後白河法皇なら「当世に流行るもの 鎌倉殿と邪教狩り」とでも今様を謡っただろうか。
800年後の今、鎌倉殿と邪教(魔女)狩りが大ブームとなっている。
現代の邪教について、どれほど邪(よこしま)なのかはよく知らないのだが、鎌倉殿の13人を見ていてふと思ったのは、鎌倉新仏教というものが邪教扱いされたことだった。法然上人(源空)がはじめた浄土宗(浄土教のひとつ)のことである。
浄土教とは阿弥陀信仰のこととほぼイコールといっていい。阿弥陀を信仰する他の宗派はもちろんたくさんあるが、浄土宗とそこから派生した浄土真宗なども、阿弥陀信仰がド中心で、核心だ。
人間の欲求には、大きく2つのニーズがあり、どの宗教もだいたいこの2つをいかに満たすかに尽きる。生前と死後だ。つまり生と死である。
武家の世、鎌倉時代がもたらした大きな変化は、平安時代までは天皇を含む貴族のみに特権的に存在した「死」について考える機会が、庶民(といっても実力で俗世の力を手にした一部の武士)にまで広がったことだ。
人口的に1%しか死後のことを考えていなかったのが、20%くらい(この数字はもちろん適当だ)の人が死後を考える生活の余裕と知識(教育が必要)を持つようになったことを意味する。
平安時代までの1%のための仏教は、簡単だ。端的に言えば「カネ次第」。平安時代ごろには、どうやら死後の世界には、極楽(天国)と地獄があることが分かって(創られた)きた。極楽浄土に行く方法も判明(創造)してきた。
立派な寺に寄進して子院(塔頭)を作って、一族の男子のだれかを出家させればいいのだと。
子作りを終える年代(当時は40くらいか)になれば、自身も出家してしまえば、なお良い。
カネ次第で極楽に行けるルートが確立され、貴族以外でも、田舎者の大金持ちであっても、奥州平泉の藤原氏のように、金色堂や金銀のお経などを作れば、極楽往生できることが「判明」した。
現代から見れば、ただカネさえ出せば、良いだけだが、当時としては、その極楽浄土の方法は密教の高野山や比叡山によって、秘密にされ続けられていた。それはそうだ。高い金を払ったものだけに、特別な待遇が施され極楽浄土で無双できる課金システムが確立されていたからだ。無料のゲーム参加者はモブであり、養分である。
ところが無課金ゲーマーたちが増えてくると、そのなかには、月に1000円くらいなら課金してもいいというプレーヤーも相当数増えてくる。本当は月10万円以上の課金をしないと、次のワールド(浄土)には行けない仕様になっているのだが、当然ながら微課金の彼らも次のワールド(浄土)に行きたくなる。
正当なルートとしては、上総介や比企の一族などを滅ぼして、月10万円以上課金できる立場になることだが、一国一の武士になるのは、国の数がそもそも70席しかなく、だれでもできるわけもなく、その道も過酷だ。
それよりは、せいぜい中級・下級武士として、パンとサーカスが楽しめるくらいのを目指し、そこに安住するサラリーマン層が増えてくる。そして彼らが通勤途中や週末に、1000円くらいをあの世のために課金するのだ。
と、前置きが長くなったが、浄土宗の開祖・法然(1133~1212)である。
法然は美作国(岡山県の山のほう)の武士(押領使)の漆間家に生まれたが、押領使というのは、公的な機関ではない地域の治安維持軍、まぁ今で言えば戦後のヤクザのようなものであるが、まさに武士そのものだ。
漆間家は、この父(漆間時国)の代ですでに美作の1郡(いまの市レベル)を統括するトップクラスのヤクザ、いや押領使だったので、カネがあった。先述した平安時代の極楽ルートは、カネのあるものは、一族の男子をだれか僧侶にさせて(もちろん相当なカネが必要である)、一族全体の極楽行きを目指すこと。
もっとも、まさかこんなに本人が早く極楽へ行くとは思っていなかっただろうが。
ともかく、法然が9歳のときに、父・漆間時国)は、対立する別の暴力組織(荘園の預所)の明石定明の夜襲を受けて、殺されてしまった。荘園の預所というのは、中央の荘園の持ち主から派遣された(もしくは任命された)武力組織。こちらも、元が中央にいる貴族か寺院というだけで、勝手治安維持軍である。中央の荘園の持ち主からすれば、約束通りの税金を押領使が送ってこないために、武力で従わせたというのが理由で大義だ。
法然の父も、兄(法然の叔父)を比叡山系の寺院に送り込んで、僧侶にさせていた。この叔父、観覚(かんがく)が9歳の法然をひきとった。15歳になると、法然は比叡山に送られ、著名な高僧の弟子となり、源空を名乗った。智恵第一の法然とのちに呼ばれるように、一種の天才・秀才だったことは間違いない。ただ、わずか3年で黒谷(京都市内)で自分の拠点である房(寺の子院)を構えることができたように、ただの天才だけでなく、「実家が太い」ことは大きな理由だろう。
なお、法然というのは、この房の名前、つまり地名であって、辞書などでは法然でなく「源空」で項目が立てられている。
たとえばフジテレビを「お台場」、日テレを「汐留」と呼ぶのに近い。こうした僧名(源空)と別に、自分の住む房を、自分の呼び名とするのは、コトバンクの項目「房名」によると、鎌倉時代からのブームらしい。
法然は、黒谷を拠点に、天台宗(比叡山)だけでなく、奈良の興福寺の法相宗などさまざまなところに行き、さまざまな経典などを学んだ。実に恵まれた環境といえる。のちに批判もされるが、(鳥獣戯画で有名な)高山寺の明恵らとも学問の交流をしている。15歳に比叡山に入ってから、25年以上にわたり、「遊学」を続け、ついに43歳のとき1175年(頃とされている)、南無阿弥陀仏と唱えさえすれば極楽浄土に行けるという浄土宗の悟りの境地に達する。
これは無課金プレイヤーも、SSRやURのレアカードが出まくるゲーム(刀剣乱舞は割とこれに近いか)のようなもの。
これまで重課金や微課金していたプレイヤーからは反発が出るのも当然である。
こうして、法然は当然ながら、既得権者の仏教寺院から、邪教として異端審問され、都から追放の罰を受ける。
だが、一度、無料課金ゲームが広まると、その流れは止められない。法然(とうらぶ)でなくても、次々に馬ムスメとか、親鸞とか、新たな無料ゲームが開発される。
既得権側も生き残りをかけて、有料でソフトを買ってくれるために、質を向上させることになる。スプラトゥーン3がそれにあたるだろう。
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