寛永14年3月10日(1637年) 家康の側近本多正純、秋田にて73歳で死去

寛永14年3月10日(1637年4月5日) 家康の側近で元譜代大名本多正純、73歳で死去。

家康の側近、本多正信の長男で、家康が将軍を秀忠に譲った以後は、父の正信が江戸城の秀忠の側近として、正純は駿府で家康に仕え、元和2年(1616年)の家康の臨終に立ち合い、葬礼を指揮しました。その後、19年に下野小山3万3000石を経て、宇都宮15万5000石の大名となるが、秀忠と対立したらしく、1622年に領地を没収、出羽由利(秋田県)に流され、出羽横手で死にました。

家康の側近中の側近だったため、宇都宮城主時代には、城に釣り天井をしかけて秀忠を暗殺しようとしたという風聞まで流されました。もちろんそれは事実ではありません。

父の本多弥八郎正信が、天正20年(1592年)に秀吉の朝鮮出兵で肥前名護屋城まで出陣した家康の武運と健康を願って、鶴岡八幡宮に奉納した134㎝の大太刀が残っています。

関連記事

  1. 建保2年2月4日(1214年) 栄西が源実朝に茶を進め「喫茶養生記」を献上

  2. 元暦2年3月24日(1185年) 源義経、壇ノ浦で平家を破る。平家滅亡、安徳天皇入水

  3. 日本史で1月2日に火事が多すぎる件

  4. 1月1日「和漢朗詠集」を撰じた藤原公任死す

  5. 享保9年1月13日(1724年2月7日)島流し画家、英一蝶死去

  6. 天長7年1月3日(830年1月30日)出羽国で大地震、秋田城・四天王寺など倒壊

コメント

  • コメント (0)

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。