茶の湯展(京都国立博物館)で見た国宝18点すべての感想

茶の湯が日本文化の柱の一つであり、日本人の精神に大きく影響を与えていることは改めて言うまでもありません。

一方で、茶の湯文化ほど、コロナ禍で危機に陥った日本文化は、他に無いと言っても過言ではありません。

そんな危機感から京都国立博物館の特別展「京に生きる文化 茶の湯」の前期に行きました。
「これを逃したら、近い未来に茶の湯文化は消えてしまい、(興行的に)2度と見ることができないのでは」との危機感からです。茶道は嗜んでおらず、利休に会ったら抹茶ラテを頼みたい派です。


ちなみに、帰りの新幹線ではEXPRESSのポイントがたまっていたので、グリーン車に乗ったら、グリーン車用の雑誌「ひととき」で、この利休抹茶ラテのマンガを描いたほりのぶゆきさんが連載する「ホリホリの旅の絵日記」が載っていて、思わず抹茶ラテを吹きだしました。

抹茶はラテ派程度なので「千利休が茶の湯を大成した」の「大成」を「創始」くらいに思っていたら、大間違い。

平安時代まで遡る千年の茶の湯の歴史を網羅するスゴい濃茶な展覧会でした。

ざっと千年分なので、3階から1階に降りていく、つまり3階分もある展示の後半は正直、鑑賞しながら考えるパワーを失い、歩き切ることで精一杯(三成!茶を出せ!)ってな感じでしたが、東のトーハクの国宝展、西の京博の茶の湯展と、のちのち伝説となる2022年秋になるのではないでしょうか。

外に出たときは真っ暗。

しかも、第何章とかが設定されているのに、展示順はその順とは限らずバラバラで、ややこしいことこの上ないのですが、見た国宝を中心に素人の感想をつけていきます。

全体を見て思ったことを箇条書きにした「感想戦その1」↓

茶の湯展(京都国立博物館)の感想戦(その1)

コンテンツ

序章 茶の湯へのいざない

序章から順番がめちゃくちゃです。No.5の国宝「破れ虚堂」(東博)が最初の部屋になくて、別のところでした。
No.1は重要文化財「清拙正澄墨蹟」(鎌倉時代、野村美術館)でした。
よーく分かったのは、茶の湯は禅宗と深ーい、深ーい関係がありますってこと。

その禅宗の真髄は何かと言うと「何言ってるか分からない」(禅問答)ことにあります。

つまり、掛け軸に何が書かれているかなんて気にしないでいいと言うことです。

この展覧会のキュレーターがどんな意図でこれをナンバー1にしたのかは、考えなくてもいいってことですね。ここで、意味まで考えると一歩も先に進めません(笑)

国宝 大井戸茶碗「銘 喜左衛門」

大井戸茶碗 銘 喜左衛門のポストカード 165円

1つ目の国宝が、今展の目玉。大井戸茶碗「喜左衛門」(朝鮮半島・朝鮮時代16世紀、京都・孤篷庵)です。通期展示です。

最初見たとき、飲み口の縁は歪んでいるわ、ごっついわと、うーん(゜-゜)という感じでした。
別の壁に展示されていた朝鮮時代の茶碗(これらも間違いなく名器なはず)を見てから、もう一度、改めて鑑賞したところ、違和感を感じたゆがみやごっついと思った厚みも、その全てが究極のバランスで調和していて、見れば見るほどに「これはスゴい!いいもの見た!」となれました。こういう自分の気づきや進化があるから博物館巡りはやめられないんですよね。

同時期にやってる東博の国宝展の第2章に、未指定品の東博所蔵の「大井戸茶碗 有楽井戸」(朝鮮時代・16世紀、織田有楽斎、紀伊国屋文左衛門所持)が展示されています。どちらも同じくらいのサイズ(大井戸茶碗ゆえ)で、こっちはゆがみもなくて薄くて、茶碗としての完成度とレベルは高く、もしかしたら朝鮮で作られたときは、今は未指定品のこっちが一級品で、今は国宝の喜左衛門のほうは二級だったんじゃなかろうか、なんて思ったりもしました。

 

大井戸茶碗 有楽井戸 東京国立博物館蔵 colbaseより

1章 喫茶文化との出会い

茶の湯展に話を戻しまして、第1章 喫茶文化との出会い。2つ目の部屋です。ここは歴史ファン的になかなかアツい展開でした。No.22唐の時代の白磁はお茶を飲む器だけど浅い平皿みたい。つまり、お茶はドリンクではなくスープだったんですね!
ドリンクとしてのお茶は宋〜元時代からみたい。No.23 鎌倉の円覚寺の開祖の無学祖元(南宋からの亡命禅僧)のお茶セット。茶碗は若干深くなるけどポイントは、当初の禅宗の茶碗は金属製だったこと!

手に持ったら熱いじゃん!と思ったら。
そう、熱いです。だから、ヨーロッパのカップではソーサーやハンドルが付きましたが、宋のお茶碗は木製の台(天目台)にはめ込んだのです。それが「天目」の本来の意味! 曜変天目の印象が強く、天目も茶碗の模様を意味する言葉かと思いこんでました。

重文「五百羅漢図」(南宋時代、大徳寺)

No.25の重要文化財「五百羅漢図」(南宋時代、大徳寺)は、南宋の禅僧の生活や儀式を伝える全100幅(現存94幅)の一部。喫茶が禅宗の宗教的儀式と儀礼であったことがわかります。楽しいお茶会ではないらしい、楽しそうだけど。(ここらへんから禅宗パリピ説が浮かぶ)

展覧会図録から。

図録によると、後期に出る「喫茶」の幅は、まさに天目台に載せた器にお茶が注がれるシーン。天目台が赤で漆器だけど、器は黒で表現されています。碗はこの頃は金属製だったということだか、はたして? 少なくとも陶器ではなさそう、漆器は熱に弱いし、やはり金属なのかしら?
ともかく、南宋のお茶の飲み方として、金属製の茶わんを使うことを知ったのは衝撃でした。

曜変天目の謎がスルスルと解けてしまったからです。曜変天目のキラキラは宇宙の星空でなく、金属のキラメキの再現だったのです(個人の感想です)。

重文 耀変天目 (MIHO MUSUEM)

*「第2章 唐物賞玩と会所の茶」に話が飛びます。

日本では序列一位の曜変天目は、中国ではもともと失敗作だったとはよく言われますが、金属製の再現だとしたら、確かに失敗作なのでしょう。天文学を知る現代人の感覚で見る静嘉堂文庫の曜変天目のあとに、No98龍光院の国宝曜変天目(10月25日まで)を見ると、よく言って「地味」、ぶっちゃけ「物足りない」「思っていたのと違う」と私のような素人には、そう感じがち。

そもそも焼き窯の中で想定外に起こる化学反応の結果は、すべて「窯変(ようへん)」であって、そのうち魅力的(悪魔的魅惑含む)なものを「曜変(耀変)」と呼ぶようになったようです。今は国宝3点のみが曜変天目を名乗れますが、曜変天目と耀変天目の明確な線引きがあったわけではなかったのですね。実際に本展で展示されているNo99の重要文化財「耀変天目」(MIHO MUSUEM所蔵)を含めて、曜変天目は4点とする見方もあるようです。

№23金属の響銅鋺

№100 金属に見える再現に成功した重文の油滴天目(龍光院)

№99 金属らしさとしては失敗も怪しい魅力の耀変天目(MIHO MUSEUM)

№101 金属でなく玳瑁(鼈甲)の質感の再現にも成功した国宝玳玻天目(相国寺)

金属だから手で持つとアチチっになるので天目台に載せた茶碗に注いでね、というのは、二階の2室だったかしら? №64 祭礼草子(室町時代15世紀、前田育徳会)でも、釜からいきなり天目台に乗せた茶碗に注ぐシーンがあって面白かったです。

国宝「太平御覧」(東福寺)

第1章に話を戻してまして、文書系の国宝「太平御覧」(南宋時代に印刷、内容は北宋時代 東福寺)と国宝「仁和寺御室御物実録」、国宝「覚禅抄(阿弥陀法)」の3点にも触れておきます。

№27の国宝「太平御覧」は北宋時代(977-983)に編まれた百科事典で、宋の時代に産まれた茶の新しい概念が載っているらしいです。この頃の茶は、日本には入ってこなかった、抹茶の前段階の「団茶」で、緑茶ではなく、白い色のお茶だったらしいです。

国宝「仁和寺御室御物実録」(前田育徳会)

№29 国宝「仁和寺御室御物実録」(950年)は、上の宋スタイル(禅宗)のお茶が入ってくる前の日本(平安時代)の茶道具が記されていて、禅宗の茶の湯とは異なる飲み方(スープ的に飲む)ことがわかる内容でした。

国宝 覚禅抄(阿弥陀法)「称名寺聖教・金沢文庫文書」 鎌倉時代  称名寺

No46国宝 覚禅抄(阿弥陀法)「称名寺聖教・金沢文庫文書」のうち16692点・4149通のうち1点 鎌倉時代 元応3年(1321) 神奈川 称名寺(神奈川県立金沢文庫保管)。

覚禅(1143~?)という僧侶が真言密教についてまとめた全120巻の図案集の写本。この120巻を写せと命じられた乗一という別の僧侶が、半年掛けて写したものです。写したあとのメモ書きのようなものに、夜明けから日没まで写した、眠気覚ましにお茶を飲んだということがメモされています。昔から茶のカフェイン効果に期待されていたことがわかります。

日本の最初期の茶の湯的儀式「四頭茶礼」を再現

次ぎは、日本に茶の湯を持ち込んだとされている栄西(えいさい、でなく、ようさい)が1202年に開山した建仁寺で行われている古風な茶の宗教儀式の場「四頭茶礼」を再現。今は床に座りますが当初は中国式に椅子で飲んでいたそうです。大型の青磁など、この場の再現はかなり印象的で、記憶に残った場面でした。

重文 牧谿 龍虎図 南宋時代 大徳寺

観音・龍虎図 大判ポストカード 220円

ここから、南宋・元初の画僧、牧谿(もっけい)のオンパレードです。本展の自分にとっての裏テーマは牧谿をまとめて見られること。
中央のNo43重要文化財「白衣観音図」(正悟筆 雲外雲岫賛、元時代、京博)と両脇のNo42重文の牧谿「龍虎図」(大徳寺)は所有者がバラバラなので、この場面をポストカードでは表現できなかったようです。後期の愛知のお寺(妙興寺)のモッケイ風の絵のセットがポストカードになっていました。まるっきりコピーでないけど似せて描かれてます。よくこれをポストカードにしたなぁと変な意味で感心して思わず購入しました。

で、No.42牧谿の「龍虎図」(大徳寺)ですが、龍はかなり劣化していて図柄がよく視認できませんでした。虎はゆるくてかわいかったです。トラりんとどっちがかわいいかは、あえて言いません。

ここまででまだ3分の1。1階分(3階)です。とても濃ゆ~い展示でしょう?

2章 唐物賞玩と会所の茶

2階、第2章「唐物賞玩と会所の茶」が始まるのですが、この章に国宝が集結しています。No73-No105。途中で第一章の作品(No.21~No.72)が出てきたりと、ややこしい。2階には5室ありましたが、番号順にメモをしていたので、実際の展示順は間違っているかもしれません。

鎌倉時代以降に南宋から禅宗の一部として日本に入ってきた茶の湯は、その由来からもわかるように、中国のものを愛でる文化でした。「唐物賞玩」の「唐」は中国の唐の時代ではありません。鎌倉・室町時代の日本にとっては、ほぼ同時代の「宋」(宋文化を吸収した元も含む)でした。アメリカ文化が好きと言ったときに、ネイティブアメリカンの文化が好きなわけではなく、ハリウッド映画が好きの意味、とちょっと似ているかもしれません。

国宝 圜悟克勤墨蹟 印可状(流れ圜悟)東博

No.73国宝「圜悟克勤墨蹟 印可状(流れ圜悟)」(中国・北宋時代 宣和6年(1124)、東京国立博物館)とNo.74国宝「馮子振墨蹟 易元吉巻跋」(中国・元時代 14世紀 、東京・常盤山文庫)の2つの国宝の掛け軸が並んでいました。東博の国宝展での分類だと「中国書跡」です。つまり字だけ。

「流れ圜悟」は、薩摩の海岸に漂着した箱をあけたら入っていたのがこの墨跡で、そのため「流れ圜悟」と名がついています。本当に漂流物だったかどうかはこの際、関係ありません。

国宝 馮子振墨蹟 易元吉巻跋 中国・元時代 常盤山文庫

国宝「馮子振墨蹟 易元吉巻跋」 (中国・元時代 14世紀、東京・常盤山文庫)は、ある意味で、日本における中国美術(唐物)の受容をよく示すものです。

これ実は絵の一部なのです。絵の部分は切り取られて、跋語(いわゆる讃)の文字部分だけなのです。いかにこの絵がすばらしいかと文字で書かれている内容になります。絵は存在しないので、その文字情報だけで想像するという、まぁ、なんというか、本末転倒。例えばモネの睡蓮を想像してみてください。そして、モネの睡蓮についてのWikipediaの文章はこんな感じです。

水面とそこに映る虚像の樹木や空の反映、実像である睡蓮などが複雑に交錯した画面となっている。池の対岸の地面や、画面上方から垂れ下がる柳の枝などが描き込まれることもあるが、1906年以降は、ほとんどの作品において、画面のすべてを水面が占めるようになってくる。

このWikipediaの文章だけが残され、それが国宝となっていると想像してみてください笑。
これが国宝となったのは、この墨跡は大きいので床の間サイズに切断したい(つまり文章情報としても読んでいたわけではない)となったときに、千利休が「切ってはいけない」とアドバイスをしたことで、このサイズのままで残り、そして利休が価値を認めた墨跡ということで、国宝になったわけです。

斜め上すぎる、茶の湯の神髄を体現している国宝とも言えますね。

国宝 虚堂智愚墨蹟 法語(破れ虚堂)南宋時代 東博

不確かな記憶では、No5国宝 虚堂智愚墨蹟 法語(破れ虚堂) 1幅 中国・南宋時代 景定4年(1263) 東京国立博物館もここに並んでいたと思います。虚堂智愚は、南宋のスーパースター禅僧のひとり。日本人の弟子も多く、茶道と密接な関係のある大徳寺(大徳寺の寺宝が今展ではたくさん出ています)の開山の僧侶の師匠南浦紹明が印可(≒のれんわけ)をもらっています。そのため、虚堂の書は茶の湯で珍重されたそうです。

これはそのスーパースターが鎌倉の僧侶、無像静照さん贈った名言付きサインですね。

「破れ」という名前は、大文字屋という京都の豪商がこれを持っていたのですが、あるとき、使用人が蔵の中でこれを破ってしまったという逸話からです。

国宝 銭選筆「宮女図」 元時代

Wikipediaから

No.75の国宝「宮女図」 伝 銭選筆(中国・元時代 13─14世紀)。男装した女官を描いた絵です。今は無き川崎美術館が所蔵していた絵で、今は個人蔵のようです。修理後初のお披露目とのこと。薄く透ける部分なども繊細な筆で描かれていることが目視で分かり、なかなか良い鑑賞でした。

11月2日までの展示で、3日から6日までは10年に1度しか公開されないというNo76国宝の徽宗皇帝の「桃鳩図」が展示されます。宮女図は、このあと、神戸市立博物館で開催されている「よみがえる川崎美術館」で展示されるようです。

桃鳩図 Wikipediaから

国宝 徽宗 秋景冬景山水図  南宋時代 金地院

No77国宝 秋景冬景山水図 伝 徽宗筆 2幅 中国・南宋時代 12世紀 京都 金地院。徽宗皇帝が描いたとされる山水図です。かなり大きな絵で2幅そろっています。上手だけど、徽宗皇帝というネーミングが無ければ、雪舟のほうが好きという人も多い気がします。私は雪舟のほうが好きです。

Wikipediaより

重文 油滴天目 南宋時代 龍光院

ここは、10月23日までは国宝の曜変天目(龍光院)が独立ケースに飾られていたようで、25日から11月6日までは重要文化財の油滴天目(龍光院)が螺鈿の天目台の上に載る状態で展示されていました。以前見た龍光院の曜変天目は、想像よりも地味であり、よく使い込まれている感が強い印象があったのですが、こちらの油滴天目は、天目の螺鈿の華やかさと、しっとりと沈み込む油滴(これがど派手になると曜変になる)が計算しつくされた中国南宋の美で、おそらくこの油滴天目のほうが中国では高い評価を受けたのだろうと想像できる優品でした。これは見られてすごくよかったです。(曜変も見たかったけど)

国宝 金沢貞顕書状(正月廿三日付)「称名寺聖教・金沢文庫文書」のうち 鎌倉時代 称名寺

京博の2階は5室あって、ここらへん、序章、第一章、第二章のが混在して、展示場所が定かではないのですが、うっすらとした記憶で、これは2階の2室目だったと思います。文書です。No66なので第一章の資料です。

No66国宝 金沢貞顕書状(正月廿三日付)「称名寺聖教・金沢文庫文書」のうち16692点・4149
通のうち1通 鎌倉時代 元徳2年(1330) 神奈川 称名寺(神奈川県立金沢文庫保管)

図録によると、金沢貞顕は六波羅探題や執権などを歴任した鎌倉の有力御家人で、金沢が六波羅探題をつとめる息子への手紙。将軍(源氏は途絶えたあとに親王がついていた)の守邦(もりくに)親王が、お茶が大好きなので、上質の新茶を2、3種送ってくれという内容です。

当時は、鳥獣戯画で有名な高山寺のある栂尾がお茶の一番の産地で、「本茶」と呼ばれ、そのほかの産地は「非茶」(その他大勢)とされていましたが、この手紙では2、3種とあるので、栂尾のほかにも、上質なブランド茶が存在していたのかもしれないということです。

国宝 南大門前一服一銭茶売人道覚等連署条々請文「東寺百合文書」のうち 室町時代 京都府立京都学・歴彩館

国宝の文書が続きます。No69国宝 南大門前一服一銭茶売人道覚等連署条々請文「東寺百合文書」のうち3863巻・1172冊・6帖・67幅・13695通のうち1通 室町時代 応永10年(1403) 京都府立京都学・歴彩館。

図録によると、南北朝時代から室町時代にかけて、有名なお寺の門前で、お茶を売る、「一服一銭」が出てきます。1杯、1銭ということですね。もちろん、お寺にとっては寺銭をとる相手です。門前で売る業者がお寺に出した誓約書です。

①決まった場所で営業する②商売道具を寺社側に預けない(持って帰る)③境内の火(聖なる火)から火をとらない④境内の聖なる水を使わない―の4点で違約したら追放。

それほど厳しくはないですね。後期には、それから8年後に同じように業者に出させた誓約書が展示されるのですが、8年後には、さらに⑤毎日掃除をする ⑥遊女を接待係に使わない の2点が加わるそうです。つまりこの2点は、茶屋が、ゴミを多く出すキャバクラのような営業をはじめたということを意味するのでしょうね。

上のほうで紹介した№64 祭礼草子(室町時代15世紀、前田育徳会)などの絵画も同じコーナーにあり、国宝ながら難しい文書の内容を、ビジュアルで補完する工夫がされていました。

国宝 牧谿 煙寺晩鐘図 南宋時代 畠山記念館

足利将軍が激推しだけど、中国では無名の南宋の画家牧谿(もっけい)を一度、まとめて見たかったのです。そう、足利将軍気分になるためです。本展は複数の牧谿を国宝から重文まで見ることができました。(牧谿はほぼすべてに「伝」が付いていますが省略)
No78国宝 牧谿「煙寺晩鐘図」(畠山記念館)はかなり好きな絵でした。雲海の○○城とかの写真がよく雑誌の表紙とかにのりますが、そんな感じです。空気感がすてきです。

たしか2階3室だったと思いますが、ライトがかなり暗い上に、目線だとちょうど絵にライトの反射が入ってしまうのです。最初は、そんなためにスルーしそうになりましたが、「牧谿か」と思って立ち止まり、腰をかがめて、少し距離を取って眺めたところ、竹田城の雲海的なミラクルな風景があらわれました。

Wikipediaより

後期にはNo79重文の牧谿「遠浦帰帆図」(京博)が入れ替わりで出ます。この2つは、もとは1つの巻物(図巻)だったのを、足利将軍が掛け軸にするために8つに分割してしまったのです。豪腕! 同じ作品なのに、かたや国宝、かたや重文。その差はいったい?

国宝 青磁下蕪花瓶 南宋時代 アルカンシエール美術財団

この暗いコーナーは、室町将軍気分の再現のようで、この絵の下には、No94国宝 青磁下蕪花瓶 1口 中国・南宋時代 13世紀 東京 アルカンシエール美術財団が置かれています。本展では青磁の優品がたくさんありますが、これは下部が球体になっていて、その球の面が見事なまでのつるつるで、まさに珠という感じで、大変に美しかったです。

蘿蔔蕪菁図 牧谿 南宋時代 宮内庁三の丸尚蔵館

No80蘿蔔蕪菁(らくふぶせい)図 伝 牧谿筆 2幅 中国・南宋時代 13世紀 東京 宮内庁三の丸尚蔵館は、注目の作品です。宮内庁所蔵のため、未指定ですが、最近、宮内庁所蔵も国宝指定を始めているので、これも一気に国宝(どうやら宮内庁のものは重要文化財化はしないみたい)になる可能性があります。牧谿はほとんどが国宝と重文に指定されているので、ある意味で貴重な未指定品です。

図録によると、蘿蔔(らくふ)は大根、蕪菁(ぶせい)はカブを意味しますが、蕪菁(ぶせい)はチンゲンサイのような青菜を描いているようです。2幅のどちらがいいかは好みでしょうけど、私はチンゲンサイの絵が好きでした。

国宝 雪中帰牧図 李迪筆 南宋時代 大和文華館

No87国宝 雪中帰牧図 李迪筆 2幅 中国・南宋時代 12世紀 奈良 大和文華館。

Wikipediaから。 せめてWikipediaのこの画像くらいに見えたら良かったのですが。

李迪は東博国宝展で見た紅白芙蓉図がすごく気に入ったので、楽しみにしていましたが、画面が暗くて、ガラスからの距離も遠くて、よく分かりませんでした。というのが感想です。2幅あるうちの右だけが本物で、左は別の人が描いたそうです。そうした違いも、見比べても暗くてよくわかりませんでした。まだ私にはハードルが高かったです。無念。

紅白芙蓉図 Colbaseより

重文 青磁茶碗 銘 馬蝗絆 南宋時代 東京国立博物館

Colbaseより

No97重文 青磁茶碗 銘 馬蝗絆(ばこうはん) 1口 中国・南宋時代 13世紀 東京国立博物館。これは、入り口のポスターでも使われていた、かすがいで止めて修復した青磁という、ドラマありすぎな青磁です。Colbaseの説明は以下。この話はとても面白かったです。

伝承では、かつて足利義政が所持していたおり、ひび割れが生じ、中国に送ってこれに代わるものを求めたところ、明時代の中国にはもはやそのようなものはなく、鎹(かすがい)で止めて送り返されてきた。この鎹を蝗(いなご)に見立てて「馬蝗絆(ばこうはん)」と名づけられた。

国宝「流れ圜悟」もそうですが、こうやって失敗をネタにして、さらに付加価値をつけるというのが日本の茶の湯のうまいやり方なんだろうなって思いました。壊れたら捨てちゃうんじゃなくて、むしろ高付加価値にするっていうのは、SDGS的にも良さそうですね、どうですか?国連さん、茶道を世界に導入してみては?

国宝 玳玻天目 南宋時代 相国寺

No101国宝 玳玻(たいひ)天目 1口 中国・南宋時代 12─13世紀 京都 相国寺。

この直前にNo96南蛮毛織抱桶水指 1口 イラン・サファヴィー朝 16世紀 京都 野村美術館という、中東風のデザインのものが唐突に登場したわなと思ったら、この玳玻天目の伏線だったのですね。

玳玻は、玳瑁、つまり鼈甲の柄の茶碗です。ただ、ベッコウ柄なだけでなく、イラン風?の模様がびっしりと描かれています。室町時代の将軍家のランキングで、1位曜変、2位油滴、3位が玳玻が含まれる「鼈盞」なのですが、鼈盞については、この国宝のように絵柄が描かれているものが高価で、ベッコウ柄だけのものは安いとされています。模様がないほうがイイと今の感覚では思えますが、室町基準です。

はてさて、ここまでで序章、第一章、第二章までが終わりました。まだ、2階の途中で、これからメインともいえるわび茶の第三章があり、第七章まで続きます。千利休がまだ登場していないとか、もうどんだけ~? この先、メモがぱたっと止まっています。歩き疲れてしまったのです。ちゃんとメモっておけばよかったです。膨大すぎて、記憶があいまいです。

3章 わび茶の誕生と町衆文化

「第3章 わび茶の誕生と町衆文化」に入ります。記憶は定かではありませんけど、2階の4室(2階は全5室)からだったような気がします。3章と4章がどこから替わったのかも覚えていません。

国宝 宗峰妙超墨蹟 与宗悟大姉法語 鎌倉時代 大仙院

No114国宝 宗峰妙超墨蹟 与宗悟大姉法語 1幅 鎌倉時代 元徳2年(1330) 京都 大仙院は、事前にチェックしていた国宝でした。大姉とあるように、出家しようとした女性信者に、偉い禅僧がアドバイスをするという内容です。ジェンダー的に興味深いですが、なぜ国宝といえば、禅の茶道といえば大徳寺、その大徳寺を開山した宗峰妙超(1282-1337)が書いたものだからです。

中国語で「がんばりなさい」と書いているのですが、兵庫県産まれで中国に行ったことのない日本人僧侶が日本人の女性信者にわざわざ中国語で「頑張れや」と書く。ここらへんも、禅宗がパリピであると感じた点でもあります。

茶の湯のパリピぶりがわかるものに、NO124 国宝 観楓図屛風 狩野秀頼筆 6曲1隻 室町─桃山時代 16世紀 東京国立博物館がありますが、前期途中の10月23日までで、残念ながら見られませんでしたので、東博国宝展に後期に出るので、そこでなんとか見たいです。(後期のチケットがとれるか不安)

4章 わび茶の発展と天下人

しかし、観楓図屛風と入れ替わるように、とても面白い屏風が10月25日からの展示となっていました。No134「武家邸内図屛風」狩野定信筆 6曲1双 江戸時代 17世紀 福井 萬徳寺です。国未指定ですが、とても人物描写がいきいきとして、面白かったです。

国宝 志野茶碗 銘 卯花墻 桃山時代 三井記念美術館

No136国宝 志野茶碗 銘 卯花墻 1口 桃山時代 16─17世紀 三井記念美術館は、わび茶の革新性を体現した茶碗ですね。

中国の「宋」文化を取り入れて始まった日本の茶の湯が、曜変天目や牧谿のように、厳密な宋基準ではおそらく1級でないものに、日本なりの美の基準を当てはめて、熟成していきました。あくまで中国風のコスモポリタンでおしゃれでパリピな茶の湯は、だんだんと和様化しながら、「わび茶」の段階で、ブレークスルーを果たすわけです。それがこの志野茶碗を筆頭する、ひょうげものな造形を産んだのでしょう。

また、わび茶は、大きな変換になります。パリピ重視からボッチ重視です。狭い茶室で、1人で、もしくは数人で、器を眺めて、黙考するようなボッチ文化。もちろん、観楓図屛風にあるようなパリピの茶の湯も平行して行われます。

20世紀には、日本ではアニメやマンガなどのオタク趣味はボッチの象徴でしたが、オタク文化が成熟していったことで、パリピだけどオタク文化も好きという人間が令和の今では当たり前のようにいます。

そう考えると、本展で、復元展示されている、金ぴかの秀吉の黄金の茶室と、利休の待庵(国宝)が同時に併存して、同じ人物がそのどちらの茶室も楽しめるというのも、合点がいきます。

国宝 青磁鳳凰耳花入 銘 万聲 南宋時代 和泉市久保惣記念美術館 重文 青磁鳳凰耳花入 銘 千聲 南宋時代 陽明文庫

番号としては、第5章「茶の湯の広まり 大名、公家、僧侶、町人」なのですが、2章か3章(2階3室目か4室目)にあったような気がする青磁の超名品「万声」と「千声」が並んでいるのは感動的でした。どこにあったのか覚えていませんが笑。

「万声」も「千声」も、後者は少し小さいだけで、砧(きぬた)と呼ばれる美しい青の発色は両者ともにすばらしく、ほかの青磁の優品の中でも、なるほど名品だと感じ入れるものでした。

No205国宝 青磁鳳凰耳花入 銘 万聲 1口 中国・南宋時代 13世紀 大阪 和泉市久保惣記念美術館
No206 重文 青磁鳳凰耳花入 銘 千聲 1口 中国・南宋時代 13世紀 京都 陽明文庫

国宝はこれで終わりですが、重要文化財では、千利休、古田織部、野々村仁清、本阿弥光悦などの茶碗や茶入れ、茶杓などの名品がオンパレード。第六章 多様化する喫茶文化 煎茶と製茶、第七章 近代の茶の湯 数寄者の茶と教育と続いていきます。利休以降の茶の湯は、一本筋が通っているように感じましたが、野々村仁清だけは「異質」だなと感じました。

2時間半くらいかけても、時間が足りませんでした。疲れてしまって後半は早足になり、待庵の復元ビデオも全部見ないまま(30分くらいあって、そのまま座っていたら立てなそうだった)でした。おなかはペコペコになりますが、頭の中はパンパンです。超濃い内容でした。

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