【国宝富本銭】藤原京のデスマーチが”日本初のお金”を生んだ?!

こんにちは、当ブログ管理人のエミです。先日の「2026年 国宝・重要文化財の新指定」前編で、飛鳥池遺跡出土品(富本銭)の国宝指定をご紹介しました。そのとき、「日本最古の貨幣」をめぐる富本銭と無文銀銭の論争に触れたのですが、お友だちのサキちゃんから思わぬツッコミが入りまして——。番外編として、もう少し深掘りしてみます。

論語、富本銭、五百羅漢図 3件が新たに国宝に!国宝版早慶戦が始まるかも?!


国宝「富本銭」に異議あり?

前回の記事を読み返しながら、カフェにて)

サキ:「ねぇエミちゃん、前回の記事読み返してて思ったんだけどさ」

エミ:「なに?」

サキ:「いつもエミちゃんって、国宝が決まると『ヤバい! 震える!』ってヒャッハーモードになるじゃん。でも今回の富本銭のところ、妙にこだわりを見せてたよね? 20年前の京博のHPを引用までして。なんかあるの?」

エミ:「……さすがサキちゃん。私のテンションの違いに気づいた?」

(サキ、うなずく)

エミ:「実はね、私も最近まで、銀のインゴットと鋳造貨幣には明確な違いがあると思ってたの。でもここ数年のお金のあり方を見てて、マーケターとしてその線引きに疑問を持つようになったのよ」

サキ:「お金のあり方って……もしかしてPayPayとかビットコインのこと?」

エミ:「そう」

サキ:「古代の貨幣の話が、どうやって仮想通貨につながるの?(わくわく)」

エミ:「つなげてみせるわよ、マーケターの名にかけて!順を追って話すわね」

そもそも、なぜ和同開珎は作られたのか

エミ:「まず基本的な問いから。なぜ日本の朝廷は、わざわざ銅を鋳造して金属のお金を作ったのかしら?」

サキ:「えーと……物々交換だと不便だから?」

エミ:「教科書的にはそうよね。でも大阪経済大学の高木久史教授の研究によると、もっと具体的な目的があったの。ずばり——都の造営よ」

サキ:「都の造営? 平城京とか?」

エミ:「そう。平城京(710年完成)の建設に携わる人たちに、労働の対価として銅銭を支払うために作られたのが、あの708年(和銅元年)の和同開珎わどうかいちん。都市建設に従事する労働者は、米などの農業や漁業の生産物が手元にないから、こうした貨幣がないと、毎日の都市建設の労働現場に行けないよね。誰でも毎日の食事は必要だから。労働者が貨幣で食事などをスムーズに買い、食事を終えたら、また都市建設の労働を行う。このサイクルを作ることで、都市建設の工事現場を回そうとしたのよ」

サキ:「あー、つまりお金は”都を建てるためのツール”だったってこと? 経済的に便利だから作ったんじゃなくて、大規模工事プロジェクトを回すために作った」

エミ:「そう! そこが大事なポイントなの。和同開珎わどうかいちんから乾元大宝けんげんたいほうまで、200年以上かけて12種類の銅銭が発行されたわ。これを『皇朝十二銭こうちょうじゅうにせん』と古くから呼んできたの」

サキ:「12種類も。でもある時期に止めちゃったんだよね?」

エミ:「平安時代中期を最後に、朝廷は金属通貨の発行を止めたの。高木教授の説明によると、理由はシンプルで——都の造営が終わったからよ」

サキ:「そうか。建築工事が終了したら、多くの建築労働者たちは農村へ戻っていくもんね。農村で米を作ったりしていたら、わざわざ中間マージンのある銅銭を仲介させないで、物々交換のほうが『お得』ってこともあったのかも」

エミ:「鉱山を探して採掘して、精錬して鋳造して貨幣にする。これには莫大なコストと労力がかかるわ。都を建てるという大目的があるうちは頑張れたけど、平安京が完成してしまえば、朝廷にとってわざわざ貨幣を作り続ける理由がなくなったのよ」

サキ:「つまり国民生活のためじゃなくて、国家プロジェクトの給与支払い手段だった」

エミ:「そういうことね」

「お金の形」って、そんなに大事?

サキ:「富本銭が国宝になる理由は『我が国最古の鋳造貨幣』だったよね。”最古の貨幣”じゃなくて、わざわざ”鋳造”って限定してた」

エミ:「そう。文化庁の答申にそう書いてあるわ」

サキ:「で、無文銀銭は銀板を叩いて成形した銀のインゴット——つまり鋳造じゃない。京博のコラムだと、こっちのほうが年代は古い。でも”鋳造じゃないから貨幣じゃない”ってロジックなわけでしょ?」

エミ:「奈文研の報告書の立場としては、無文銀銭は”地金じがね貨幣”——つまり銀のインゴットとしての価値で流通したものであって鋳造貨幣である富本銭などの銅銭とは性質が違う、という整理ね」

サキ:「でもさ……私たち、今まさに”形のないお金”で暮らしているよね?」

エミ:「……そう。そこなのよ。私が引っかかったのは」

ビットコインやPayPayは現代の無文銀銭か

サキ:「PayPayもSuicaも、ビットコインも、鋳造コインじゃないよね。スマホの画面に数字が表示されるだけ。プログラムはあるだろうけど、鋳型はない。でも誰もそれを”お金じゃない”とは言わないよね」

エミ:「そうなのよ。銀行の口座残高、クレジットカードの与信枠、電子マネーのチャージ残高——全部データよね」

サキ:「つまり、”鋳造されたコインこそが本物のお金”で、”銀板を叩いたインゴットはお金じゃない”っていう区別は……」

エミ:「20世紀にはみんなが納得できる線引きだった。でも21世紀に生きる私たちからすると、ちょっと狭い見方にも感じるのよね。お金の本質は”形”じゃなくて”信用”であり”合意”でしょう? みんなが『これで支払いができる』と信じている限り、それがコインだろうと銀の塊だろうとQRコードだろうと、お金として機能するわ」

サキ:「天武天皇の時代に、銀のインゴットが使えていたなら、それは立派にお金だったんじゃないの?」

エミ:「少なくとも、『鋳造してないからお金じゃない』と切り捨てるのは、21世紀の現代の感覚からすると違和感が残るわよね」

サキ:「本当だね」

日本史上初の大規模都市「藤原京」決定の前年に誕生した「富本銭」

エミ:「前回紹介したけど、日本書紀には飛鳥時代の天武天皇の天武12年(683年)に『今より以降、必ず銅銭を用いよ。銀銭を用いることなかれ』と銀銭禁止と銅銭(富本銭)の使用命令が出され、その3日後に”銀用いること止むることなかれ”という銀銭禁止の前言撤回がされているわ」

サキ:「朝令暮改のやつね(笑)」

エミ:「同じ飛鳥時代でも、天智天皇までと、天武・持統天皇の時代とは、大きな違いがあって、それは日本史上にかつてなかった規模の首都『京』を作ろうとしたことだったの」

サキ:「宮殿である『宮』と都市の『京』の違いね。平城京と平城宮は違うって奈良出身の友達に口を酸っぱくして言われたっけなぁ」

エミ:「富本銭(銅銭)の使用命令が出された翌年の684年に天武天皇は藤原京の建設を事実上決定したわ。藤原京(新益しんやく京)は、日本最初の条坊制の首都なんだけど、天武天皇はその完成を見ずに亡くなり、妻の持統天皇が691年に完成(地鎮祭)させ、遷都したのは694年とされているわ(諸説あります)」

サキ:「7~14年にわたる長期プロジェクトだったんだ。宮殿規模の土木工事だったら、朝廷が労働者に直接、「はい、きょうの分のお米ね」と物で労働対価を支払えたけど、都市規模の建築となると、工事現場の広さも、労働者の数もけた違いになるーーそうすると、朝廷から労働者への支払いフローも根本から見直さないといけなくなる。飛鳥時代のシステムエンジニアは頭を抱えただろうね」

エミ:「そこで考え出されたのが、鋳造貨幣『富本銭』だったというのが、マーケターとしての私の見方よ」

サキ:「エンジニアとして私も想像していいかな?」

エミ:「もちろんよ。聞きたいわ」

サキ:「数年にわたる長期プロジェクトで、プロジェクトマネージャーがまず一番に考えるのは、アサインできるSEなどの人材の確保だよね」

エミ:「うんうん」

サキ:「大きいプロジェクトになればなるほど、一次下請け、二次下請け、三次下請けとなっていく。システム開発でも土木建築もそれは同じ。何百人、何千人という人たちへの対価の支払いは銅銭単位でもいいけど、下請けの組織ごとには大きい単位(銀銭などのインゴット)で払うのが効率的」

エミ:「そうだね」

サキ:「だけど、今でも、現場を知らない元請けのお偉いさんには、こうした下請け構造を「中抜きされている無駄」とみて、「直接払えばいい」なんて安易に考えたりする…」

エミ:「うわっ。真理を突いてる」

サキ:「これまでに誰もやったことのないプロジェクトXを実施する!下請け、中抜きは不要。下請け業者に払う請求書支払い(銀インゴット)は廃止して、直接労働者にPayPay(銅銭「富本銭」)で支払えばOK!」

エミ:「そして3日後…部下が「陛下、大変です!労働者が全く集まりません!」「なぜだ?」「入札企業がゼロです」「理由は?」「インゴットの廃止です」「…インゴッドも使えるようにせい!」って感じね(笑)」

サキ:「そう、それはまさに、デスマーチ」

「日本最古のお金」は永遠に決まらない?

エミ:「だからね、私は前回の記事で、富本銭の国宝指定を手放しでヒャッハーできなかったの。富本銭の価値は疑いようがないわ。鋳型も工具も含めた一括資料として、古代の造幣の実態を示す唯一無二の資料群。むしろ、藤原京や平城京、そして平安京を実現したのは、この「富本銭」という鋳造貨幣の誕生なのだから、まさに国宝にふさわしい『お金』のオリジンと評価できるわ」

サキ:「うん、それは完全に同意」

エミ:「マーケティングの世界では、お金って”価値の交換手段”としか定義しないのよ。形は問わない。ポイントだって、クーポンだって、条件次第ではお金として機能するわ。その視点で見ると、むしろすでに国宝に指定されている無文銀銭(崇福寺塔心礎納置品[近江神宮蔵、京都国立博物館寄託])について、インゴットは”お金”ではないのか?を再考することにも今こそ意味があるんじゃないかなって」

サキ:「都市インフラという観点からすると、富本銭が画期的だったことは理解できた。でも、『最古』の地位を争うことで、銀銭の価値が見えなくなっているのだとしたら、両方が国宝に並んだ今こそフェアな比較研究が進んでほしいね」

エミ:「本当よね。高木教授は『これはいつも大学などで話すのですが、「現在の我々の常識は歴史上においてだいたい非常識である」ことを示す」としているわ。見る角度を変えるだけで色々なことが見えてくるのが歴史の面白さよ」

サキ:「……あ、そっか。だから前回の記事で、エミちゃんは京博と奈文研の立場の違いを丁寧に紹介してたんだ。どっちが正しいかじゃなくて、”見方が違う”っていうことを見せたかった」

エミ:「サキちゃん、ありがとう。まさに我が意を得たりよ」

サキ:「その”面白い”をこれからも一緒に追いかけていきたい……エミちゃんと」

エミ:「(顔赤くなる)…も、もちろんよ! 後編の重要文化財新指定の紹介もやるから、付き合ってね」

参考文献:高木久史「浅井長政・羽柴秀吉のマネーバトル」『はじまりは小谷城ー築城500年記念連続講座集』(サンライズ出版、2024年)

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