(4月末の昼下がり、大手町から皇居外苑をのんびり散歩する二人)
サキ:「は~、もうすぐGWだねぇ。空気が完全に『春の終わり』って感じ」
エミ:「いい季節よね。ねえサキちゃん、4月28日って何の日か知ってる?」
サキ:「えっ、唐突。えーっと……GW前のラスボス上司の出勤日?」
エミ:「(笑)たしかにそれもあるんだけど、実はね、今からちょうど1000年ちょっと前の4月28日に、後の国宝『和漢朗詠集』の原点になった出来事があったかもしれないのよ」
サキ:「和漢朗詠集……名前は聞いたことある!タイトルからすると、和と漢の集合したなにかだよね?」
エミ:「和歌も漢詩も入ってるアンソロジーなの。今日はね、これが平安貴族の“最強プレイリスト”だったって話と、それを生んだ藤原道長の身内ノリ全開ファミリープロジェクトの話をするわね」
サキ:「身内ノリで国宝!? なにそれ気になる!」
第1章:1018年4月28日、屏風が献上された(らしい)日
(散歩しながら、エミがバッグから図録を取り出す)
エミ:「ちょっと整理するわね。寛仁2年、西暦でいうと1018年。藤原道長の三女・威子が、後一条天皇のもとに入内するの」
サキ:「入内って、お后さまになるために宮中に入ること、だっけ?」
エミ:「そう。で、この入内っていうのが大イベントで、読み入り道具として絢爛豪華な屏風を仕立てて贈るのが慣例だったの。この屏風は残っていないのだけど、やまと絵と唐絵(からえ)が描かれて、重要なのはそこに和歌や漢詩を書いた色紙形が貼り付けられていたのよ」
サキ:「色紙形?」
エミ:「絵の中に四角いカードみたいな形で歌が書かれてるやつ。Instagramでいうと写真の上にテキスト乗っけてる感じ」
サキ:「あー、わかる!おしゃれインスタみたいな!」
エミ:「(笑)で、今回、ポイントになるのは、屏風のメインの絵を誰が描いたかではなく、色紙形に書かれた歌を、誰が書いたかっていうのが大事なところで——藤原公任なのよ」
サキ:「公任……あ、百人一首にいる人?『滝の音は 絶えて久しく なりぬれど~』」
エミ:「それ!『~名こそ流れて なほ聞こえけれ』。公任は、和歌・漢詩・管絃の三舟の才で有名な人な平安時代最強の知識人よ。で、その公任に色紙形を書かせたのが、道長の息子・藤原教通なんだけど、この教通の妻が公任の娘なのよ」
サキ:「あ、つまり義理のお父さんにお願いしたってこと?」
エミ:「そういうこと!『お義父さん、妹の入内屏風に色紙形書いてくれませんか?』って。そして公任が選び抜いた漢詩文と和歌のラインナップ——これが、今度は後に『和漢朗詠集』としてまとめられたんじゃないかって言われてるの」
サキ:「えええ!じゃあ妹のお祝いのために岳父にお願いした選歌集が、後の国宝になっちゃったってこと!?」
エミ:「(嬉しそうに)そうなのよ!壮大な“身内案件”!」
エミのメモ📝
「4月28日前後」っていうのは推定で、確定した日付じゃないの。でも、入内屏風の進献がこの時期だったとされていて、『和漢朗詠集』のテキストにある詩句や和歌が、まさにこの屏風に貼られた色紙形と一致するんじゃないかって研究があるのよ。つまり、屏風は失われたけれど、貼られていた詩歌のリストは『和漢朗詠集』として残った、という説。
※ちなみに威子は半年後の10月16日に立后して、後一条天皇の中宮になります。これ、後で大事な伏線なので覚えておいてね! また平安時代の女性の読み方は全く判明していないので辞書などでは仕方なく音読みで「いし」としていますが、ここでは親近感がわくように「たけこ」と呼んでいます。
第2章:『和漢朗詠集』って、どんな本なの?
サキ:「で、肝心の『和漢朗詠集』の中身ってどんな感じなの?」
エミ:「ここがすごいんだけど、漢詩文の佳句が588首、和歌が216首、合計804首のアンソロジー。上巻に四季、下巻に雑部って構成」
サキ:「800首!? それ、当時の人が暗記してたの?」
エミ:「貴族たちはね、これらを日常会話の中で口ずさむのがマナーで教養だったの。で、ここから面白いんだけど、誰の作品が多く採られてるかというと——白楽天(白居易)が135首!ぶっちぎりトップ」
サキ:「白楽天って中国の人だよね。そんなに採用されてるんだ」
エミ:「平安貴族の白楽天信仰、ガチなのよ。もう推しの曲全部入れます!みたいな勢い」
サキ:「公任、推し活してる(笑)」
エミ:「日本の詩人だと、菅原道真、菅原文時、大江朝綱、源順あたり。いわゆる天暦期(10世紀半ば)の詩人が中心ね。和歌だと紀貫之と凡河内躬恒が多い」
サキ:「菅原道真に、紀貫之は有名人だね」
エミ:「面白いことに、『源氏物語』で紫式部が和歌を引用するときの傾向と、ほぼ同じなのよ」
サキ:「ええっ、紫式部と公任、推し被ってるの!?」
エミ:「平安貴族界隈の“鉄板”ってことね。紫式部は道長の長女・彰子に仕えてた人だから、道長家のサロンの趣味とも繋がってくるわけ」
サキ:「おおおお、『光る君へ』に繋がってきた!」
第3章:「朗詠」は平安貴族のカラオケ文化だった
(公園のベンチでひと休み。サキはフルーツ牛乳、エミはほうじ茶ラテ)
サキ:「ねえ、そもそも『朗詠』って何?読み上げるってこと?声に出して読みたいみたいな朗読?」
エミ:「順を追って話すわね。『朗詠』っていうのはね、すばらしい詩を音読・朗読、もっといえば楽曲の伴奏に合わせて歌うこと」
サキ:「えっ歌うの!? 漢詩を!?」
エミ:「歌うのよ!『宇津保物語』には音楽の伴奏で漢詩を朗誦する場面が出てくるし、『枕草子』には『秀句が朗詠されるのめっちゃエモい』みたいな記述があるし、『源氏物語』なんて登場人物が詩句を口ずさみまくり」
サキ:「それもう完全にカラオケじゃん!?」
エミ:「(早口で)そうなのよ!しかも面白いのが、フルバージョンじゃなくてサビの2行だけを抜き出すの。これを『摘句』っていうんだけど」
サキ:「サビ抜粋!?」
エミ:「長編漢詩や律詩の中から、いちばんキマってるサビだけを取り出す。『和漢朗詠集』に入ってる詩句も、ほとんどが七言二句、つまり2行だけ」
サキ:「TikTokのサビ部分切り抜きみたいなこと、平安時代でもやってたんだ!」
エミ:「まさに!平安貴族はね、長い詩を全部覚えるんじゃなくて、『ここがアツい』って2行を抜いてプレイリストにしてたの」
サキ:「あー、なんか急に親近感わいてきた……」
エミ:「で、もう一つ重要なのが、“倭漢”の融合。つまり中国の漢詩と日本の和歌を一緒に並べてるってこと。それまでは漢詩は漢詩、和歌は和歌で別物だったのに、公任は『四季』っていう同じテーマで両方並べちゃった」
サキ:「それ、なんか今でいうと洋楽と邦楽を混ぜたプレイリスト作るみたいなこと?」
エミ:「(嬉しそうに)まさに!『春の朝に聴きたい曲』って言って、洋楽と邦楽を混ぜて出すミックスリスト。これが当時としては斬新だったのよ。日本独自の季節感が漢詩文の方にも入り込んできて、和漢が融合した文化が生まれた」
サキ:「(こういうとき、エミちゃんって本当に楽しそう)……ねえ、それって平安貴族たち、めっちゃ楽しかっただろうね」
エミ:「楽しかったと思う。お酒飲みながら、楽器の音に合わせて、推しの白楽天と推しの紀貫之を交互に歌う。最高じゃない?」
サキ:「最高!私も混ざりたい!」
第4章:半年後の伏線回収——「望月の歌」も妹案件だった
サキ:「で、さっき『威子は10月16日に立后する』って言ってたよね。なんで覚えとけって?」
エミ:「(ニヤッと)気づいた?10月16日。立后の日。藤原道長が詠んだ歌、知ってるでしょ」
サキ:「あ……あれ?まさか……『この世をば~』の」
エミ:「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば。あの『望月の歌』、威子の立后祝いの宴で詠まれた歌なのよ」
サキ:「ええっ!? あれって威子のお祝いの歌だったの!?」
エミ:「そう。3人目の娘も中宮になって、彰子・妍子・威子で“一家三后”達成。さすがに完全勝利状態でテンション上がっちゃった道長が、『俺の人生、満月の欠けたとこなくね?』って即興で詠んじゃった、っていう歌」
サキ:「『光る君へ』ではちょっと違う解釈で歌われていたけど、歴オタが大好きな歌だね……」
エミ:「そうね、大河ドラマの解釈もジーンと来てよかったけど、とりあえずここは定説で考えてみて?4月28日に道長の息子の教通が義父の公任にお願いして妹の入内屏風を飾った。そこには漢詩と和歌が並ぶ最高にイケてる色紙形が貼られていた。それがその年の10月、『この世をばわが世』の宴会へと繋がっていく。同じ威子をめぐる、道長家ファミリー、つまり摂関政治が絶頂を迎えるプレリュードだったのよ」
サキ:「待って、なんか壮大なオーケストラが耳に聞こえてきた」
エミ:「(目を潤ませながら)でしょう?1000年前の4月28日と10月16日。同じ妹のために、兄が屏風を作って、父が満月の歌を詠んだ。そして屏風に貼られた色紙形は、後に『和漢朗詠集』というかたちで残って、平安以降ずっと貴族文化の根っこになっていく」
サキ:「公任、めっちゃ仕事してる……岳父力すごい」
エミ:「ちちぢからって何(笑)」
エピローグ:1000年前の身内ノリが、文化の核になった
エミ:「『和漢朗詠集』ってね、貴族主義的で耽美的で、社会意識とかには乏しいって言われることもあるの。でも、それでもこの本が後の中世文学、そして現代に至る日本文化に与えた影響は計り知れないのよ」
サキ:「最強プレイリストが、文化のスタンダードになっちゃったってことだよね」
エミ:「そう。『朗詠集』に載ってる詩句は、後の連歌や能楽でも引用されまくる。公任直筆のものは残っていないの。でも、大河ドラマでは道長と公任の弟分だった藤原が書いたとされる粘葉本とか雲紙本とかが皇居三の丸尚蔵館が所蔵する国宝、藤原伊行筆の芦手絵和漢朗詠抄(京都国立博物館)も国宝になっている」
サキ:「最初は妹のお祝いギフトだったのに、ねぇ」
エミ:「身内ノリ、侮れないわ」
🎵 プレイリスト会議
(散歩から戻って、丸の内のカフェに移動)
サキ:「じゃあ私から。YOASOBI「群青」。歌詞の『好きなものを好きだと言う 怖くて仕方ないけど』ってところ。公任が和歌と漢詩を並べたり、白楽天を135首も入れちゃった『推し全部入れたい』っていう情熱と重なるなって」
エミ:「あー!推し活ガチ勢の歌だ。いいねぇ」
サキ:「エミちゃんは?」
エミ:「私は伊東歌詞太郎『さよならだけが人生だ』。「花に嵐のたとえもあるさ さよならだけが人生だ」って有名なフレーズは実は井伏鱒二が漢詩を訳したものなの。漢詩と和歌をミックスする『和漢朗詠集』スピリットが今も続いていることを感じさせるわ」
サキ:「うわ、エミちゃんさすが文脈ガチ勢。じゃあ私のもう一曲はヨルシカ『アポリア』。イントロの紙をめくる音みたいなところから、1000年続くアンソロジーの雰囲気がぴったり」
エミ:「あー、わかるなぁ。じゃあ、ラストは和漢折衷ということで、現代なら洋楽かなって。ビリー・ジョエルの『ピアノマン』を入れるわ」
サキ:「へぇ、初めて聞いた。(MVを視聴して)ピアノバーに男女色々な人たちが集まってお酒を飲みかわしながら、歌ったり…これって平安時代の宴もこういう感じだったのかもしれないね。すごくシンクロできる曲だよ」
エミ:「だよねぇ!1000年経っても歌を求める人間って変わってないんだよ」
※本記事は『和漢朗詠集』の成立をめぐる代表的な説をもとに構成しています。1018年4月28日前後の屏風進献については確定した日付ではありません。色紙形と『和漢朗詠集』本文の関係についても複数の説があります。


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