重要文化財指定ニュース2026秋 建造物編 大阪城天守閣が重要文化財に 「俺の考えた最強の重文」シリーズ?

エミ:「10月16日に発表された文化審議会の答申、ようやくまとめられたわ。今回のジャンルは建造物だけど、国宝はなくて、重要文化財ね」

サキ:「瑞泉寺ずいせんじと奈良ホテルは10月25日の週刊文化財ニュースでも触れたけど、どういうのがあるのかな?」

エミ:「重要文化財の新規指定は8件(11棟)。そのうち6件が近代の建造物なのが今回の特徴ね」

サキ:「8件中6件って、4分の3だね。お寺とお城だけじゃない答申なんだ」

エミ:「ところが近代の『お城』もあるの。それに近代区分のお寺も」

サキ:「お寺はともかく、近代のお城が重文って!?」

1 大阪城天守閣 「創作」された天守閣の評価


エミ:「じゃあ、さっそくその『お城』から。大阪城天守閣よ」

サキ:「大阪城天守閣って、まだ重要文化財じゃなかったの!? あんなに有名なのに」

エミ:「あの天守閣は大阪のシンボルでもあるし、特別史跡大坂城跡にあるけど、江戸時代のものではないの。建てられたのは昭和6年(1931年)。5重8階建の博物館施設で、鉄骨鉄筋コンクリート造で造られているのよ。ちなみに昭和6年は満州事変があった年ね」

サキ:「あれ鉄骨鉄筋コンクリートだったんだ……そういえば中身はがっちり博物館的な展示施設だったかも」

エミ:「石垣や天守台など特別史跡大坂城は徳川時代に大規模に改修されたお城で、秀吉の作った大坂城とは別物なの。でも、今度重文になる天守閣は、江戸時代ではなく、豊臣期の壮大な天守の再現を目指したもので、その外観は、大坂夏の陣図屏風おおさかなつのじんずびょうぶや文書の精査、現存する天守の実査などの調査・研究で作り上げられたのよ」

サキ:「絵と文書と現物の実測から設計するって、リバースエンジニアリング的な感じだね」

エミ:「答申の評価の言葉がおもしろいの。『歴史性に基づいて創作された城郭建築の卓越した成果』と書かれているのよ」

サキ:「再現を目指したのに、評価としては『創作』なんだ」

エミ:「そう。復元や復原ではなく『創作』なの。だって、江戸時代の大阪城天守閣は江戸前期の寛文5年(1665年)に落雷によって焼失してから、その後、約260年間、天守台だけあって、天守閣は存在していなかったの。それに、豊臣期の大坂城は、徳川幕府によって大幅に改変されていて、城としては全く別物。徳川時代の天守台に豊臣期の天守閣が乗るはずは時系列的にありえないわけ。だから『創作』つまり空想上の建物なのよ」

サキ:「俺の考える最強の大坂城的な?」

エミ:「ふふふ。あながち外れてないわ。昭和6年に鉄筋コンクリートの天守閣が建てられた背景には、大阪市が人口・面積とも日本一になった、いわゆる『大大阪だいおおさか』の時代に、大阪城公園の整備と一体で計画されたことがあるの。しかも市民の寄附で実現したのよ。郷土資料館と展望台を兼ねて、市民に開かれた施設として建てられたことも挙げられているわ。そして、その後の各地の天守再建の手法の先がけになったとされているわ」

サキ:「大阪って、東京や京都のような「お上」でなくて、庶民たちが作ってきた町っていうのが誇りだから、市民のお金で建ったお城の天守が重文入り……なかなか感慨深いかも」
出典:文化庁「文化審議会の答申(重要文化財(建造物)の指定)」/同・個別解説PDF


2 戦後の狭小住宅「私の家」

サキ:「『私の家』って、家の名前? すごい名前だよぉ」

エミ:「正式な名称は『私の家(旧清家清自邸せいけきよしじてい)』。東京都大田区にあって、所有者は個人の方よ。名前の由来は資料には書かれていないわ。建築家の清家清さんが、昭和29年(1954)に建てた自分の家なの」

サキ:「へぇ〜。写真を見ると、ガラス戸の向こうに庭が見えて、すごく広く感じるね。でも『狭小』って書いてあるよね?」

※画像は撮影者がいるため文化庁の発表(PDF)からご覧ください。

エミ:「建築面積は約50㎡。住宅金融公庫の貸付条件や、生活の合理化のために抑えたと書かれているの。鉄筋コンクリート造の小規模な住宅ね」

サキ:「50㎡って、ファミリー向けだと狭いって感じ」

エミ:「そのコンパクトな中で、清家さんが試したのが『均質な一室空間』。室内の境目に建具がなくて、床も天井もひとつながり。そこを最小限の壁やカーテンで、ゆるやかに分けているの。そして、家具や調度類でも分けるのよ。この家具調度で分ける手法を、資料は『鋪設しつらい』と呼んでいるわ」

サキ:「壁で仕切らずに、家具で空間を分けるって、ゾーニングの発想だよね。仕切りが少なければ、庭の光も、風も、全部通っていくし」

エミ:「答申リリースでは、この家を『鋪設で分節する空間構成手法の集大成』と評価しているわ。手仕事の加工や、いろいろな材料の素材感、練られたディテールが、簡明な構成の空間に重厚さと格調を与えている、とも書かれているの」

サキ:「狭いからこそ、一つひとつの工夫が効いてくるんだね」

エミ:「戦後の住宅政策で需要が高まった狭小住宅の、一つのあり方を示した秀作、というのが資料のまとめよ。指定基準は『意匠的に優秀なもの』ね」

サキ:「これも、俺の考えた最強の家、だね」

エミのメモ📝

清家清さんは、旧東京工業大学などで教鞭を執った建築家です。ちなみに息子の清家篤さんは経済学者で、慶応義塾大学の塾長をつとめた人です。

出典:文化庁「文化審議会の答申(重要文化財(建造物)の指定)」/同・個別解説PDF


3 大倉集古館の創設者の奇抜で濃密な美意識「蔵春閣」

2階広間 提供:新発田市文化行政課

サキ:「うわ、和室だけど天井、すごくない!? 金色でびっしり模様が……」

エミ:「新潟県新発田市にある蔵春閣ぞうしゅんかくよ。もとは実業家の大倉喜八郎おおくらきはちろうが、明治45年(1912年)に東京の向島むこうじまの別邸に設けた、木造2階建ての迎賓施設なの。いまは喜八郎の郷里・新発田市に移されて、市が所有しているわ」

サキ:「迎賓施設ってことは、お客さんをもてなすための建物?」

エミ:「そう、向島だから料亭街ね。設計は、明治宮殿にも関わった今村吉之助いまむらきちのすけ。ただ、内装などの意匠は喜八郎の考案だそうよ。喜八郎は大倉財閥の創設者で、オークラ東京(ホテルオークラ)の敷地内にある美術館『大倉集古館おおくらしゅうこかん』を創立した文化人でもあるのよ。ちなみに喜八郎が建てた初代大倉集古館は1923年(大正12年)の関東大震災で焼失しているの」

サキ:「虎ノ門の高台にある大倉集古館が燃えて、下町の向島のこっちは残っているっていうのは、意外ね」

エミ:「初代大倉集古館は古いポストカードの絵でしか見たことないけど、和漢折衷のすごく豪華な『俺の作った最強の美術館』って印象があるわ」

サキ:「ここでも『俺の最強』(笑)」

エミ:「襖絵は伝狩野探幽かのうたんゆう筆、欄間らんまは高野山や徳川綱吉の霊廟からの伝来とされ、由緒ある絵画や彫刻を贅沢に使った、絢爛豪華な室内意匠、と評価されているわ」

サキ:「将軍の霊廟から持ってくるって、明治の成金趣味?」

エミ:「そうなの。私が初代大倉集古館を見た印象も正直、それよ。この迎賓館も、指定理由を読むと、上段と棚、床とこを矩手かねてに並べて、天井を折上おりあげにして、格縁ごうぶちを蜀江文しょっこうもんに組んでいる。2階の廊下は大理石モザイク張り。『多様な意匠が混淆する奇抜かつ濃密な空間は他に類を見ない』と書いているわ」

サキ:「『混淆する奇抜かつ濃密』って、まさに『成金趣味』の言い換え?」

エミ:「大倉集古館はサキちゃんとはまだ行ってないわね。現在の建物は登録有形文化財なんだけど、国宝3件も持っているすごい美術館なのよ。今回の重文指定で『混淆する奇抜かつ濃密』という文化庁の評価の言葉を見て、初めて、あっ大倉集古館の建物もそんな感じかもって思ったのよ」

サキ:「やっぱり言語化大事だね。まずは東京の大倉集古館へ行って、新潟のこの建物の予習をしておこう」

大倉集古館(東京都)

国宝「普賢菩薩騎象像」大倉集古館蔵

出典:文化庁「文化審議会の答申(重要文化財(建造物)の指定)」/同・個別解説PDF


4 奈良ホテル本館 古都に調和した和洋折衷の五つ星ホテル

奈良ホテルの公式サイト

サキ:「次は奈良ホテルだね。これも迎賓施設だよね」

エミ:「そうね。奈良市にある五つ星ホテルと名高い奈良ホテルの本館よ。外国人客を誘致するために、明治42年(1909)に建てられた本格的なホテルなの。アインシュタインやヘレン・ケラーが泊まったことでも有名ね」

サキ:「外国人のお客さんを呼ぶための建物だったんだ。今でいうインバウンドの先がけか」

エミ:「設計は辰野片岡建築事務所たつのかたおかけんちくじむしょ。東京駅を設計した辰野金吾と、その弟子の片岡安が大阪で共同設立した建築事務所ね。重要文化財の大阪市中央公会堂を手掛けているわ」

重要文化財「大阪市中央公会堂」

サキ:「奈良ホテルの建物はどんな形なの?」

エミ:「和風を基調にした、木造を主とする2階建ての長大な建物よ。車寄くるまよせを備えた中央の玄関から、両翼に客室などが雁行がんこうして、鴟尾しびを載せた入母屋造いりもやづくりの屋根が連なっているの」

サキ:「鴟尾って、お寺とかの屋根の端についている飾りだよね。ホテルに?」

エミ:「そう。ホテルなのに、屋根は寺院や宮殿のような和風なのよ。でも中は、吹抜ふきぬけをもつ大広間に大階段を設けた玄関ホールや、大食堂、談話室などを備えているの。客室は中廊下に沿って配する、ホテルならではの構成ね」

サキ:「廊下の両側に客室を並べるって、今のホテルと同じ考え方だよね。100年以上前に、もう形ができていたんだ」

エミ:「内部にも、格天井ごうてんじょうや支輪しりん、擬宝珠高欄ぎぼしこうらんといった和風の意匠が使われていて、『内外とも和洋の意匠を破綻なく纏め上げた高い技量と完成度が認められる』と評価されているわ」

サキ:「洋風のホテルの機能に、和風の飾りを自然に載せたってことか」

エミ:「それが『和洋折衷わようせっちゅう』ね。明治後期に地域性や民族性を意識した建築様式が模索されていた中で建てられたことも書かれていて、『古都奈良の歴史的風致に調和した和洋折衷の建築』としても高い歴史的価値があるとされているの」

サキ:「さすがエミちゃん、詳しいね。よく奈良に行ってるから、泊ったことあるんでしょ?」

エミ:「ない(キリ)」

サキ:「ヽ(・ω・)/ズコー」

エミ:「昔、お茶を飲みに一回だけ行ったことあるんだけど、あまりに厳かすぎて、緊張して建物の中では撮影してなかったの。まさに五つ星、敷居が高すぎるホテルね」

サキ:「(敷居が高いの誤用…まぁいいけど)オークラ・トーキョーも五つ星だよね」

エミ:「えぇ、だから大倉集古館には行っても、ホテルオークラには行かないわ(`・ω・´)キリ」

サキ:「そこもキリなんだ」

エミ:「現在も営業しているホテル単独の建物では、全国初の重要文化財になるそうよ。今回初めて知ったけど今はJR西日本が所有しているのね。JR西日本のホテル「ヴィアイン」のポイントで泊まれるようにならないかしら」

サキ:「泊まれる重文って、いいよね。10月25日に約束した、紅茶を飲みに行く話、忘れてないよ」

エミ:「ふふ、忘れてないわ。なんならお泊まりでも(/ω\)キャッ」

サキ:「なんか、絵文字で心が駄々漏れなんだけど」

出典:文化庁「文化審議会の答申(重要文化財(建造物)の指定)」/同・個別解説PDF/JR西日本ホテルズ 奈良ホテル本館、国の重要文化財に指定へ


5 京都・建仁寺の法堂 江戸中後期最大の禅宗様仏堂

サキ:「次は建仁寺! 京都のお寺だよね」

エミ:「そう。俵屋宗達の国宝『風神雷神図屏風』を持っているお寺として有名よ」

サキ:「あの有名な絵だね。建物は国宝じゃなくて、ようやく重文?」

エミ:「そうね、祇園の南側にある建仁寺には国宝の建造物はなくて、室町時代の方丈(1487年建立)と勅使門(鎌倉時代後期)がすでに重要文化財ね。今回重文に指定答申された法堂は、江戸時代中・後期に建てられた禅宗様の仏堂としては規模が最大とされているの」

サキ:「柱が太くて迫力あるなぁ。天井にも何か描いてあるみたい」

建仁寺法堂 内観(提供:京都府教育庁)

サキ:「規模が最大って、どのくらい時間がかかったの?」

エミ:「再建を発願したのが享保12年(1727)、上棟が明和2年(1765)。資料に書かれた年数を引き算すると、38年ね」

サキ:「38年!? 長いプロジェクトだったんだね」

エミ:「答申の発表で詳しく書かれているのは資金の話。財政難の中、寄附や借財、境内地の新地開発、経営改善など、長期にわたって資金調達を続けられたとあるわ」

サキ:「10月8日の文化財ニュースで出てきた信長の墓所がある京都の阿弥陀寺のクラウドファンディングの話も思い出すなぁ。お寺の建物って、昔から『みんなでお金を集めて直す』ものなんだね」

【10月8日文化財ニュース】 衝撃!「奴婢」の売買を記した奈良時代の木簡が初出土

エミ:「建物そのものだけじゃなくて、建てるまでの記録も評価されたってわけね」

出典:文化庁「文化審議会の答申(重要文化財(建造物)の指定)」/同・個別解説PDF


6 富山・瑞泉寺 彫刻のまち井波の大伽藍

瑞泉寺(提供:南砺市教育委員会)

サキ:「富山の瑞泉寺は、10月25日の文化財ニュースで出てきたよね」

エミ:「ええ。ぶっちゃけ、このニュースで、重要文化財の指定答申が出たことを知ったのよ。文化庁の発表から4棟を1棟ずつ見ていくわね」

サキ:「そもそも、どんなお寺なの?」

エミ:「富山県南砺市なんとしにある、真宗大谷派の井波いなみ別院瑞泉寺よ。北陸で浄土真宗の中核をなした別院寺院なの」

サキ:「井波別院というのも初耳だけど」

エミ:「1390年(元中7年・明徳元年)に本願寺5世の綽如しゃくにょが瑞泉寺を建立して、その後、信徒が増えて越中(富山県)の本願寺浄土真宗の拠点となったの。信長軍に一度焼かれたけど江戸時代に再建されて、門前町として興隆したという歴史があるわ」

サキ:「なるほど。じゃあ、今回重文になるものについて、まず本堂から?」

エミ:「本堂は明治18年(1885年)の再建。真宗大谷派と本願寺派の別院の中で、規模が最大の広壮な仏堂なの。江戸後期に確立した、地元井波の彫物大工ほりものだいくによる細部の意匠も優秀、と書かれているわ」

サキ:「両方の派の別院の中で一番って、すごいんだね」

エミ:「次は太子堂たいしどう。大正7年(1918年)の再建で、この地域の太子信仰を背景にした二重の建物なの。内外を飾る井波彫物大工の彫刻は技量に優れていて、内陣ないじんのまわりには絢爛な荘厳しょうごんが施されているのよ」

サキ:「そっか。じゃあ、山門さんもんは?」

エミ:「山門は文化6年(1809年)の上棟。井波大工が棟梁とうりょうを務めた、流麗な彫刻のある雄壮な二重門にじゅうもんよ。江戸時代を通じて、本山から大工や彫刻の技術を受け入れた成果を示していて、『彫刻のまち井波』ができるきっかけの一つにもなった、と書かれているの」

サキ:「『彫刻のまち』の始まりが、この山門なんだ。これは地元にとって重要な門っぽいね」

エミ:「そして鐘楼堂しょうろうどうは昭和7年(1932)の建築ね」

サキ:「4棟で、江戸の山門、明治の本堂、大正の太子堂、昭和の鐘楼堂。時代がばらばらだね」

エミ:「だからこそ全体の伽藍として評価されたのでしょうね。『意匠的に優秀なもの』に加えて、『流派的又は地方的特色において顕著なもの』として、地方の特色が基準に入っているのは、彫刻のまち井波らしいわね」

サキ:「10月25日には、答申のあとの週末に、参拝者が平年の3倍になったって言ってたね」

エミ:「チューリップテレビ(TBS系)の報道ね。動画では約600人で、海外からの参拝者も『素晴らしい木彫りがあると聞いていた』と話していたわ。富山県内の寺社建築の重要文化財は、1988年の高岡市の勝興寺しょうこうじ以来38年ぶりだそうよ。ちなみに勝興寺は2022年に国宝に昇格しているわ」

サキ:「へえ、じゃあ、これも未来の国宝かもしれないね」

エミのメモ📝

真宗大谷派は東本願寺を本山とする宗派、本願寺派は西本願寺を本山とする宗派です。

出典:文化庁「文化審議会の答申(重要文化財(建造物)の指定)」/同・個別解説PDF/TBS NEWS DIG(チューリップテレビ)/富山県 「瑞泉寺」の重要文化財指定について


7 宮崎県の寺院で初の重要文化財 教会堂のような「願心寺本堂」

願心寺本堂(提供:文化庁)

サキ:「えーと次も浄土真宗のお寺。えっ、これ、お寺なの!? 屋根は和風だけど、手前の窓とか、なんだか洋館っぽい雰囲気だよ」

エミ:「宮崎県都城市みやこのじょうしにある、浄土真宗本願寺派の願心寺がんしんじの本堂よ。明治39年(1906年)の竣工で、発表の見出しにも『教会堂のような異形いぎょうの寺院本堂』とあるわ。そして、宮崎県で初めての寺院の重要文化財になるのね」

サキ:「宮崎県で初めてなんだ。どのあたりが『異形』なの?」

エミ:「サキちゃんの感想の通りじゃないかしら。『これお寺?』って感じるわよね。平面や内部の構造は、江戸時代の浄土真宗寺院の本堂の規式が基調となっているそうなの。でも、広縁ひろえんを屋内に取り込んだり、奥行きを深くしたり、側面に壁を設けて閉鎖的な空間にしたりしているのよ。さらに、ペディメント付きの上下窓あげさげまどという洋風の意匠も採り入れて、正面には門のような向拝ごはいを設けているわ。それで発表では『総体として極めて特異な構成と独創的な意匠』と書かれているの」

サキ:「また『俺の考えた最強のお寺』だ」

エミ:「宮崎県の寺院で初の重文となることや、その独創的なデザインも、どうやらある歴史的なイベントがかかわっているみたいなの」

サキ:「なんだろう?」

エミ:「廃仏毀釈はいぶつきしゃくによって、ほとんどの寺院がなくなった地域に、明治中頃に新しく開かれた真宗寺院ってことなの」

サキ:「ゼロに近いところから新しく建てたから、前例にとらわれない形になった……ってことかな」

エミ:「そうかもしれないわね」

出典:文化庁「文化審議会の答申(重要文化財(建造物)の指定)」/同・個別解説PDF


8 愛知・滝山東照宮 全国的に稀少な七間社流造

滝山東照宮日吉山王社本殿(提供:文化庁)

サキ:「ん?タキサンジ?愛知県岡崎市の滝山たきさんって、MVにした瀧山寺(滝山寺)のことだよね?」

エミ:「そう、その瀧山寺。今回、指定される見込みなのは、瀧山寺本堂の背後に建つ滝山東照宮日吉山王社本殿たきさんとうしょうぐうひよしさんのうしゃほんでんよ」

サキ:「お寺の後ろに神社があるんだ」

エミ:「明治の神仏分離までは一体だったの。もともと瀧山寺の鎮守社ちんじゅしゃとして創建されて、平安時代後期に日吉大社から山王権現さんのうごんげんを勧請かんじょうしたのよ」

サキ:「お寺と神社がセットで守られてきたのか。神仏習合ってやつだね」

エミ:「本殿は七間社流造しちけんしゃながれづくり、こけら葺こけらぶきで、3代将軍徳川家光によって正保しょうほう2年(1645年)に建立されたの。」

サキ:「七間社流造って、どういう形なの?」

エミ:「流造は屋根が前に長く流れる本殿の形で、七間は正面の柱の間が七つ並ぶ大きさのこと。七間に及ぶ流造の本殿は全国的に少ないらしいわ」

サキ:「柱の間が七つで、祀られているのが山王七神。数がぴったり合うんだね」

エミ:「そうなの。内部は区画のない一室で、桁行の全幅にわたる祭壇の各柱間に、山王七神を祀っているの。七間の本殿は、連結した社殿だったり、内部を区画する形式だったりするものが多いのよ。だから、内部を一室にして、祭神を一体的に祀る形式は稀少と書かれているわ」

サキ:「柱の間ごとに一柱ずつ、ずらっと一列に並んでるって、ちょっと壮観かも」

サキ:「東照宮って名前がついているのは、家康と関係があるんだよね」

エミ:「瀧山寺と家康、徳川将軍がなぜ関係するのかはぜひ私たちが作ったMVを見てほしいね」

サキ:「源頼朝の歯と髪が、瀧山寺の運慶仏の中にあって、源氏の聖地として、徳川将軍家から重宝されたって話だね。800年続く火祭りの『鬼祭り』でも知られるお寺で、私たち二人の火祭りダンスも楽しんでね」

エミのメモ📝

文化庁の資料の区分は「近世以前/神社」です。今回の新規指定8件のうち、近代の建物が6件で、近世以前は2件(建仁寺法堂と、この滝山東照宮日吉山王社本殿)です。

出典:文化庁「文化審議会の答申(重要文化財(建造物)の指定)」/同・個別解説PDF


サキ:「全部で見ると、お城、お寺、神社、住宅、ホテル……ジャンルがばらばらで、楽しい答申だったね。それに『俺の考えた最強の〇〇』が多かったのが面白かったよ」

エミ:「そうね、別に文化庁は「俺の考えた最強」とは評価してないけどね。数字の面では、重要文化財の指定件数は、国宝を含めて2,619件、5,624棟になるわ。国宝のほうは今回は変わらず、235件305棟のままよ」

サキ:「5月の国宝指定の記事で出てきた数字と、同じだね」

エミ:「ええ。今回は答申で、実際に指定されるのは官報に掲載された日で、だいたい半年先くらいかな。奈良ホテルが公式サイトで、重文指定を受けてなのか、見学のみの利用はお断りっていうリリースも出しているなど、これらの建物に行く時は、その前に最新の情報を確認してくださいね」

出典:文化庁「文化審議会の答申(重要文化財(建造物)の指定)」/同・個別解説PDF

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