【10月5日(月)の朝 丸の内のカフェ 出社前】
(窓際の席。エミがタブレットを、サキがカフェオレを抱えている。サキはまだ半分寝ている)
サキ:「……月曜やだぁ」
エミ:「サキちゃん、これ見て。月曜の朝にふさわしくないくらい、いいニュースが並んでるの」
サキ:「ニュース? 事件とか?」
エミ:「文化財よ。今日はね、『長く眠っていたものが、表に出てきた』話が4つも揃ってるの」
サキ:「4つも? 偶然?」
エミ:「偶然よ。でも、並べて読むと妙に響き合うのよ。順番にいくわね」
サキ:「(あ、スイッチ入った……カフェオレ飲んで備えよ)」
第1章:武藤山治の蔵から、国宝2件が大阪へ
【ニュース① 大阪市立美術館】
エミ:「まず大阪。明治から昭和にかけて鐘淵紡績を育てた実業家、武藤山治って知ってる?」
サキ:「武藤さん、知らない。カネボウって化粧品の会社?」
エミ:「そう、カネボウはもともとは繊維の会社ね。その武藤山治が集めたコレクションのうち、国宝2件と重要文化財4件、合計6件がお孫さんによって、大阪市立美術館に寄贈されたの」
サキ:「国宝2つも。スケールが並みの家の相続じゃないんだけど」
エミ:「しかもその国宝の片方が、与謝蕪村の《夜色楼台図》」
サキ:「ぶそん……俳句の人?」
エミ:「俳人で、画家でもあるの。この絵は最晩年の作で、蕪村画の最高峰とされているのよ。雪の降る夜の町並みを描いた絵」
サキ:「雪の夜景かぁ。今から寒いの想像しちゃった」
エミ:「もう一件の国宝は、平安時代の華やかな装飾経《法華経(久能寺経)》。久能寺経は、静岡県静岡市の古いお寺なんだけど、あちこちに分かれて伝わっているお経でね。武藤家にあったのは4巻なの」
サキ:「分かれて伝わってる?」
エミ:「もとは一揃いだったものが、のちに散らばったの。だから所蔵先が複数あるのよ」
サキ:「へぇ〜。ばらばらになった本の巻が、あちこちで国宝になってるんだ」
エミ:「ほかにも重要文化財に、確認できる鑑真の画像として最古の《鑑真和上像》が入っているの」
サキ:「最古って、すごくない? 日本に戒律を伝えた人でしょ?」
エミ:「あら、よく知ってるわね」
サキ:「前にエミちゃんが言ってたもん。覚えてるもん」
エミ:「(ちょっと嬉しそう)……それで、これらは来年の4月24日から6月20日まで、生誕160周年を記念した特別展《復活!武藤山治コレクション》で公開される予定よ」
サキ:「来年の春かぁ。スケジュールに書いとこ。……ねぇ、『復活』ってことは、一回消えてたの?」
エミ:「消えてたわけじゃなくて、実は同じコレクションの《金光明経巻第二》が昨年、同館初の国宝になっていたたのよ。その続きを見せる、という意味合いだと思うわ」
サキ:「あー、続編ってことか」
エミのメモ📝
武藤山治(1867〜1934)は鐘淵紡績の経営で知られる実業家です。特別展の展示は「夜色楼台図」以外は期間限定出品とのことなので、観に行く方は公式サイトで出品期間を確認してね。
第2章:厚さ1ミリ、2900年前のイヤリング
【ニュース② 埼玉・真福寺貝塚】
エミ:「次は埼玉。さいたま市の国指定史跡・真福寺貝塚で、縄文時代晩期、約2900年前の耳飾りが、ほぼ完全な形で出土したの」
サキ:「耳飾り! 土でできてるんだよね?」
エミ:「そう、土製よ。直径は最大8センチ。いちばん薄いところは厚さ1ミリ、重さは35グラム。精巧な透かし彫りまで施されてるの」
サキ:「1ミリ!? 土器って分厚いイメージなんだけど」
エミ:「そこが驚きどころなのよ。完全な形で見つかった耳飾りは、国内に5例ほどしかないの。そのうち2例は国の重要文化財」
サキ:「5例って少なすぎない? 壊れやすいから?」
サキ:「……あ、ちょっと待って。これ理系的に気になる」
エミ:「どうぞ」
サキ:「(個人的な推測だけど)粘土って、乾かしたり焼いたりすると縮むじゃん。薄いと、場所による縮み方の差でひびが入りやすいはず。それで透かし彫りまでして、厚さ1ミリ……焼き上がるまでに割れなかったのが、まず奇跡じゃない?」
エミ:「……サキちゃん、それ、私が言おうとしてた『なぜ完形が少ないのか』の説明よりいいわ」
サキ:「えっ、そう?」
エミ:「作った側も大変だったでしょうし、2900年のあいだ土の中で割れずに残ったのも大変なこと。両方の意味で『奇跡』なのよ」
サキ:「縄文の人、おしゃれに本気出しすぎでしょ」
エミ:「しかもね、真福寺貝塚は、発掘の歴史の節目でもあるの。1926年10月に日本初の学術的な泥炭層調査が始まって、今年でちょうど100年。その年に出たのよ」
サキ:「うわ、狙ったみたいなタイミング」

重要文化財 みみずく土偶 縄文時代(後期)・前2000~前1000年 埼玉県さいたま市 真福寺貝塚出土 土製 高20.5 重量639g 東京国立博物館蔵 ColBaseより
エミ:「ここはが出た貝塚でもあるわ。東京国立博物館にあるあの土偶は1957年に重要文化財になってるの。今回の耳飾りが、その次に続くのかどうか——今後の評価が注目されるところね」
サキ:「みみずく土偶の次……。国宝のおとなりに並ぶ未来、あるかなぁ」
エミのメモ📝
報道によると、出土は7月23日、取り出しは7月30日でした。装飾はクルミの輪切りのようなデザインで、縄文晩期に特徴的な三叉文などの透かし彫りが見られるそうです。なお、現時点では文化財指定はされていません。「重文クラス」という声はあくまで評価の見通しです。
第3章:行方不明だった翁面、約100年ぶりに舞台へ
【ニュース③ 山形・米沢】
エミ:「三つ目は、一番ドラマチックかもしれない。山形県米沢市からのニュース。行方がわからなくなっていた上杉家伝来の能面、翁面2面が京都で見つかったの」
サキ:「山形の能面が京都で? どういう経緯なの?」
エミ:「京都の古美術商から、能楽の金剛流の宗家に話が行って、それが米沢金剛会を通じて米沢市に伝わったの。米沢市が今年度、購入したのよ」
サキ:「古美術商さんがわかる人のところに話を持っていったんだ」
エミ:「そこがいい話なのよ。明治以降に散逸していたもので、2021年の企画展の図録には、1929年に撮影された写真だけが載っていたの。現物の所在は不明のまま」
サキ:「写真だけ残ってて、本物はどこか分からなかったんだ。……それずっと探してた人がいたんだね」
エミ:「(頷いて)それが戻ってきた。上杉家の能面を市が収蔵するのはこれが初めてよ」
サキ:「おおー。それで? 飾るの?」
エミ:「飾るだけじゃないのよ。11月3日、博物館が入っている『伝国の杜』で、人間国宝でもある金剛流宗家が、この面を使って祝いの能『翁』を演じるの」
サキ:「面を実際に使うの!? 博物館の収蔵品なのに?」
エミ:「そう。市が持つ文化財が舞台で使われるのも、これが初めてなんですって」
サキ:「……なんかわかる。能面って、顔に付けて演じてもらって、初めて生きかえるんだね」
エミ:「ふふ。見つかった面が、本来の仕事に戻るのよ。——面目躍如、ね」
サキ:「エミちゃん、朝からそれはずるいよぉ。……ちょっと笑っちゃったけど」
エミ:「あっ、無意識だった」
サキ:「どうりでうまい冗談だと思った!」
エミのメモ📝
見つかったのは翁面2面に加えて、唐草蒔絵の翁面箱、上杉家の所蔵とわかる貼り札が残った外箱が一式、とのことです。能の『翁』は、新年や祝いの場で演じられる特別な演目として知られています。
・上杉博物館開 館25周年記念自主事業 上杉家旧蔵の翁面で寿ぐ能・狂言
第4章:海の底の「3隻目」を、3つの国が一緒に調べる
【ニュース④ 長崎・鷹島海底遺跡】
エミ:「四つ目は海の中。長崎県松浦市の鷹島海底遺跡よ。1281年の弘安の役、いわゆる元寇の2度目で沈んだ元の船が眠っているところ」
サキ:「元寇の船って、本当に海の底に残ってるんだ」
エミ:「そう。2024年に確認された3隻目の沈没船のまだ手を付けていなかった西側の調査が10月2日から始まったの。期間は約1カ月」
サキ:「3隻目なんだ。ってことは、1隻目と2隻目もあるんだね」
エミ:「そうね。場所は島の東南部の沖、約150メートル。水深は約18メートルよ。これまでに矢の一部や墨書木板が見つかっているの」
サキ:「墨で書いた木の板!? 何て書いてあったんだろ……」
エミ:「そこは解読を待ちたいところね。それで、今回の見どころは参加メンバーなの。モンゴルの国立機関が初参加。さらに韓国の国立海洋遺産研究所も、調査船で途中から加わる予定よ」
サキ:「待って。かつて戦った側の子孫の国々が、いま日本と一緒に、同じ沈没船を調べてるってこと?」
エミ:「……そうなるわね」
サキ:「なんか、ちょっとぐっと来た。同じ船をみんなで丁寧に掘ってるんだよね。歴史が歴史となることで、かつて戦った民族同士が手を取り合って協力する」
エミ:「サキちゃん、今日いちばんいい感想よ」
エミのメモ📝
調査は国学院大学の池田榮史特別招聘教授が主導し、科研費の採択で事業費は約2千万円に倍増したと報じられています。韓国チームの参加は10月10日〜20日の予定です。船の大きさや遺物の残り具合の解明が期待されています。
第5章:あす開幕、京博「源氏物語」展
【ニュース⑤ 京都国立博物館】
エミ:「最後は、明日の話。京都国立博物館の特別展《源氏物語 王朝のかがやき》があす10月6日に開幕するわ。会期は11月29日まで」
サキ:「源氏物語! 私も高校生の頃、漫画の『あさきゆめみし』読んだなぁ」
エミ:「国宝《源氏物語絵巻》をはじめ、藤原定家が校訂した写本など、過去最大規模の約250件が並ぶのよ。来年巡回する東博の展示分も含めた数字だけれど」
サキ:「250件! 源氏物語って全部で54帖だよね。その5倍!」
エミ:「54帖知ってるなんて、結構、詳しいわね。しかも京博での源氏物語展は約50年ぶりなの」
サキ:「50年ぶり? 半世紀前の展示知っている人のほうが少なそう」
エミ:「前期は11月1日まで、後期は11月3日から。それに、徳川美術館の国宝絵巻《宿木三》は京都会場のみで、11月17日から29日の展示よ」
サキ:「うわ、見たい絵巻の展示期間が違うと、日程調整がパズルじゃん」
エミ:「そこがまた楽しいのよ」
エミのメモ📝
展覧会の展示替え情報は変更される場合があります。出かける前に、必ず京都国立博物館の公式サイトで最新の展示スケジュールを確認してください。
締め:眠っていたものは、誰かが捨てなかったもの
【出社直前 カフェの出口】
(会計を済ませて、二人は並んで歩き出す)
サキ:「今日のニュース、本当に全部つながってたね?」
エミ:「でしょう」
サキ:「蔵に入ってた国宝でしょ、土の中の耳飾りでしょ、行方不明だった面でしょ、海の底の船でしょ。場所はバラバラだけど、全部『誰かが捨てなかったから、いま出てきた』んだよね」
エミ:「うんうん」
サキ:「武藤さんは集めて、お孫さんは手放さずに寄贈して。古美術商さんは、わかる人に話を持っていった。調査の人たちは、100年かけて掘り続けて、海に潜り続けて。誰かが一回でも『もういいや』ってしてたら、今日のニュースはなかったじゃん」
エミ:「(目を潤ませて)……サキちゃん」
サキ:「え、また泣くの? まだ月曜の朝だよ」
エミ:「泣いてないわ。……ちょっと、朝日が眩しいだけ」
サキ:「ここ屋内だよ」
エミ:「いいの。……行きましょう。遅刻するわよ」


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