(大手町近くのカフェ、ゴールデンウィーク初日の午後で人は少ない。窓の外は晴天)
サキ:「ふぃ〜、連休初日のオフィス街のカフェって空いてて気持ちいいよぉ。てか、なんでうちの会社、5月1日が休みじゃないの!」
エミ:「なにを一人で緩んだり怒ったりしているの?」
サキ:「あっ、エミちゃんも仕事なんだね」
エミ:「そうね。でも、相手先はたいてい休みだから、きょうは暇ね」
サキ:「じゃあ、今日5月1日の日本史ネタをたっぷり聞いてあげる」
エミ:「いいわよ。五月一日経の話をしてあげるわ」
サキ:「ごがつ……ついたち、きょう? きょう、ごがつついたち、じゃなくて?」
エミ:「そう。光明皇后が発願した、超大規模な写経事業のことよ」
サキ:「今日じゃなくてお経のほうか! 光明皇后って……奈良時代の? 聖武天皇の皇后さんだっけ」
エミ:「正解。藤原不比等のお嬢さんで、聖武天皇の后。彼女が両親のために発願した一切経が、この『五月一日経』なの」
サキ:「ご両親のため……えっ、なんで5月1日? 誕生日とか?」
エミ:「ふふ、そこが今日のミソなのよ」
第1章:パパとママへの、世界一でかいラブレター
エミ:「まず背景からね。光明皇后のお父さんは藤原不比等、お母さんは県犬養三千代。不比等は養老4年(720年)に死亡しているけど、今回はお母さんの三千代が天平5年(733年)に亡くなったことがきっかけよ」
サキ:「両親が亡くなった後ってことね」
エミ:「そう。それで、母の死の3年後の天平8年(736年)9月から、光明皇后が両親の供養と冥福のために『一切経をぜんぶ書写する』っていうプロジェクトを立ち上げたのよ」
サキ:「一切経って、要は仏教のお経の全集ってこと?」
エミ:「ばっちり。当時の目安は『開元釈教録』っていう唐の経典目録に載ってる5,048巻」
サキ:「ご、ごせんよんじゅうはちまき??? 待って、それ何文字あるの……」
エミ:「(嬉しそうに)でしょ? しかも全部、人の手で筆写するのよ」
サキ:「(理系の脳が動き出す顔で)えっと、1巻あたり仮に1万字として……ざっと5,000万字!? 現代の印刷物でも気が遠くなる量じゃん……」
エミ:「前提条件として、前年の天平7年(735年)に、唐へ留学していた僧の玄昉がこの5000巻を超える経典セットを持ち帰ったことがあるの。つまり玄昉が留学を終えて帰国、翌年から皇后がそれを底本に大事業スタートという、最新輸入経典をすぐに活用した猛スピード企画だったわけ」
サキ:「玄昉さんからの『お土産』が、いきなり国家プロジェクトの教材になっちゃったんだ。確かに、そもそも写す元がないとできないことだもんね。だから、お父さんの死から15年以上、お母さんの死から3年後のスタートっていうことになるんだ」
エミ:「ちなみに最新の漢訳一切経としては大正11年(1922年)に始まって昭和9年(1934年)に完成した『大正新修大蔵経』が最も多くて、なんと1万1970巻分のお経が網羅されているのよ」
サキ:「ひっ、1万超!その話はまた別の機会にしようか」
エミ:「(少し残念そうに)そ、そうね。じゃあ、奈良時代の話に戻すわけね」
第2章:「5月1日」は書き始めた日じゃなかった
サキ:「で、なんで『五月一日経』って呼ばれてるの? 5月1日に書き始めたから?」
エミ:「そう思うじゃない? それが違うのよ」
サキ:「ええっ!?」
エミ:「事業が始まったのは天平8年(736年)9月。5月1日は、写経そのものの日付じゃなくて、願文の日付なの」
サキ:「願文……お祈りの文章?」
エミ:「うん。『なぜこの一切経を書写するか』『誰のために祈るか』を記した文章ね。それに記された日付が天平12年(740年)5月1日。だから後世、この一切経全体を『五月一日経』って呼ぶようになったの」
サキ:「んん? 待って待って。事業は736年9月スタートなのに、願文は740年5月1日? 4年もズレてない?」
エミ:「(目を輝かせて)そこが今日いちばん面白いところ!」
サキ:「(あ、エミちゃん早口モード入った……)」
エミ:「(早口で)740年4月までに、3,531巻まで写し終わってたの。そこで5月9日から、すでに書写済みのお経の末尾に、5月1日付の願文を書き加える作業を始めたのね。つまり願文だけ後付け」
サキ:「あー! 目標があと1,500巻くらい残ってるところで、『そろそろ完成するってことで製造年月日を全部に書いていこう』ってなった感じ?」
エミ:「そう。でも実際にはそこで一切経の書写自体が一旦中止になっちゃうのよ」
サキ:「えっ!? なんで? 5,000巻のうち3,500巻まで来てたのに!?」
エミ:「実はね、理由は資料からは断定できないんだけど、奈良時代って疫病あり、政変あり、遷都ありで、めちゃくちゃ激動の時代なの。740年(天平12年)って、ちょうど藤原広嗣の乱が起きた年でもあって」
サキ:「うわぁ……国の状況がそれどころじゃなくなった、みたいな?」
エミ:「断言はできないけど、影響はあったかもね。で、翌年の閏3月から事業は再開。今度は本文と願文を最初からセットで書写していくの」
サキ:「ちゃんと再開したんだ!」
エミ:「天平14年末には4,561巻まで到達。さらに翌15年5月からは、当初の目標だった『開元釈教録』5,048巻のリストにない章疏——お経の注釈書ーも写すことになって」
サキ:「ミッション拡張! 範囲が広がってる!」
エミ:「諸大寺や学僧から本を借りまくって書写を続けて、最終的にこのプロジェクトは756年(天平勝宝8年)まで続いて、総巻数は約7,000巻と推定されてるわ」
サキ:「ええっ……えっと、736年スタートで756年まで……20年!?」
エミ:「そう、20年がかりの大事業」
サキ:「(思わず椅子から身を乗り出して)光明皇后、最初に『お母さんのために一切経やるぞ!』って始めたとき、まさか20年続くと思ってなかったよね……?両親の供養とか、忘れちゃってない?」
エミ:「するどいわね。実際、彼女の気持ちはそうだったかもしれないわ。この頃には夫の聖武天皇(娘に譲位して上皇)の体調が不良で、このプロジェクトが終わった756年に聖武天皇は亡くなっているの」
第3章:写経所も4回引っ越した、奈良時代の大プロジェクト
エミ:「20年事業ともなると、運営の方も結構動くのよ。写経所が4回も移転しているの」
サキ:「会社の引っ越しレベル!」
エミ:「最初は皇后宮職の隅寺(すみでら)・中島の写経所。そこから東院写一切経所、福寿寺写一切経所、金光明寺写一切経所、最後に造東大寺司所属の東大寺写経所へ」
サキ:「(指で数えながら)皇后宮 → 東院 → 福寿寺 → 金光明寺 → 東大寺。完全にプロジェクトが大規模化していくにつれて、組織もスケールアップしていく動きじゃない?」
エミ:「まさに東大寺造営と並行してプロジェクトが国家事業化していく流れと一致するの」
サキ:「『五月一日経』を始めるときは家族のためだったのが、いつの間にか国家プロジェクトになっちゃってる」
エミ:「で、もうひとつすごいのが——写経所では他の一切経や臨時の大量写経もやってたんだけど、五月一日経だけは『常写・常疏』として区別されて、20年間ずっと続けられた写経所の常例事業だったの」
サキ:「常写・常疏……『定例業務』って意味?」
エミ:「そう。奈良時代の役所のルーティンワークだったのよ」
サキ:「えっ……それ、すごくない? 光明皇后の親への思いが、20年かけて『国の定例業務』にまで昇華されてるってこと?」
エミ:「(ちょっと目を潤ませて)そうなのよ。『私のママへの想い』が、いつしか『国家がやり続けるべき仕事』になっていったの。人の思いってすごいよね」
サキ:「(エミちゃんが感動してる……うん、私もちょっとうるっときたかも)」
第4章:写経生さんの「名前」が今も分かるって、すごくない?
サキ:「ところでこの『五月一日経』、今も残ってるの?」
エミ:「残ってる。正倉院聖語蔵に約750巻。あと巷間に流出したものが約200巻あるって」
サキ:「えっ、1,000年以上前の写経が、950巻も残ってるの!?」
エミ:「天平写経の代表作って言われるくらいだもの。でね、ここからがプログラマーのサキちゃんが喜びそうな話」
サキ:「なになに?」
エミ:「『正倉院文書』のなかに、写経生の手実っていう書類が残ってるの。これは『誰が、いつ、何巻書きました』っていう、いわば業務報告書」
サキ:「業務報告書!? コメントタグみたいな!?」
エミ:「(コメントタグ?)う、うん、たぶんそう。だから個々の経巻について、写経生の名前まで分かるものがかなりあるのよ」
サキ:「えっ、待って待って。それって、奈良時代の名もなき公務員が、自分が書いた経巻と一緒に名前を残してるってこと? 1,300年前の人なのに?」
エミ:「そういうこと」
サキ:「(しみじみ)……ねえエミちゃん。さっき私、『なんで5月1日が休みじゃないの!』って怒ってたじゃん?」
エミ:「ええ、緩んだり怒ったりしてたわね」
サキ:「5月1日って、メーデーじゃん? 労働者の日。光明皇后の親孝行プロジェクトに参加した、奈良時代の写経生さんたちの労働の証が、今も名前付きで正倉院に残ってる。休めなかった私たちが、たまたま今日この話してるって、なんか出来すぎじゃない?」
エミ:「(早口で)それ! それなのよサキちゃん! 1,300年前の労働の痕跡が、紙と墨と本人の名前と一緒に正倉院に眠ってるって、考えるたびに震えるの!」
エミのメモ📝
『五月一日経』は写経生が写すだけで完成しません。校生による再校を経たうえで、天平勝宝7年(755年)からはさらに薬師寺・大安寺・元興寺・興福寺など南都の大寺で校勘というダブルチェック、トリプルチェックが加えられました。何度も校正が入った「重跋本」として伝わるものもあります。20年以上の「品質管理」の事業でもありました。
サキ:「再校に校勘……つまり校正の校正? うちの会社のドキュメントレビューみたいじゃん」
エミ:「(笑)でしょ? 奈良時代の役所にも、ちゃんと品管あったのよ」
締め:「きょう、ごがつついたち」だからこそ
(ランチタイムが終わろうとしている)
サキ:「今日のお話、なんか……刺さったなぁ」
エミ:「どこが?」
サキ:「光明皇后が、お母さんを亡くした3年後に発願して、20年続いた事業でしょ? 最初は『私の親のため』っていう、ものすごく個人的な気持ちから始まったかもしれないのに、それが何百人もの写経生の仕事になって、国家の定例業務になって、仕事そのものが1,300年も形として残ってる」
エミ:「うん」
サキ:「個人の祈りが、こんなに大きくなることってあるんだって」
エミ:「名前の5月1日って、本当にただの一日に願文の日付に過ぎないな。実際にその日に全部を写したわけでも、完成したわけでもない。でも光明皇后が祈りを刻んだその日付が、20年の写経事業全体の名前になって、1,300年たってこの日付で呼ばれ続けてる」
サキ:「あ、わかった。私さっき『きょう、ごがつついたち、じゃなくて?』って聞き返したけどさ」
エミ:「ふふ、聞き返したわね」
サキ:「『五月一日経』と『今日5月1日』が、実は重なってるんだよね。光明皇后が刻んだ日付の上に、私たちが今いる」
エミ:「(しみじみ)……うん。だから今日、この話ができてよかった」
サキ:「休みじゃなくてよかったわ、5月1日」
エミ:「(笑)さっきと言ってること真逆じゃない」
サキ:「(てへ) さ、じゃあ恒例のあれ、いこ!」
エミ:「キター、って自分で言いそうな顔してるわよ」
サキ:「キター! プレイリスト会議〜!」
🎵 プレイリスト会議
(カフェでアイスティーのおかわりを注文する二人)
エミ:「今日のテーマ、何にしましょうか。いちおう、仕事の日だから1曲ずつにしよう」
サキ:「うーん、私的には……『誰かを想い続ける時間』かな。20年って長いじゃん?」
エミ:「いいわね。じゃあサキちゃんから、何選ぶ?」
サキ:「私はね、米津玄師の『Lemon』。亡くなった人を想い続ける歌詞がさ、光明皇后がお母さんを亡くしてから一切経を発願するまでの3年間に重なる気がして」
エミ:「あ〜、わかる。『今でもあなたはわたしの光』ってフレーズがあるけど、まさに『五月一日経』が光明皇后にとっての光だったのかもしれないわね」
サキ:「エミちゃんは?」
エミ:「じゃあ私はスピッツの『春の歌』。『忘れかけた 本当は忘れたくない
君の名をなぞる』って歌詞が響くわ」
サキ:「うわ、それ完璧。よし、あしたからの連休のためにも、きょうは働くぞ!」


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