東京国立博物館150年記念の「未来の国宝」 見返り美人や上村松園「焔」は話題も 超絶技巧過ぎて伝わらない8月の未来の国宝

今年創立150周年の東京国立博物館では、10月からすべての国宝(89件)を一挙公開する「国宝東京国立博物館のすべて」が開かれる。そのため、今年度はその特別展にあわせて、東博が所蔵する国宝は、考古と法隆寺宝物をのぞき、ほとんど公開されない。
本館二階には「国宝室」という専用の部屋があるにも関わらず。

そこで、この国宝室を利用して、「未来の国宝」という面白い企画をしている。国宝どころか、重要文化財にもなっていないけど、いつか国宝になるかもしれないというコンセプトだ。4月から来年3月まで計12の未指定の作品が国宝室に展示される。

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見返り美人図

第1弾は、菱川師宣の「見返り美人」。超有名な絵なだけに、まだ重要文化財にも指定されていないことに驚いた人も多いのでは。私もその1人だった。

Colbaseより

「なぜ?」と思ったが、実物を見に行って、合点がいった。「人」を描いていないからだ。どんなにすばらしい技術の絵であっても、人の心が表現されていないものは、ファインアートとは認定されない。(それがいいか悪いかは別にして)
そして、この絵は、まさに人を描くのでなく、当世に流行していた帯の結び方と髪形を記録・発信する、いわば雑誌「セブンティーン」などのストリートスナップと同じ意図で描かれたものだからだった。
もちろん、戦後、男性用の便器をただひっくりかえしただけのデュシャンの「泉」が現代アートの転換点となり、クラフト(工芸)どころか、既製品(レディメード)ですら、アートに認定されている昨今である。この「見返り美人」が重要文化財、国宝とステップアップしていく日がわりと近くても驚きもしない。そういう点で、「未来の国宝」にふさわしい作品だった。

上村松園「焔」

2つ目は、上村松園「焔(ほのお)」大正7年(1918)だった。これは、見返り美人と比べると、同じような構図ながら、こちらは人間の情念しか描いていない。まさしく名作中の名作だ。上村松園(1875-1949)は大正~昭和時代の女性画家で、「西の松園、東の清方」と呼ばれたように、人気を二分する作家だった。ちなみに東の清方は、先日まで国立近代美術館と京都近代美術館で行われた「鏑木清方」展の清方だ。

Colbaseより

見返り美人と比べればわかるように、アートとしてどちらがアートかといえば、間違いなくこの「焔」だろう。
近代絵画での国宝指定は、どうしても黒田清輝(1866~1924)が基準になるだろう。いくつか重文になっているが、まだ国宝はない。現代の感覚なら、下の黒田清輝の代表作で東博蔵の「湖畔」よりも、上村松園の「焔」のほうが、先に国宝で良いと感じる人のほうが多いのではないだろうか。まずは焔の重文指定をぜひとも願いいたい。

黒田清輝の代表作「湖畔」(東京国立博物館蔵)Colbaseより

春日宮曼荼羅(鎌倉時代)

ここまで2作品で「この企画すごい」と震えたが、3つ目はちょっと印象が薄め。
春日宮曼荼羅(鎌倉時代・13世紀)は、奈良の春日大社の境内を描いた絵。この手の有名な寺社の境内を鳥瞰で描いた絵は多いので、とくに響くところがなかった。人は描かれておらず、かわりに鹿がいた。「奈良公園って鎌倉時代もたくさん鹿がいたんだ」というのが、「ヘぇ」という程度。これが国宝になる未来がいまいち想像できない。

Colbaseより

蝦蟇鉄拐図 雪村

だいたい一か月ごとで変わる4番目(7月)は蝦蟇鉄拐図がまてっかいず 雪村周継筆(室町時代・16世紀)だった。雪村は、国宝の数No1の雪舟に私淑(勝手にエア弟子入り)した生年不詳の画家。

Colbaseより

見たら、面白い!ってなりそうだが、7月は東博に行かなかったので、残念ながら見ていない。7月20~24日あたりに行こうと思っていたが、この5日間が150周年記念で入館無料となったので、年パスがあるので、「わざわざ混んでいるときに」と逆に行くのを辞めたのだった。ツイッターで見るに、やっぱり見ると面白いようである。

源氏物語図屛風 土佐光起

そして8月は、源氏物語図屛風げんじものがたりずびょうぶ初音・若菜上はつね・わかなじょう) 土佐光起筆(江戸時代・17世紀)なのだが、驚くべきことに、ここに来て、「未来の国宝」+「土佐光起」でのツイートが(東博の公式をのぞき)ゼロなのだ。「土佐光起」で検索するとようやく下の1件だけ。東博の目玉展示で「1ツイート」なんていうことがありうるだろうか? でもどうやらこの1ツイートだけである。(撮影可なのに。2022年8月14日現在)

Colbaseより

Colbaseの作品紹介では、「なんと御簾越しに覗きみるという設定で、緑の極細線が無数に引かれる。室内に繰り広げられる雅な世界」と「なんと」という言葉をなんと使っているくらい、おそらく担当者にとっては推しなのだろう。続く説明もアツい。

「見ているこちらの目が霞んでいるのかな、と思わず勘違いしそうになりますが、そうではありません。近づいて見てください。一面に、非常に細い緑色の横線がひかれています。これは、御簾(みす)、つまりすだれ越しに室内を見ているという設定なのです。屏風のパネル一枚(一扇)と御簾の枠がぴったり重なるように描かれていて、見ている私たちも、御簾越しに「源氏物語」の雅な世界をのぞいているような感覚になります。まるで目の前にある御簾のすぐ向こうで王朝びとのドラマが繰り広げられているような、臨場感たっぷりの作品です」

そう、ギミックにあふれた作品なのだ。
ただ、ぱっと見ると、江戸時代とは思えない暗さ(平安時代の仏画かというくらい)で、映えません。ちゃんと説明を見れば、ギミックについて書かれているが、多くの人はいちいち説明を見ないので、「あっ、なんか暗い絵だ」で、ちらっと見て、スマホで撮影もせずに、素通りする人が多いようにみえる。

超絶技巧過ぎて伝わらない

簾(すだれ)越しにのぞき見ているかのよう、という感覚を、表現したわけだから、これはなかなか発想が面白い。
作者の土佐光起(1617―1691)は、江戸時代前期のやまと絵の作家で、江戸時代の宮廷画家土佐派を再興した人物。やまと絵という平安朝の世界を再現しようとした「江戸版のルネサンス画家」だったわけだ。

―江戸時代のわたし(土佐光起)が、平安時代の様子をリアルに描いてもどうしても嘘になる、それならと、「見ているわたし」という視点で描こう、という「見る」を題材にしていた、のかもしれない。今話題のゲルハルト・リヒターと似たような考えだったかもしれない。

簾の視覚的な効果をどうやって絵に落とし込むか、ということで思い出したのが、2020年に京都国立博物館の「皇室の名宝」展で、展示されて少し話題となった狩野常信「糸桜図屏風」だ。屏風に本物のすだれをはめ込んで透けて見える先に桜が見えるように仕上げた、現代アート的な作品だ。

現代なら当たり前の表現かもしれないが、江戸時代前期の作品。作者の狩野常信(1636-1713)は狩野探幽の甥っ子。狩野派というと、御用絵師で保守的な画風というイメージが強いが、戦国末から江戸前期にかけて、平和とともに訪れた、荒々しさと新しさが同居した時代ならではのアートシーンのひとつ(歌舞伎や人形浄瑠璃などと同様に)だったのだろう。

狩野常信も土佐光起もかなり近い世代。お互い生活のために御用絵師(宮廷か幕府か)になることにおいて、同じ道を歩んだ。2人が、御簾の表現に果敢に取り組んだのも偶然ではないかもしれない。
土佐光起はもうちょっと話題になってもいいのでは? みなさん、夏休みに東博へ行ったら、ぜひ#土佐光起でツイートを!(笑)

 

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