清須会議に間に合わなかった第五の男「滝川一益」に秀吉が会議前日に送った手紙の内容

天正10年(1582年)6月26日、羽柴秀吉が信濃の滝川一益へ書状を送る。翌6月27日、清須会議が行われる。

(大手町のカフェ。ランチ後、エミが分厚い図録を広げている)

サキ:「エミちゃん、また重そうな本持ってきたねぇ」

エミ:「今日はね、清須会議の話をしたくて」

サキ:「あー、大河ドラマで見たばかり!信長が死んだあと、後継者を誰にするか決めた会議でしょ?秀吉が信長の孫を抱っこして、勝家がお市の方と晩婚する……みたいな」

エミ:「そうそう、秀吉が三法師を抱っこするのは江戸時代の軍記もの以来のお約束よ。天正十年(1582年)六月二十七日、尾張の清須城。出席したのは羽柴秀吉、柴田勝家、丹羽長秀、池田恒興の四人。織田家の宿老たちよ」

サキ:「四人ね。うんうん」

エミ:「でもね、サキちゃん。本当は五人だったかもしれないの」

サキ:「ええっ!?」

第1章:滝川一益、間に合わなかった男


エミ:「五人目の候補が、滝川一益たきがわかずます。信長の重臣中の重臣よ」

サキ:「その人、なんで来なかったの?」

エミ:「遠すぎたの。物理的に。一益はこの年の三月、武田勝頼が滅んだあと、上野こうずけの国と信濃の佐久・小県二郡をもらって厩橋城うまやばしじょうの城主になっていたの。今の群馬県前橋市ね」

サキ:「関東方面のトップってこと?」

エミ:「そう、信長の東国経営の先陣で、『東部方面軍団長』なんて現代風に呼ぶこともあるわ。精鋭だらけの織田軍でも最精鋭の武将の配置なのよ。でも本能寺の変が起きた瞬間、その『最前線』が一気に『孤立地帯』に変わったの」

サキ:「あー……後ろ盾がなくなったんだ」

エミ:「小田原の北条氏政・氏直父子が攻めてきて、上野国(群馬県)と武蔵国(埼玉県)の境の神流川かんながわの戦いで大敗。一説には北条5万、織田1万8000と大きな戦力差だったというわ。それでも一度は撃退したんだけど、結局ボロボロになって撤退中だったの」

サキ:「うわぁ……清須に戻るかどうかよりも、命があるかどうかのレベルじゃん」


エミ:「一方その頃、秀吉は中国大返しで京都に戻って、山崎で光秀を討ってる。同じ『信長の死』でも、片や大逆転劇、片や大敗走。運命の分かれ目が残酷なくらいくっきりしてるの」

サキ:「(エミちゃん、今日はちょっとしんみりモードだな)」

エミのメモ📝 滝川一益(1525〜86)は、伊勢長島の一向一揆と戦い、大阪湾では九鬼嘉隆とともに鉄甲船で毛利水軍を封じた実績もあるベテラン武将。茶人としても知られ、信長から上野国を拝領される際には領地よりも茶器を所望したという逸話でも有名。

第2章:清須会議の前日に届いた手紙

エミ:「で、ここからが今日の本題。清須会議の前日、六月二十六日付で、秀吉が一益に宛てて書いた手紙が残っているの。大阪城天守閣蔵よ」

サキ:「前日!?えっ、それって……」

エミ:「そう。『これまでの経緯をご報告します』という体裁の、長文の戦況報告書なの」

サキ:「うわ、なんかすごい裏表のある手紙な予感がする」

エミ:「読むとね、内容がすごいのよ。順を追って話すわね。まず毛利と和睦したこと。次に六月十三日、山崎で明智勢と一戦して首三千余を討ち取ったこと。淀川や桂川に流れた死者は数知れず、と」

サキ:「生々しい……」

エミ:「ここからが強烈なの。首をぜんぶ確認したのに光秀の首がない。それで近隣の村々を尋ねてまわったら——山科の藪の中に隠れていたところを『百姓』が討ち取って、首を切って溝に捨てておいたのを見つけた、って書いてあるの」

サキ:「ええっ!?溝!?捨てちゃった?」

エミ:「秀吉はこう書いてるわ。『扨々(さてさて)死様之儀、上様御当罰眼前と一身致満足事』——なんという死にざまか、信長様の天罰が目の前に現れたようで、我が身ひとつ満足である、と」

サキ:「うわぁ……勝者の文章だ、それ」

エミ:「まだ続くの。坂本城を攻めたら明智弥平次たちが天守で腹を切って火をかけ焼死したこと。光秀の家老・斎藤利三としみつを生け捕りにして、縄をかけ、車に乗せて京中を引き回して斬首し、光秀の首と一緒に懸けたこと」

サキ:「引き回し……」

エミ:「ちなみに利三の娘がのちの三代将軍徳川家光の乳母として絶大な力を握る春日局なの」

サキ:「へぇ、娘は大リベンジ果たしたんだ」

エミ:「そして近江の阿閉あつじ一族。光秀に味方したから、父子三人その他一類、**女子どもまで悉く斬首**。阿閉は小谷城の浅井長政の家臣だったけど長政を裏切って織田方になっていたの」

サキ:「……エミちゃん、これ、報告書っていうか」

エミ:「ええ。これは報告書の形をした通告書よ」

第3章:「ご心配なく」の圧

サキ:「でもさ、文面自体は丁寧なんでしょ?」

エミ:「めちゃくちゃ丁寧なの。むしろそこが怖いのよ。冒頭ではこう言ってるの。『貴方の身の上が心配だと聞き及びました。ご希望とあれば家康からも軍勢を出させます。家康にはしっかり相談してありますのでご安心ください』」

サキ:「親切じゃん」

エミ:「親切よね。でもね、サキちゃん。『家康と話はつけてある』って、一益にとってどう聞こえると思う?」

サキ:「北条氏と戦っていたんだよね……北条氏の隣は味方だけで織田家ではない家康がいる。あ。『お前が撤退する横っ腹の家康がどう動くかは俺次第』って暗に含めてるってことか?!」

エミ:「そう!さすがサキちゃん。しかも、最後の『留守中も火の用心を固く申しつけるよう、留守居の者に相談してあります』っていうのもじわじわくるのよ」

サキ:「……え、それ一益さんの留守宅の話?」

エミ:「そうなの。一益の本拠は伊勢長島城。尾張清須城のすぐそばね。『あなたの留守中のご自宅も秀吉がちゃんと見ておきますね』」

サキ:「うわ、なんかこわっ!!やさしさの皮をかぶった脅しじゃん!」

エミ:「そして日付。六月二十六日。清須会議は翌二十七日。この手紙が届いた頃には、もう会議は終わっているのよ」

サキ:「……間に合わせる気、ないよね?」

エミ:「ないわね。私はこれを『招待状の顔をした欠席裁判通知』だと思ってるの」

エミのメモ📝  この手紙の解釈——丁寧な文面の裏に込められた秀吉の意図は、あくまで文面と日付から読み取れる推測です。ただし結果として一益が清須会議から外れ、信長の葬儀(大徳寺)からも締め出された状態になっており、秀吉による一益外しは、その後も続きます。

第4章:その後の滝川一益

サキ:「一益さん、それで黙って引き下がったの?」

エミ:「まさか。信長の三男で岐阜城主になった織田信孝と柴田勝家と組んで、秀吉に対抗するのよ。天正十一年春には伊勢の亀山・峯の両城を攻めて、雪で動けない勝家を側面から助けようとした」

サキ:「おおっ、やるじゃん。さすが第五の男」

エミ:「この一連の戦いは、賤ヶ岳の戦いと言われているけど、賤ヶ岳(滋賀県北部)の局地戦でなく、近江、美濃、伊勢まで広範囲の戦いだったの」

サキ:「山崎の戦いみたいな会戦ではなかったんだ」

エミ:「でも賤ヶ岳で勝家が敗れて北の庄城(福井市)でお市の方とともに自害。岐阜城の信孝も切腹。一益は占領した北伊勢五郡を差し出して秀吉に降伏したの」

サキ:「……そっか」

エミ:「翌年の小牧・長久手では今度は秀吉軍に加わって、尾張の織田信雄(信長の次男)と徳川家康連合と戦うの。一益は尾張南部の蟹江城を奪取するんだけど、家康・信雄連合の反撃を受けて十数日で放棄して伊勢に退却してしまうの。この体たらくに秀吉が怒って、講和後、出家させられるわ。京都妙心寺に入って『入庵』と号して、その後は越前大野に蟄居したの」

サキ:「秀吉、けっこう根に持つね……」

エミ:「家督は次男の一時が継いで一万二千石。一益本人の隠居料は三千石よ」

サキ:「三千石……関東方面軍のトップだった人が?」

エミ:「結局、滝川一時も1万石もらえなかったみたいで、事実上の改易だったみたいね。文禄二年(1593年)に滝川一時が下総国(千葉県)に成山郷など二千石を与えられているから。だんだん領地を減らして曾孫の代には300俵で徳川幕府の旗本になっているわ」

サキ:「そっか。家も転落していったんだ」

エミ:「一益は天正十四年九月九日、六十二歳で死去。法名は道栄。高野山に葬られたわ」

サキ:「(エミちゃん、ちょっと目が潤んでる)」

エミ:「(目を潤ませながら)でもね、一益は出家したあとも、秀吉を招いて茶会を催してるの」

サキ:「えっ」

エミ:「あれだけのことがあって、それでも茶室に招くのよ。武将としては負けたけど、茶人としては最後まで一益だったの」

サキ:「……あー、それは、なんかいいな」

締め:もし間に合っていたら

サキ:「ねぇエミちゃん。もし一益さんが清須会議に間に合ってたら、歴史って変わってたと思う?」

エミ:「どうかしらね。四対一が四対二になっただけかもしれない。でもね」

サキ:「でも?」

エミ:「私、こういうの、初期条件が少しズレただけで軌道が全部変わる感じ、好きなの」

サキ:「あ、それカオス理論じゃん。バタフライエフェクト」

エミ:「そう、それ!」

サキ:「でもさ、一益さんの場合、バタフライじゃなくて『神流川で大敗する』っていう、けっこうデカい初期条件だけどね」

エミ:「(笑)身も蓋もないわね」

サキ:「でも手紙が残ってるって、すごいことだよね。『来れなかった人』の記録が残ってるってことじゃん。会議に出た四人の話ばっかり有名だけどさ」

エミ:「……サキちゃん、それ、今日いちばんいいこと言ったわ」

サキ:「もう、エミちゃんったら……(でも嬉しそう)」

🎵 プレイリスト会議

(紅茶のおかわりを頼みながら)

サキ:「今日のテーマ曲、決めよっか」

エミ:「そうねぇ……。じゃあ、MOONCHILD『Escape』を選ぶわ」

サキ:「おお、歌詞の『響く銃声』『孤独を抱いて』とかぴったりだね。じゃあ私はヨルシカの『春泥棒』」

エミ:「お、なんで?」

サキ:「時間が残り少なくなっていく感じの曲でさ。一益さんって、ずっと『あと一日早ければ』の人だったじゃん。散っていく桜を数えるみたいな感じ」

エミ:「あー……わかるわ。じゃあ私は、ビリージョエルの『PianoMan』にする」

サキ:「渋い洋楽が来たね」

エミ:「一益は茶人として老成していくのよね。晩年に茶会に秀吉を招いた場面を考えると、これかなって。恨みじゃなくて、静かに区切りをつける音がするの」

サキ:「あ、もう一曲だけいい?私も洋楽で、ジャミロクワイ『Virtual Insanity』」

エミ:「それは意外。聞いたことある曲だけど、どんな歌なの」

サキ:「急速に発展する科学技術への警鐘がテーマなんだけど、サビを日本語訳すると『仮想の狂気で作り上げられた未来』。この時代の激動ぶりもちょっと近いかなって」

エミ:「なるほど、さすがサキちゃん、さえてる!」

サキ:「(えへへ)」

主な参考:羽柴秀吉書状 瀧左(滝川一益)宛(大阪城天守閣蔵)/『国史大辞典』「滝川一益」項(三鬼清一郎執筆)/『日本歴史地名大系』千葉県:四街道市  成山村

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