【2026年10月29日(木) 駅前のカフェ 朝】
エミ:「今日の文化財ニュースは5本よ。トップは、長崎の海の底に沈んでいる元寇の船から、サイコロが出てきたっていう話ね」
サキ:「サイコロ!? 戦いの船なのに?」
1 長崎・鷹島沖の元寇船から、サイコロと麻雀牌に似た「骨牌」が初出土 船尾は調理場か
サキ:「元寇の船って、前に国際チームで調べてるって言ってた船?」(10月25日のニュース)
エミ:「そう、長崎県松浦市の鷹島海底遺跡で見つかった3隻目の船よ。10月2日から29日間の調査で、サイコロが5点と、中国の『天九牌』に形が似た骨牌が29点見つかったんですって。鷹島海底遺跡で遊び道具が出たのは初めてだそうよ」
サキ:「骨牌って?」
エミ:「麻雀の起源とされるゲームと言われているわ」
サキ:「麻雀のご先祖さま! 元寇の船の中で打ってたってこと?」
エミ:「出てきたのは船尾のあたりで、お椀やすり鉢みたいな焼き物や、包丁とみられる鉄の道具と一緒だったの。だから船尾には調理場や食材の保管庫があったと考えられているみたいね」
サキ:「戦う人じゃなくて、船を動かす人たちが、ごはんの合間に遊んでたのかも。急に人間っぽくなるね」
エミ:「そうなのよ。それに船尾が初めて確認されて、残っている部分の長さは約15メートル。これまでの3隻でいちばん大きくて、船首側まで立ち上げると30メートル級の船と推定されているんですって」
サキ:「30メートル級って、けっこうな大きさだよね。木造船でそのサイズって、技術的にもかなりのものなんだよ」
エミ:「市は韓国やモンゴルの機関と連携して、調査を続けていく方針だそうよ。今年はモンゴルの研究者も海底調査を見学したんですって」
サキ:「元寇で戦った側の国の研究者と一緒に調べるって、やっぱりなんかいい話だね」
エミ:「まさに“サイ”高の発見ね。サイコロだけに」
サキ:「……サイの目、1が出たね」
出典:NIB NEWS NNN/FNNプライムオンライン(テレビ長崎)/東京新聞(共同通信)
2 福井・坂井市の瀧谷寺の木造薬師如来坐像、奈良時代前半の作か 宝物殿で一般公開中
サキ:「瀧谷寺ってどこのお寺?」
エミ:「福井県坂井市の三国町にあるお寺よ。そこに伝わる木造薬師如来坐像が、奈良時代前半、8世紀前半の作かもしれないっていう新しい説が出ているの」
サキ:「これまでは?」
エミ:「平安時代後期か、中世の作とみられていたそうよ。大正大学の副島弘道名誉教授が、細身で均整のとれた体や、薄手の衣の流れるような表現、口角を上げてほほ笑む表情なんかを根拠にしているんですって」
サキ:「ほほ笑む仏さまかぁ。何と似てるって?」
エミ:「法隆寺五重塔の塑造の文殊菩薩坐像(711年)や、興福寺の乾漆十大弟子立像(734年)なんかと似ているそうよ。……ああっ、興福寺の国宝十大弟子!」
サキ:「興福寺の国宝に十大弟子なんていたっけ?」
エミ:「国宝館にいつもいるから、たぶん、いえ、ぜったいに見てるはずだけど、近くにインパクトの強くて、同じ乾漆の国宝があるから。八部衆よ」
サキ:「ああぁ、阿修羅か!」
エミ:「そうそう。乾漆っていうのはね、漆と麻布を何層も重ねて形をつくる技法で、奈良時代に盛んだったの。十大弟子はお釈迦さまのお弟子さんたちの像で、一人ひとりの表情が本当に生きているみたいで……」
サキ:「うんうん。十大弟子は覚えてないけど、阿修羅の生き生きとした少年のようで、それでいてちょっと切なそうな表情はすごく印象に残ってるよ」
エミ:「瀧谷寺の像はケヤキの一木造りで、像高88センチ。2023年度から日本女子大学のグループが進めているお寺の史料調査がきっかけで、今年3月のシンポジウムで発表された説なんですって。お寺は虫害対策をして、今秋から宝物殿で公開しているそうよ」
サキ:「いま見に行けるんだ。福井の三国かぁ」
エミ:「それにね、来年6月11日から27日には、観音堂のご本尊・如意輪観世音菩薩が、33年に一度のご開帳を迎えるんですって」
サキ:「33年に一度!? それは逃したら次はかなり先だね。いつか三国に行くなら、そのころを狙うのもありかも」
出典(公式):坂井市役所プレスリリース(PR TIMES)
3 漆器の下地に欠かせない「砥の粉」、全国唯一の製造元が生産終了 石川・輪島塗の工房は在庫残り6キロ
サキ:「乾漆の話題が出たところで、次のニュースはこの漆のにしようか。砥の粉って何?」
エミ:「粘板岩なんかの粉で、漆器の下地をつくるのに使うものよ。それを全国で唯一つくっていた京都・山科の進藤謙商店が、高齢化を理由に9月末で生産を終えたんですって」
サキ:「生産終わってたの!それに全国で1軒だけだったの!?」
エミ:「山科には昭和30〜40年代に30軒以上の製造所があったそうなんだけど、8年前から唯一の製造元になっていたみたい。近年は年間約50トンをつくっていたそうよ」
サキ:「1軒で全国を支えてたのか……。輪島の漆器はどうなっちゃうの?」
エミ:「輪島の組合は年に約400キロを仕入れていたから、県の工業試験場に代わりの材料を相談しているんですって。年間約20キロを使う塩安漆器工房では、在庫が残り6キロほどだそうよ」
サキ:「代わりの材料って簡単そうに聞こえるけど、粒の大きさとか硬さとか、下地に合う粉をそろえるのは材料的にもかなり難しいと思うよ」
エミ:「北國新聞によると28日から、金沢で『国際漆展・石川2026』も始まっていて、10の国と地域から集まった215点のうち、入賞65点が並んでいるんですって」
サキ:「漆の世界的なお祭りの日に、足もとの材料がピンチってニュースか。技術を支える道具や材料も、守る仕組みがあるといいね」
4 山形・鶴岡の致道博物館で、伊達政宗の直筆書状と豊臣秀吉朱印状の原本を確認 11月21日からの企画展で公開
サキ:「伊達政宗の直筆! どこで見つかったの?」
エミ:「山形県鶴岡市の致道博物館よ。三川町の洞泉寺の元住職、故・石原俊雄さんが集めていた約200点の史料が、今年5月にご遺族から寄贈されて、その中に戦国時代を中心とした書状14点が入っていたんですって」
サキ:「政宗の手紙には何が書いてあったの?」
エミ:「天正19年(1591)の閏正月21日付で、花押もあるの。一揆をあおった疑いをかけられて、秀吉に弁明するために京都へ向かう途中で書いたとされていて、『鷹場にでも京都にでも向かうつもりだ』って心境をつづっているそうよ」
サキ:「疑われてる最中なのに、鷹狩りの話を出すんだ。強がりなのか余裕なのか(笑)」
エミ:「秀吉の朱印状は同じ年の8月26日付で、奥羽にいた上杉景勝に、ねぎらいと引き揚げを指示する内容なんですって。どちらも写しは知られていたけど、原本が確認されたのは初めてだそうよ」
サキ:「で、いつから見られるの?」
エミ:「11月21日から来年1月31日まで、企画展『戦国武将の手紙を分析したせいで戦国時代が嫌い、でもそんなとこが好きっ♡ってなるはず展』で公開されるの」
サキ:「タイトル長っ! 致道博物館って、なんか堅そうな名前の博物館だけど、すごいユニークな展覧会名をつけるんだね。なんか行きたくなるかも」
出典:山形新聞/公式:致道博物館 企画展開催のお知らせ
信長、伊達政宗父に「来年は関東、その次はそっちだよ」と煽り散らかす 天正元年(1573年)12月28日 信長、伊達輝政(政宗の父)に書状を送る
5 佐賀・上峰町で戦時中に改葬された目達原古墳群を発掘 瓢箪塚から「御霊代」入りとみられる木箱
サキ:「これは、タイトルがなんか不思議なニュースだね。改葬された古墳? 古墳って引っ越しするの?」
エミ:「古墳時代中に改葬や追葬はあるけど、昭和になってから改葬って、あまり聞いたことないわね。佐賀県上峰町の目達原古墳群は、約85年前に旧陸軍の目達原飛行場をつくるために取り壊されたの。そのとき地域の声を受けて、主な5基が元の7分の1の大きさで復元されたんですって。どうやら、こういう古墳の改葬は全国でも数例しかないみたいね」
サキ:「7分の1のミニ古墳! ちょっと見てみたいかも」
エミ:「町は9月から、その改葬した墳丘の発掘を始めているの。『塚山』では、中身の圧力で内側から崩れたとみられる木箱が出て、金属片や土器片のようなものが入っていたそうよ」
サキ:「ほかにも?」
エミ:「隣の『瓢箪塚』からは原型を保った木箱が出てきて、元の古墳の近くの土と、清らかな土、それに朱がついた丸い石が入っていたんですって。町の教育委員会は『御霊代であろう』としているわ」
サキ:「魂の分もちゃんと引っ越させたってことか……。」
エミ:「調査は11月末までに終える予定で、出土品の展示も検討しているそうよ」
出典:サガテレビ
エミ:「というわけで、今日は5本。海の底のサイコロから、政宗の手紙まで、いろいろあったわね」
サキ:「元寇の船の人たちも、今の私たちも、休み時間にやることは一緒なんだね」
エミ:「そうね。……サキちゃん、今夜一局どう?」
サキ:「エミちゃん、麻雀知らないで言ってるでしょ。一局じゃ終わらないよ、やるなら半荘でしょ」


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