元暦2年(1185年)3月24日 源義経、壇ノ浦で平家を破る。平家滅亡、安徳天皇入水

元暦2年3月24日(1185年4月25日) 源義経、壇ノ浦で平家を破る。安徳天皇(8歳)入水。平清盛の四男・平知盛(34歳)、清盛の弟・教盛(58歳)、清盛の異母弟・経盛(62歳)、清盛の妻・時子(60歳)ら死没者多数で、平家滅亡。※元暦2年8月に改元されて文治元年。

【3月のある平日 大手町のオフィス近くの人気カフェ ランチに並ぶ二人】

サキ:「列長いねぇ…エミちゃん、今日って何の日か知ってる?」

エミ:「ふふ、聞いてほしかった。今日は3月24日——元暦2年3月24日、西暦だと1185年4月25日。壇ノ浦の戦いの日よ」

サキ:「壇ノ浦! あの平家が滅びた海戦だよね?」

エミ:「そう。源義経が平家を破り、安徳天皇が海に沈んだ日。平家物語のクライマックス中のクライマックスよ」

サキ:「……なんか、すごい日にちょうど当たったね」

エミ:「でしょう? 今日はこの話をじっくりしたいの。覚悟してね」

サキ:「(目がキラキラしてる……長くなるやつだ)」

第1章 追い詰められた平家——屋島から彦島へ

エミ:「まず前提として、壇ノ浦の戦いは突然始まったわけじゃないの。その約1ヶ月前、元暦2年の2月に瀬戸内海東部での屋島の戦い(香川県高松市)があったでしょう?」

サキ:「屋島って、義経が嵐の中を少数で渡海して奇襲したやつだよね」

エミ:「そう。あの強襲で平家は、強力な山城でもある屋島を放棄して、瀬戸内海をさらに西へ逃れたの。最終的に拠点にしたのが、長門国の彦島——今の下関市にある島よ」

サキ:「関門海峡のところだ」

エミ:「ここがポイントなんだけど、平家はただ逃げたんじゃないわ。『吾妻鏡』には、平家が”九国の官兵を相具し、門司関を固め”たって書かれているの。つまり九州の兵を集めて、関門海峡の制海権を押さえようとしたのよ」

サキ:「へぇ〜! 奇襲に驚いて無計画で逃走したんじゃないんだ」

エミ:「ええ、義経の奇襲よりも、もっと重大な危機が平家にはあったの。すでに義経の兄・源範頼が周防(山口県東南)から関門海峡のある長門(山口県西部)、さらに海を越えて九州の豊後(大分県)にかけて軍を展開して、平家の退路を塞ごうとしていたの」

サキ:「前からは義経、後ろからは範頼……完全に挟み撃ちじゃん」

エミ:「そうなの。平家にとっては戦略的に包囲されることが一番の危機。だから戦術として屋島で徹底抗戦しなかったことは”正解”ともいえるわね。一方で、義経にとっては、この包囲が有効なうちに決戦を仕掛ける必要があった。でも——」

サキ:「でも?」

エミ:「海戦には水軍が必要でしょう? 義経も梶原景時たちも、屋島の戦いの後、水軍を編成するのに約1ヶ月かかったの」

サキ:「あ、そっか。義経って騎馬戦のイメージ強いけど、海の戦いだもんね」

エミ

義経軍の水軍編成はかなり大規模なものでした。もともと摂津で整えた百数十艘に加え、伊予の河野氏の水軍30艘、阿波・讃岐の水軍、そして熊野別当・湛増たんぞうの水軍200艘が参加。最終的に周防国の在庁官人・船所五郎正利ふなどころのごろうまさとしの兵船数十艘も合流し、総勢は800余艘に達しました。一方の平家側は500余艘。数の上でも源氏が上回る態勢でした。

第2章 元暦2年3月24日の朝——潮流が決めた勝敗

【ようやく座れたカフェで注文を済まし地図アプリを立ち上げる二人】

エミ:「さて、いよいよ決戦の日よ。サキちゃん、関門海峡ってどのくらい狭いか知ってる?」

サキ:「うーん……結構狭いイメージはあるけど」

エミ:「一番狭いところは早鞆はやともの瀬戸って呼ばれていて、幅はわずか約650メートル。ところが水深は最大47メートルで、潮の流れがものすごく速いの」

サキ:「650メートル!? 東京タワーの高さが333メートルだから、その2倍くらいしかないんだ……」

エミ:「いい比較ね、さすがプログラマー。室町時代に海峡を渡った連歌師の宗祇は”塩のゆきかひ矢のごとくして”って記しているわ。潮の満ち引きが矢のように速い、と」

サキ:「矢のように……この海峡で800艘対500艘がぶつかるって、すごい光景だよね」

エミ:「3月23日までに両軍は集結したの。源氏は壇ノ浦の奥津——今の下関市満珠島のあたりに展開。平家は彦島を出て、全軍を三手に分けたわ」

サキ:「三手?」

エミ:「第一陣が山鹿秀遠やまがひでとお、第二陣が松浦党まつらとうの水軍、そして第三陣が平家一門の本隊。田ノ浦に集結したの」

サキ:「山鹿とか松浦って、平家の直系じゃないよね?」

エミ:「いいところに気づくわね。九州の在地武士団よ。彼らが前衛を務めたの。そして3月24日の朝、ついに両軍が壇ノ浦の海上で激突する——」

サキ:「朝から始まったんだ」

エミ:「ここからが重要なんだけど、勝敗を分けた最大の要因は”潮流”だったの。関門海峡の潮の流れは1日のうちに何度も方向が変わるの。義経はこの潮流の変化を巧みに利用したと伝えられているわ」

サキ:「あー、流体力学的にも理にかなってるよね。追い潮と向かい潮じゃ、船の機動力がまったく違うもん。とは言え、流れが変わることはどっちにとっても有利と不利が入れ替わるよね。本当の勝因はなんだろう?」

エミ:「義経は独特の奇策も使ったとされているわね、もっともそれは後世の創作というのがほとんどなのだけど。結局のところ源氏800対平家500(実数はともかく)という戦力差の違いだろうね。源氏のほとんどは戦闘員だけど、平家には安徳天皇はじめ女性たちら非戦闘員も相当数いたから、数の面では義経が倍で押したってことね」

サキ:「そうなんだよね。結局は数と物理法則を押さえたほうが勝つということが多いよね」

エミ:「戦いは朝から始まって、夕刻までには源氏の完全な勝利に終わったの」

サキ:「半日で決着がついたんだ……」

サキ

壇ノ浦の戦いにおける潮流の影響については、古来さまざまに語られてきたらしくて、具体的にどの時間帯にどう潮が変わったかは研究者の間でも議論があるみたい。「序盤は平家有利の潮、途中で潮が変わって源氏有利に」という説が広く知られているけど、これを疑問視する研究もある。ただ、海峡の潮流が戦局に大きく影響したこと自体は確かで、当時の人々も強く意識していたことは間違いない

第3章 海に沈んだ天皇と三種の神器

(エミが紅茶を両手で包みながら、少し声を落として)

エミ:「……ここからは、壇ノ浦でいちばん重い話をするわね」

サキ:「安徳天皇の、話だよね」

エミ:「ええ。安徳天皇はこのとき数え年で8歳。平清盛の孫にあたる幼い天皇よ。戦の敗色が濃くなったとき、清盛の妻で安徳天皇の祖母にあたる二位尼にいのあま・平時子——このとき60歳が、天皇を抱いて海に身を投じたの」

サキ:「……8歳の子を抱いて」

エミ:「そして平家一門の武将たちも次々と海に沈んだわ。全軍の指揮を執った平知盛は34歳。清盛の四男よ。清盛の弟・教盛は58歳、異母弟の経盛は62歳。資盛、有盛……一門のほとんどが戦死か入水したの」

サキ:「……知盛って確か、”見るべき程の事は見つ”って言った人だよね」

エミ:「……サキちゃん、知ってたのね。『平家物語』で知盛が最期に言ったとされる言葉よ。碇を担いで海に沈んだという」

サキ:「高校の古典でやったの、ずっと覚えてた。……なんかさ、34歳って今の私たちとそんなに変わらないじゃん。それで”見るべきものは見た”って……」

(少し沈黙)

エミ:「一方で、平宗盛・清宗の父子や平時忠は捕らえられたわ。建礼門院徳子——安徳天皇の母で清盛の娘も海に身を投じたけれど、源氏方に引き上げられて助かっているの」

サキ:「建礼門院って、あの大原で出家した……」

エミ:「そう。『平家物語』灌頂巻の主人公よ。……それともうひとつ、忘れてはいけないことがあるの」

サキ:「三種の神器?」

エミ:「ええ。安徳天皇とともに海に沈んだ三種の神器のうち、神鏡しんきょう神璽しんじ——八咫鏡と八尺瓊勾玉は無事に回収されたの。でも神剣しんけん——草薙剣は失われたまま、ついに見つからなかった」

サキ:「天皇家の宝が海の底に……。それって、その後どうなったの?」

エミ:「伊勢神宮から別の剣が献上されて代替としたとされているわ。でも”本物の草薙剣は壇ノ浦の海底に眠っている”というのが、以来ずっと語り継がれてきたのよ」

サキ:「……関門海峡の水深47メートルの底に、今もあるかもしれないんだ」

エミ

熱田神宮にある三種の神器の剣は?などと疑問を抱く人もいるかもしれませんが、三種の神器は、この世で「3つ」だけではない(3個でなくて3「種」)というのが真相です。三種の神器についてはいずれ詳しくまとめます

第4章 関門海峡という「歴史の十字路」

サキ:「ねぇエミちゃん、ふと思ったんだけどさ」

エミ:「なに?」

サキ:「関門海峡って、壇ノ浦だけじゃなくて、いろんな時代の歴史が重なってる場所なんじゃない?」

エミ:「……サキちゃん、鋭いわね。まさにそうなのよ」

サキ:「(ふふ、ドヤ顔してやったぜ)」

エミ:「壇ノ浦の戦いの後も、南北朝時代には足利直冬に従う武将たちが海峡上で合戦しているし、室町時代には大内氏が海峡の渡し賃まで定めて航路を管理しているの。門司まで1文、赤坂まで2文、小倉まで3文、なんて具体的な料金表まであるのよ」

サキ:「渡し賃の料金表!? なんかSuicaの運賃表みたいだね」

エミ:「あはは。そしてもちろん幕末——文久3年から元治元年にかけての「馬関攘夷戦」。長州藩がアメリカ・イギリス・フランス・オランダの四国連合艦隊17隻と砲撃戦を繰り広げた場所でもあるわ」

サキ:「壇ノ浦から約680年後に、同じ海峡で今度は外国の軍艦と戦ってるんだ……。なんか、海峡って地形的に狭くて通らざるを得ないから、どうしても衝突が起きるんだよね。ボトルネックっていうか」

エミ:「物理学的に言えば?」

サキ:「うん。流れが狭いところに集中すると圧力が上がるっていう、ベルヌーイの定理みたいな。ヒト・モノ・カネの流れも同じで、海峡みたいな狭い通路に集中するから、そこが歴史の舞台になるんじゃないかなって」

エミ:「……サキちゃん、それすごくいい視点よ。海峡は交通の要衝だからこそ、制海権を握る者が時代を動かしてきた。壇ノ浦もまさにそういう場所だったのよね」

エミ

壇ノ浦の戦いで平家は滅亡し、源平の争覇は源氏の勝利で幕を閉じました。この戦いの結果、源頼朝の鎌倉政権は名実ともに日本の支配者となり、武家政権の時代が本格的に始まります。関門海峡の壇ノ浦は「源平最後の合戦場」として、今も多くの人が訪れる歴史の聖地です。下関市の赤間神宮には安徳天皇が祀られ、平家一門の墓もあります。

🎵 プレイリスト会議

(カフェでおかわりの紅茶とコーヒーをそれぞれ待ちながら)

サキ:「さて、今日のプレイリストだけど……重いテーマだったから選曲も悩むね」

エミ:「そうねぇ……。私はチームカミウタ『爾今の洋洋この蛍光にあり』にするわ」

サキ:「うわっ、第二次世界大戦末期の特攻隊がテーマの曲だね?」

エミ:「平家たちの命が蛍の光のように海峡に響いて消えていくイメージに重なるの。激しさの中に哀しみがある曲調も合うと思って」

サキ:「あー、わかる。壮絶だけど美しい、みたいなね」

エミ:「サキちゃんは?」

サキ:「私はYOASOBIの『海のまにまに』かな」

エミ:「お、海つながり?」

サキ:「うん、それもあるけど——”まにまに”って”随に”って書くじゃん。流れに身を任せるっていう意味で、潮流に翻弄された壇ノ浦と重なるなって。あと、海の底に何かが沈んでいくイメージが、三種の神器の神剣がさ……」

エミ:「……サキちゃん、今日の選曲すごくいいわね」

サキ:「(照れ)べ、別にそんな深く考えてないよぉ」

エミ:「もう1曲いい? やっぱり平家物語では羊文学の『光るとき』を入れたい」

サキ:「アニメ『平家物語』のテーマね。あのアニメ良かったよねぇ。じゃあ待っている人もいるからきょうはこの3曲で」

  1. チームカミウタ「爾今の洋洋この蛍光にあり」―― 海峡に消える平家の命
  2. YOASOBI「海のまにまに」―― 潮流に翻弄された運命と、海底に沈んだ神剣
  3. 羊文学「光るとき」―― アニメ『平家物語』のテーマ曲

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