の人間の『本音』も詰まってる。泥まみれになりながら、それでも歌人としてのプライドをかけて記録を残そうとした執念。それが、あの『悪筆』の向こう側にある真実なのよ」
サキ:「そっかぁ……。ただの愚痴じゃなくて、『勤めを果たす責任感の証』でもあるんだね。
あとさ、この国宝のある部屋が写真撮影OKなのが嬉しかった! 定家さんの『ギリギリの文字』をスマホで撮ったから、あとで仕事で忙しくてくじけそうなときに、『定家さんも、本当に辛かったのに頑張ったんだろうな』って思い出して、励まされるかも」
エミ:「今回の展示は、茶道具やカルタ、初公開の肖像画も一緒に展示されてて、定家が後世の人々にどれだけ愛され、リスペクトされてきたかもよく分かる構成になってたわね」
サキ:「うん! 私、この展覧会に行って本当によかった! 歴史上の偉人じゃなくて、一生懸命な中間管理職のおじさんとして定家さんが近い存在に思えたもん!」
エミ:「最高の感想ね。歴史っていうのは、教科書の中の暗記科目じゃない。こうやって、過去を生きた人たちの『息遣い』や『鼓動』を感じることなのよ」
「熊野御幸記」鑑賞プレイリスト
【日本橋のレトロなカフェにて】
(鑑賞を終え、日本橋の老舗喫茶店へ。サキの目の前には大きなプリンアラモード、エミはアールグレーで一息ついている)
サキ:(プリンを一口食べて至福の顔)「ん〜っ、生き返る〜! 国宝もすごかったけど、やっぱり甘いものは正義だね!」
エミ:「ふふ、お疲れ様。頭も足も使ったものね」
サキ:「ねえエミちゃん、さっきすごく良いこと言ってたじゃん。『息遣いを感じるのが歴史だ』って」
エミ:「ええ、言ったわね」
サキ:「じゃあさ、この感動を忘れないうちに、私たちも令和の『熊野御幸記』鑑賞記をつくらないと! 私たちの鑑賞記といえばプレイリストよね。エミちゃん、今日のカフェのレシートの裏貸して!」
エミ:「えっ、レシートの裏!? ……まあ、紙不足で裏紙を使った定家リスペクトとしては、あながち間違ってはいない……のかしら?」
サキ:「じゃあ、私から。1曲目は吉本おじさんの『お返事まだかな?おじさん構文!』」
エミ:「……いきなり……まさかの選曲ね。でも歌詞を聞くと、40歳のおじさんの定家に意外とマッチしているかも(笑)」
サキ:「そうそう『愛を言葉にできるのは才能かもです』とか」
エミ:「歌詞かぁ。じゃあ、私はチームカミウタ『爾今の洋洋この蛍光にあり』を2曲目に。『堪え難きに堪えし日々の 忍び難しに忍びし末路』ってところが、特攻隊じゃないけど、熊野への無茶な突撃とオーバーラップするかな」
サキ:「なるほど。じゃあ3曲目は、doriko『ロミオとシンデレラ』で。
エミ:「えっ?なんでなんで?」
サキ:「これも歌詞かな。『ここから連れ出して そんな気分よ』って軽い気分で京都の豪邸からイケメンの上皇に連れ出されたら、地獄の熊野詣だったみたいな」
エミ:「ははは、それはうける!じゃあ次は私ね。ちょっとシリアスに、吉乃の『贄-nie-』。定家は貴族だから途中で馬とか輿にのってるけど、結構この旅で下っ端の人たちは犠牲者が多かったんじゃないかな。その犠牲者も熊野の神仏への「贄」として込みの旅だった気がするわ。」
サキ:「たしかに。この旅の本当のやばい実態を体験した人たちは日記も残せない人たちだっだろうね。じゃあ、5曲目は星街すいせいの『もうどうなってもいいや』」
結論:定家は元祖ボカロPだった!?
エミ:「定家は絶対途中で『もうどうなってもいいや』って思っただろうね(笑) そうなると、最後の6曲目はこれかしら」
サキ:「米津玄師の『IRIS OUT』!『ゲロになりそう』『瞳孔バチ開いて溺れ死にそう』って歌詞、あれ?これ熊野御幸記そのまんまじゃん!(笑)」
エミ:「現代日本にこれだけ世界に突出してボカロPがたくさんいるのは、800年前にこうやって愚痴ったり、ディすったりしながら感情を芸術に昇華させた、定家という『元祖』がいたからこそ……だったりして」
サキ:「そうだよ! 間違いない! 日本の歴史の謎が、また『ザラメが溶けるように』解けたね!(笑)」
【展覧会情報】
特別展「国宝 熊野御幸記と藤原定家の書 ―茶道具・かるた・歌仙絵とともに―」
会場:三井記念美術館(東京・日本橋)
会期:2025年12月6日(土)〜2026年2月1日(日)
攻略法:展示室には読み下し文がないため、先に図録を購入するのをお勧めです!


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