織田信長が最初に造ったお城・小牧山城跡で小牧市が無許可で大手道に植樹 信長ほか激おこ!

織田信長が初めて自分で築城した小牧山城(愛知県小牧市)で、小牧市が無許可で植樹をした「事件」が発生しました。

 戦国武将・織田信長が安土城などに先駆けて初めて築いた小牧山城があった愛知県小牧市の「小牧山」(国史跡)で、市の公園管理部門が、文化財保護法に基づく現状変更の許可を受けずに桜などの苗木70本を植樹していたことが、読売新聞の取材で分かった。当時の石垣が土中から見つかった大手道に近く、文化庁は市の対応に問題がないか、県教育委員会を通じて調査を始めた。

 市によると、市みどり公園課が今年2~3月、山頂へ向かう大手道周辺のソメイヨシノの老木など約250本を倒木の恐れがあるなどとして伐採し、その後、ヤマザクラやイロハモミジなどの苗木を70本植えた。大手道には信長時代の道筋が残っており、近年の発掘調査では山頂部の中心施設や大手道沿いで、当時の石垣などが発見されている。

小牧山は国の指定史跡で、遺構に影響がある可能性のある工事には、国や市教委への申請・許可が必要だそうです。
ところが、公園を管理する市みどり公園課が、古い木の伐採については市教委の許可をとったものの、地面を掘り返すことになり影響が大きいはずの植樹は申請せずに工事をしてしまったようです。

市も、市教委も「悪くありませーん」と大胆にも取材に答えているようですが、文化庁は「そんなわけ、ねーだろ!資料だせや」と怒り気味っぽいです。

文化庁は「植樹は(影響を判断するため)作業の詳細や図面などを示して許可を申請するのが一般的だ」と指摘。伐採から植樹の一連の作業について、県教委を通じて経緯を示す書類の提出を求めるなどの調査を始めた。

コンテンツ

信長時代の遺構が発見されている大手道沿い

記事には、千田嘉博奈良大教授がコメントをよせて市を批判しています。

千田嘉博・奈良大教授(城郭考古学)は、植樹が行われた大手道は信長の歴史を解明する上で重要な場所だと指摘し、「大きくなる木の場合、まだ調査されていない遺構に影響を与える懸念が大きい。現状変更の手続きを踏まずに行ってよいケースではないはずだ」と話している。

植樹した場所は、2017年にも信長が石垣と岩盤を削って石の壁を造っていたことが発掘調査で判明してニュースになった大手道沿いという重要な場所。

報道を受けて、千田教授は連続ツイートして、さらに問題点を指摘しています。

市「鍬で30センチくらい掘ったけど、軽微だから許可いらない」

CBCテレビも報道。作業の様子の写真を公開。
もしも柱の穴のあとなどあったとしても消えったことでしょう。

「人の手で深さだいたい30センチ程度(掘った)軽微な変更の中で対応した」(小牧市 都市建設部 小川尋典次長)

読売新聞

国史跡・小牧山で小牧市が無許可で植樹をした問題で、同市が県教育委員会に、植樹した際に最大で深さ約30センチ掘削したと報告していることがわかった。県教委は「地面を掘り返す植樹は、許可不要の軽微な変更とは考えにくい」として、無許可とした理由と詳しい経緯を報告するよう市に要請している。

中日新聞

 同課は二〇一三年三月に小牧山の樹木整備に関わる基本計画を策定し、一四年二月には外部の有識者や市教委の文化財担当者が加わった整備の専門委員会を開き、伐採や植樹の概要をまとめた。専門委メンバーではないが、専門委員会には文化庁記念物課の整備部門の職員も出席し、整備概要を把握していた。

 文化庁記念物課の史跡部門担当者は「県教委を通じて植栽の場所などを確認しており、状況を見て影響の有無を判断する」と話す。市教委の担当者は「文化庁の判断を待ち、対応したい」と話す。

市はあくまで許可いらないとつっぱねるようです。
上のツイートをみると、市長さんは東京出張中のようです。
信長の夢を売りにしている市長さんはどのように判断するのでしょうか。その足でまず文化庁に行って誤ってくるのが問題解決への一番はやい道(もはや抜け道はなし)だと思われますが。

信長様の許可はとったのか?

あとはやっぱり一言ツッコミをいれたくなるこのニュース

続日本100名城に選ばれた小牧山城

2017年の続日本100名城に選ばれたばかり小牧山。信長の城、家康の城で売るのはやめて、桜の公園で売り出すつもりでしょうか。(それで史跡を破壊していいかは別問題)

小牧山は標高約86メートルの独立丘陵。信長が1563年、山全体と麓に城と城下町を築いた。67年、信長が岐阜城(岐阜市)に移り、廃城に。84年の小牧・長久手の戦いでは徳川家康が本陣を置き、羽柴(豊臣)秀吉と対決した。城跡は1927年、国史跡となり、昨年、日本城郭協会の「続日本100名城」の一つに選ばれた。(読売新聞より)

戦国武将ゆかりの城が多い愛知県。国宝の犬山城や天守閣を木造復元する計画の名古屋城がよく知られるが、名古屋市中心部から車で30分ほどの小牧山城(同県小牧市)が最近は注目されている。近世城郭の先駆けと分かってきたからだ。周囲には航空宇宙関連の企業が集まり外国人労働者も多く、海外からの訪問者もじわり増えている。

小牧山は織田信長が岐阜に移る前に居城とし、1584年の小牧・長久手の戦いでは徳川家康が陣を築いた。歴史の舞台となったが、城跡としての知名度は決して高くはなかった。

その評価はこの十数年で大きく変わった。きっかけは2004年に始まった小牧山城の発掘調査だ。近世城郭の特徴である石垣の存在が分かり、「とりでにすぎなかった」という見方を一変させた。発掘調査の際に開く現地説明会には昨年、5百人が集まった。

有名な信長の城でもこれですから、全国の無名の史跡では多くの破壊が自治体によって行われているのかもしれませんね。

↑報道を受けて現地の方が撮影

ブログで現地を写真でまとめる方も↓

今回の件は、文化財保護法に基づく現状変更の許可を受けずに、小牧市みどり公園課が植樹を行ったということで、遺構破壊として問題視されております。
近年、小牧山城は、新発見により定説を塗り変え全国からも注目を集めておりましたが、今回の件で汚点を残してしまいました。
途中にある整備中の写真も、正規の申請を経て行っている工事だとは思いますが、こういう事を見てしまうと、これも整備という破壊行為なのではと思ってしまいます。誠に残念でなりません。

無許可植樹が悪くないと市が主張している限り、ほかの正規の整備についても疑いの目をもたれてもしかたない悲しい状況が続いております。
長年かけて築いた鉄壁の城でも、火がつけば落城するのは簡単です。豊臣大坂城、江戸城、名古屋城、しかり。

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