永禄9年12月29日(1567年2月8日)、松平家康、徳川改姓の勅許を得る。この時、朝廷側の書類上の問題から藤原氏ということに。
笠谷和比古説によると、つまり藤原家康だったが天正16年に足利将軍(源氏)が秀吉に降って消滅、源氏の使用がフリー素材化。秀吉の認可で源家康になることができた。
なぜ家康は徳川改姓したのか?ここからはパロディ交え、その背景を説明します。
昔むかし、東海銀行(松平家康)という地域でそこそこ有力な戦国武将がおりました。強さは地域で抜きん出ていましたが、ネームバリューは低く、他の地域に営業に行くと「東海(松平)?あぁそういえばこの間、御行の人来ましたよ」と愛知銀(大給松平)と名古屋銀(安城松平)名刺見せられる始末。
東海(松平)では戦国ビッグバンに通用しないと、公家バブル崩壊で苦しい三和銀行(関白近衛前久)にお願いしました。三和(近衛)は「オッケー新しい名前はユナイテッドフィナンシャルオブジャパン略して徳川(UFJ銀行)でいい?」
家康「トクガヮ?よくわからないけど、大日本連合銀行って壮大で良いですね」ニコニコ
家康の内心「徳川(UFJ)かぁ、微妙。でも、三河の守(メガバンクの大名)もらえるならがまんがまん。これで地域限定名の愛知銀行や名古屋銀行とは一線を画せるぜ!」
潰れそうだった近衛(三和銀行)も、UFJで都銀を維持できて大満足。家康は、三河の守の任官もゲットできた。やった。Win-Win。
すぐに、ほかの松平たちを呼び集めると、家康は述べた。
わしはUFJ銀行だ、源氏なメガバンク(三河の守)だ!お前らとは違う、覚えておけ!
と喜んでいるところに三和(近衛)が、家康は氏名は源氏を狙ッてるそうですけど、三和で用意できるのは藤原氏なんですよ、御理解くださいよと。
家康「まあ姓名(本社場所)より、営業に使う銀行名が重要、UFJ銀行で行こう」
こうして永禄9年12月29日、UFJ銀行を改姓を大蔵省(天皇)に認められる。その際、三和と同じ所属グループは、藤原氏に入れてもらうことになる。三河は源氏人気が高く、家康は源氏を名乗りたかったのだけど、仕方がない。
家康「つまり源氏でなく藤原氏になれと。まぁそれはいいですが、源氏になるにはどうすればいいですか?」
近衛「源氏の商標を持ってるのは、今は室町将軍の北海道拓殖銀行(足利家)です。拓殖銀行さんが許してもらえば、もらえないでしょうけど、もしくは」
「もしくは?」
「破綻して家が消えれば」( ̄ー ̄)ニヤリ
その後、秀吉(東京三菱銀行)が天下になると家康は臣従。
秀吉「わい、関白なったし、京の金融を抑えるわ。都銀でなく、メガバンクになるんや、一緒に、どうだ? UFJ(徳川)さんには田舎(東国)の営業を担当してほしいのじゃが」
家康「喜んで!その代わりに私は、足利将軍がもっていた源氏が好きで使わせてほしいのです」
秀吉「北海道拓殖が潰れたあとなら、好きにすれば良いよ。ワシは関白で大都会キョウトのトップになったし、ワシの夢はニューヨーク(大陸)進出なんで、東日本のほうは家康さんにお任せしますわ」
家康「源氏とともに、ついでに三河の守から征夷大将軍にしていただけないでしょうか?新たな「三菱東京UFJ銀行」の東国支配にやりやすくするためです」
秀吉「ふーん、征夷大将軍って大袈裟じゃないか?ワシがトップだよね?」
家康「深い意味はなく、関東エリア本部長という意味です」
秀吉「そっか、そっか。関白(CEO)より、下ならなんでもいいや。好きにして。よし、東京三菱とUFJは合併して、京と海外はワシがやるから、うるさい横浜銀行やりそな(小田原北条)叩き潰そうや!」
「関白将軍天下人連合金融」略して三菱UFJ銀行が誕生し、こうして家康は、豊臣政権のもと、藤原家康から源家康になることができました、とさ。昔むかしのお話しじゃで。(おしまい)
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