論語、富本銭、五百羅漢図 3件が新たに国宝に!国宝版早慶戦が始まるかも?!

2026年3月28日に、今年新しく国宝と重要文化財に指定される文化財(美術工芸品)が発表されました。

今年のラインナップは?

エミ:「サキちゃん、今年も来たわよ!文化庁の国宝・重要文化財の新指定!」

サキ:「おお、毎年恒例のやつだね! 去年は目無経とか伎楽面とかだったっけ。今年はどんな感じ?」

2025年度の新指定の国宝・重要文化財について感想戦

エミ:「今年の美術工芸部門(建造物は秋に発表)はね、国宝が3件、重要文化財が46件。しかも今年のラインナップ、歴史好きの心をえぐってくるものばっかりなのよ……!」

サキ:「えぐってくる(笑)。じゃあ早速教えて!」

国宝その①:早慶戦、国宝でも勃発!——慶應の『論語疏』

エミ:「まずは慶應義塾図書館が所蔵する『論語疏(ろんごそ)巻第六』」

サキ:「論語! あの孔子の? 慶應にそんなすごいものがあったんだ」

エミ:「論語の義疏(解説本)ね。これは皇侃(おうがん)っていう中国・南北朝時代の学者が書いた『論語義疏(ろんごぎそ)』の現存最古の写本で、6世紀頃——つまり著者の皇侃が生きていた時代からそう遠くない頃のものと考えられているわ」

サキ:「6世紀!? 遣隋使っていつだっけ?」

エミ:「推古天皇8年、つまり600年ね」

サキ:「飛鳥時代!」

エミ:「そう。しかもこの『論語義疏』、中国本土では散佚(さんいつ)——つまり失われてしまったの。国外にだけ写本が残った『佚存書(いつぞんしょ)』と呼ばれる存在なのよ」

サキ:「中国で失われた本が日本にだけ残ってたってこと?」

エミ:「そう! 遣隋使か遣唐使によって日本にもたらされたと考えられているの。平安時代前期までには藤原氏が持っていたことが「藤」という蔵書印でわかったのよ。江戸時代には官務壬生家(みぶけ)に伝わっていたんだけど、幕末から行方不明になってしまっていた。ところが2017年に慶應義塾が古書店で購入して研究したところ、最古の写本と判明、つまり再発見されたってわけ。2020年にはそこそこのニュースになったわ」

サキ:「そのニュースは全く記憶にないけど、2020年って最近だね」

エミ:「2025年に重要文化財になって、わずか1年で国宝に格上げるの」

サキ:「1年で重文から国宝! よっぽどすごいんだね」

エミ:「発掘品でなく伝世品としては現存世界最古だからね。そしてここからが面白いんだけど——実は早稲田大学にも、同じ皇侃グループの国宝があるの」

サキ:「えっ、早稲田にも!?」

エミ:「早稲田大学図書館が所蔵する『礼記子本疏義(らいきしほんそぎ)巻第五十九』。皇侃とその弟子の鄭灼(ていしゃく)が撰した儒教経典『礼記』の注釈書で、これも6世紀頃の写本。しかも巻尾に光明皇后の蔵書印とされる『内家私印』が押されているのよ」

サキ:「正倉院宝物でおなじみの光明皇后の蔵書印! 奈良時代には日本にあったってことだよね。……ということは、早稲田が『礼記』の国宝、慶應が『論語』の国宝——」

エミ:「そう。慶應のニュースリリースでも、早稲田の国宝に匹敵するものと評価された、と書いてあったわ」

サキ:「早慶戦がグラウンドじゃなくて図書館で起きてる! 6世紀の中国写本で国宝対決とか、スケールがすごすぎない?」

エミ:「どちらも中国では失われた貴重な注釈書が、海を渡って日本で守られてきたってこと。こういうのって日本の文化史そのものよね」

サキ:「早慶両校のOB・OGは、母校の国宝を見に行くところから始めてほしいね(笑)」

エミ:「両方とも公開の機会は少ないみたいだから、ぜひ並べて公開してほしいわね」

国宝その②:富本銭のふるさと——飛鳥池遺跡出土品

エミ:「次は考古資料。奈良県飛鳥池遺跡出土品が、一括で国宝になるの」

サキ:「飛鳥池遺跡……奈良県明日香村の遺跡……えーと、富本銭(ふほんせん)だっけ?」

エミ:「さすが関西出身のサキちゃん! そう、和同開珎よりも古い、日本最古の鋳造貨幣「富本銭」の鋳型や工具類がまるごと一括で国宝になるの」

サキ:「『日本最古の貨幣は和同開珎』だったのがいつの間にか富本銭になっているんだけど、どういう経緯なの?」

エミ:「その通り、もともとは708年(和銅元年)に作られた和同開珎が『皇朝十二銭』の第1番目、つまり日本最古の貨幣とされてきたわ。ところが奈良文化財研究所(当時は奈良国立文化財研究所)が1998年に飛鳥池遺跡から「富本(ふほん)」の二文字が刻まれた銅銭が出土して、1999年1月に、これが和同開珎よりも古い日本最古の貨 幣である可能性が高いと発 表したの。しかも富本銭だけじゃなくて、鋳型まで出てきてまさに富本銭を鋳造した工房だと判明。さらに日本で初めて原料から作った国産ガラス製品、金・銀・銅の金属製品、漆製品、施釉陶器まで出てきていて、7世紀後半の一大官営工房の実態がわかる、まさに国宝級の大発見がとうとう国宝になるのよ」

サキ:「和同開珎は『和銅』っていう年号が始まったくらいだから名前が明らかだけど、富本銭って日本書紀とかにも載っているの?」

エミ:「するどい!和同の名称は697年分から記載のある『続日本紀』に載っている。そしてその前の『日本書紀』には『富本銭』という言葉はない……」

サキ:「えっ、そうなの?」

エミ:「『皇朝十二銭』という長く定着してきた常識を覆して日本最古の鋳造貨幣として国宝になるには、発見から実に四半世紀以上も必要だったの」

サキ:「まぁ、たしかに簡単に日本最古が更新されちゃってもね」

エミ:「富本銭はまず一緒に出土した『丁亥年』つまり687年と書かれた木簡が出土している、これが一つ。そして文献では日本書紀の天武12年(687年)に『今より以降、必ず銅銭を用いよ。銀銭を用いることなかれ』との記載にある銅銭であると結び付けられて、日本最古の貨幣とされたの」

サキ:「ちょっと待って!日本書紀に今よりあとは銅銭で、今使っている銀銭を使うなってあるんでしょ。じゃあ日本最古の貨幣はこっちの『銀銭』なんじゃないの?」

エミ:「『君のような勘のいいガキは嫌いだよ』(鋼の錬金術師)って、うそうそ。サキちゃんのこと嫌いなわけないからね」

サキ:「うん、わかってるから、続けて」

エミ:「飛鳥池遺跡での富本銭の発見の発表は1999年1月のこと。これは冗談抜きで大ニュースで新聞の一面を飾ったわ。ところが、実は富本銭自体は江戸時代から存在は知られていたの」

サキ:「そうなの?」

エミ:「ただ、マネーとしての貨幣というよりも、おまじないのための道具だろうと見られていたの」

サキ:「特級呪物……」

エミ:「そうね。さらに、日本書紀に書いてある銅銭よりも古い『銀銭』も日本各地ですでに発掘されていたのよ」

サキ:「えっ?どういうこと?」

エミ:「日本書紀の『今より以降、必ず銅銭を用いよ。銀銭を用いることなかれ』(4月15日)のわずか3日後に、『銀用いること止むることなかれ』(4月18日)って書かれているの。銀銭を使うなと命令を出したけど、やっぱり銀銭の使用は継続しろってこと」

サキ:「うわっ。典型的な朝令暮改!」

エミ:「1999年1月に奈文研が最古の貨幣を発見の報道の翌月、京都国立博物館がおもしろい文章をHPに掲載していたわ。以下に引用するけど、総ルビであることからもわかるように子供向けの教材ね」

わたしたちの毎日の暮らしに「お金」は欠かせないものですよね。この貨幣(かへい)というものが日本でいったいいつから始まったのかを勉強してみましょう。
滋賀県(しがけん)の崇福寺跡(すうふくじあと:668年創建(そうけん))から出土した金・銀・銅の舎利容器(しゃりようき:お釈迦(しゃか)様の骨とされる粒を入れた容器・国宝)とともに「無文銀銭(むもんぎんせん)」と呼ばれる11枚のコインが出土しました。
じつはこの銀銭こそが日本でつくられた最も古いお金なのです。学校の教科書には、日本最初の貨幣は西暦708年につくられた「和同開珎(わどうかいほう(ちん))」である、と書いてあったとおもいます。けれども無文銀銭はそれより40年も前の天智(てんち)天皇の近江京(おうみきょう)時代(667~672)につかわれた銀貨なのです。(最近、新聞報道などで最古のお金として話題となった奈良県(ならけん)・飛鳥池遺跡(あすかいけいせき)出土の「富本銭(ふほんせん)」は西暦683年の天武(てんむ)天皇の時代の銅銭とされますので、それよりもこの無文銀銭の方が古いのです。)
https://www.kyohaku.go.jp/jp/learn/home/dictio/kouko/58mumon/

サキ:「一見、子ども向けの柔らかい言葉使いだけど、発表の翌月に出しているってことは『緊急で動画回してます』ってやつだね」

エミ:「奈文研も、この出土した銀銭のことは当然知っている。なにしろ、この無文銀銭を含む崇福寺塔心礎納置品(近江神宮蔵、京都国立博物館寄託)は、1952年にとっくに国宝に指定されているんだもの」

サキ:「大先輩の国宝である無文銀銭を差しおいて、最古とはなにごとか?って京博のプライドを感じる」

エミ:「京博には『のちの銅銭が鋳造(ちゅうぞう)してつくられた規格品(きかくひん)なのに対してこの無文銀銭は銀板をたたいて成形したものなのです』ともある。ここがポイントで、奈文研も発見の発表時に、無文銀銭はマネーとしての貨幣でなく、銀のインゴットであるという説明をしていたらしいわ。当時のニュースではそうなっていたけど、飛鳥池遺跡の調査報告書はなんと2021年になってようやく刊行しているから、ようやく確かめられた」

サキ:「調査報告書の刊行まで、だいぶ時間がかかってるね」

エミ:「そこでの『考察』でこのように説明してるわ。以下、引用ね」

一方、天武12年の詔で使用を禁止された銀銭については、遺跡から出土した無文銀銭が重要な鍵を握る。遺跡からは銀が54点出土しているが、その中に鏨で切断された無文銀銭とみられる銀片が8点存在する。天武12年4月18日、銀銭使用禁止の3日後に出された「銀用いること止むることなかれ」という不可解な詔の真意は、銀銭の使用は禁止するが、地金の銀の使用は継続せよと解釈することができ、銀銭と銀の不可分な関係を窺うことができる。地金貨幣、無文銀銭の性格をよく示すものといえよう。

サキ:「なるほど、無文銀銭はあくまで物々交換の素材だったという説明ね」

エミ:「今回の国宝答申の理由の説明では『特筆すべきは、富本銭とその生産を示す資料群で、鋳型の溶着や鋳張りが残る未製品、各種工具の存在は、当地での造幣や製作技術を鮮明に伝える。これら一連の資料は、富本銭こそが和同開珎よりもさかのぼる我が国最古の鋳造貨幣であること及び『日本書紀』に記された貨幣に関する詔の内容を裏付ける』って書いてある。つまり『最古の貨幣』とは言ってなく『最古の鋳造貨幣』として国宝になるってわけ」

サキ:「ということは、『日本最古の貨幣』の座は、富本銭と無文銀銭なのかははっきりしていないんだ。微妙な差だけど大きい差だね。国宝早慶戦に続いて、ここでも奈良と京都(寄託)の国宝対決になっちゃうかも」

エミ:「こういう学術バトルは大歓迎よ」

国宝その③:東福寺の五百羅漢図——明兆50幅の大作

エミ:「国宝の3つ目は、この間、一緒にいった京都・東福寺の『五百羅漢図(ごひゃくらかんず)』よ。東福寺の画僧・明兆(みょうちょう)が描いた47幅の大作よ」

サキ:「紅葉の東福寺きれいだったね。その時は見られなかったけど、47幅とはものすごい量だね……」

エミ:「もともと50幅のセットで、日本の南北朝時代の至徳3年(1386年)に完成したの。うち45幅と江戸時代初期に写された2幅が東福寺に伝わっているわ。15世紀以前の作でまとまって現存する五百羅漢図は、世界でたった3件しか知られていなくて、その中でも完成年と作者が明らかで、制作された場所にそのまま伝わっているのは本作だけ」

サキ:「作られた場所にずっとある、っていうのが地味にすごいよね。600年以上同じお寺に!」

エミ:「日本絵画史上の記念碑的存在って評価されているわ。ちなみに『絵本』と呼ばれる50幅の下絵が完存しているので、そちらも附(つけたり)として一体で保護されるのよ。2023年に東博と京博で行われた東福寺展ではこの47幅+根津美術館の2幅の計49幅が出展されていたわ」

サキ:「49幅?あと一つは?」

エミ:「ロシアのエルミタージュ美術館が所蔵していることが東福寺展に伴う調査で判明したの。でも東福寺展では来日しなかった…」

サキ:「2022年からロシアのウクライナ侵略が始まっているもんね…」

エミ:「そうね。早くロシアがウクライナへの侵略をやめて戦争が終わってほしいわ」

サキ「そしていつか50幅揃って公開される日が訪れるように…」

エミ「…国宝3件の説明はこれで終了。重要文化財も盛りだくさんだから、次の回に話しましょう」

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